これをもって当初予定していた愛媛の遍路道、それも道標を目安にできるだけ旧遍路道を辿る散歩を終え、それでよし、と思っていたのだが、今となって雲辺寺から先、讃岐の遍路道を辿ってみたくなった。
ほぼ半年ぶりに歩き遍路を再開する。今回のルートは雲辺寺から阿讃山脈を下り四国遍路の「涅槃の里」、讃岐平野にある六十七番札所 大興寺大興寺まで、おおよそ10キロ弱の遍路道である。
本日のルート;六十六番札所 雲辺寺>雲辺寺山無線基地局>下山口>萩原寺分岐>「みき邊路道」標石>遍路墓(阿讃縦走路分岐点)>六十六部供養塔>二丁石>六丁石>七丁石>九丁石>丁石(拾丁目)>十一丁石>十二丁石>十三丁石>十五丁石>十六丁石>十九丁石>「四国のみち」木標(大興寺まで6.4km)>「一升水」案内>「四国のみち」木標(大興寺まで5.7km)>林道交差>広域幹線林道・五郷財田線と交差>旧遍路道
雲辺寺ロープウエイ
常の如く単独車行。雲辺寺から山道を下った後は、この車デポ地まで一度戻ることになる。4キロほど車回収に歩くことになるが、仕方なし。
ロープウエイ片道チケットを購入。ゴンドラにはスキーやスノボー姿の人が。雲辺寺山にスノーパーク雲辺寺が地図に載っていた。昭和64年(1989)開業、全長2594m、標高差652mを上るゴンドラは山稜遥か高所を進む。高所恐怖症には少々辛い。
六十六番札所 雲辺寺
○五百羅漢
そのためだろうか、涅槃像傍には、いかにも中国風の石塔も立つ。
○山門脇の茂兵衛道標
山門は本堂傍、愛媛からの遍路道に続く参道にあったものを建て替えたようで、結構新しい。山門前から雲に覆われた徳島側、吉野川の谷筋を覆う雲を眺める。香川県側は雲ひとつなかったのだが、阿讃山脈を境に全く異なった景観を呈していた。
○大師乳銀杏
推定樹齢1200年の古木。初代は株だけ。子孫の三本の銀杏がそれを囲む。幹から垂れる気根が乳に似ている故の命名とも。
雲辺寺山無線基地局:9時49分
それはともあれ、道を進むと雲辺寺山無線基地局。NTT、KDDなどの無線中継基地のようである。里から見える雲辺寺のパラボラアンテナなどがこれであろう。雲辺寺本堂からおおよそ10分のところにある。
下山口;9時53分
萩原寺分岐;9時59分
その木柱の右手に2基の道標。手印とともに「小松尾道 大正十四年」と刻まれた道標と「一丁」と刻まれた舟形地蔵丁石が立つ。
5分ほど進むと、道の左手に「みき邊路道」と刻まれた小さな標石がある。
遍路墓(阿讃縦走路分岐点);10時16分
更に10分ほど進むと右手が開ける。左手に県境尾根筋が続くようだ。六地蔵越えに続く阿讃縦走ルートではあろうが、特に案内はない。分岐箇所、木の脇に遍路墓があった。備前の遍路が眠るという。
不動明王が彫られた舟形地蔵と三丁石もあるといった記事もあったが、見当たらなかった。
六十六部供養塔:10時21分
「*き原」?大野原字萩原(はぎわら)だろうか。とすれば、先の萩原分岐と同様、この辺りからも萩原へと下る道があった(ある)のだろうか。標石上部にくっきりと浮き出た仏坐像が印象的。
●六十六部
六十六部とは、全国六十六箇所の霊場に大乗妙典を奉納する目的でおこなわれた巡礼、もしくは巡礼者を指す。日本廻国とも称され、巡礼者を六部とも略した。文字に刻まれた「中供養」とは、廻国途中になんらかの機縁が生じ建立したものを意味するようだ。
二丁石:10時30分
●四国のみち
歩き遍路や山歩きをしていると、折に触れて「四国のみち」の木標に出合う。よくよく考えると、「四国のみち」って何だろう?チェックすると、「四国のみち」とは歴史・文化指向の国土交通省ルート(約1,300km)と、自然指向の環境省ルート(約1,600km)の総称。環境省ルートは「自然遊歩道」が正式名称であるが、ルートは重なる道筋も多く、まとめて「四国のみち」と称されるようだ。
環境省ルートは、「四季を通じて手軽に楽しく、安全に歩くことができる自然遊歩道」として整備されたのはわかるのだが、何故建設省が?そこには道路整備だけでなく、自然派志向の世論もあり、昭和52年(1977)以降「自転車道」「歩道」の整備をも重視することになった背景があるようだ。
この建設省ルートは基本遍路道を基本としながらも、既存道路の利用という前提もあり、札所を結ぶとはいいながら遍路道との重なりは6割弱とのこと。国道、県道、市町村道、林道整備がその主眼にある故ではあろう。
上に建設省ルートが歴史・文化指向といった意味合いは、札所や遍路道の歴史的・文化的価値を見出し、モータリゼーションの発展にもない、昭和59年(1984)には15万人もの人が訪れるおとになった四国遍路を観光資源としてそれを繋ぐ道を整備していったようにも思える。
六丁石;10時35分
七丁石;10時39分
地蔵菩薩の菩薩とは、仏の位で言えば、如来>菩薩>明王>天部にあり、もう少々徳を積めば最高位の如来になれるポジション。人を救うといった誓願をたて現世に留まり徳を積んでいる仏であるが故に、最もポピュラーな仏さま。その故だろうか。そのうちに調べてみたい。
九丁石:10時46分
地蔵菩薩、野辺に佇むお地蔵さんとして身近な存在であるが、もともとは結構有り難い仏さま。仏陀が寂した後、次の仏陀(弥勒菩薩)が現れるまでの間、現世に留まり六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅・人道・天道)を輪廻する衆生を救済してくださる。
地はサンスクリットの「大地」、蔵は「胎内」から。大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる(wiki)。
丁石(拾丁目):10時54分
十一丁石:11時
十二丁石:11時9分
十三丁石:11時14分
十五丁石:11時25分
十六丁石:11時30分
十九丁石:11時41分
「四国のみち」木標(大興寺まで6.4km)
「一升水」の標識:1154分
鞍部の先、449mピークの手前で軽く右に折れ、数分歩くと「四国のみち」の木標がある。「雲辺寺3.5km 大興寺6km」と記された木標傍の木柱に「一升水」と記される。
特に案内はないのだが、地図を見ると先ほどに鞍部に向けて沢が切り込んでいる。このあたりに滾々と湧き出る湧水でもあったのだろう。
なお、この地には「坂瀬山林区財産境界」と記された石も立つ。坂瀬山林区が入会権をもつ山林という事だろうか。財産はこの場合、山林を指す。
●一升水
散歩の折々で一升水に出合う。四国中央市の土佐北街道・横峰越え、香川の箸蔵道などで出合った一升水が記憶に残るが、共に弘法大師空海ゆかりのものであったが、この地の一升水は?
「四国のみち」木標(大興寺まで5.7km):12時6分
はっきりはわからないのだが、この辺りには陸軍用地の標石が残ると言う。大野原内野々一帯には陸軍第11師団の広大な雲辺寺陸軍演習場があったようであり、形からすれば各地に残る陸軍用地境界石と似ているようだ。「第**号」も陸軍境界石に記されるパターンではあるが、共に不明である。
林道交差;12時34分
「大興寺5.1km 雲辺寺」4.5km」と書かれた木標傍に遍路道直進との矢印がある。地図を見ると、一筋北に東西に走る林道がある。道を横切り先に進む
広域幹線林道・五郷財田線と交差;12時40分
遍路道が林道との交差する箇所に「四国のみち」の木標が立ち、「雲辺寺4.6km」, 「大興寺5km 雲辺寺3.3km 五郷ダム4.8km」と記される。何故唐突に「五郷ダム」?
この交差箇所に旧遍路道の案内もある。手書きの案内は消えかけており。うっかりすると見逃してしまいそうな案内ではあるが、指示に従い左折する。
旧遍路道;12時49分
散歩のメモも今回はここでお終い。里道を大興寺まで辿る遍路道メモは次回に廻す。雲辺寺から里までの遍路道は、「四国のみち」として整備されていたこともあり、至極快適な下りではあった。