古代の太政官道、藩政時代の土佐藩主の参勤交代の道ともなった土佐北街道は土佐から愛媛の川之江を結ぶ。土佐北街道は愛媛県四国中央市の新宮から法皇山脈を越えて旧川之江市(現在の四国中央市)に至る横峰越え、高知県長岡郡大豊市立川から笹ヶ峰(標高1016m)を越え四国中央市の馬立に下る笹ヶ峰越えのふたつの峠越えは既に歩いている。
その道筋に峠はないものかとチェックすると笹ヶ峰越えの南に、標高1089mの国見山を越える国見越え、その南に標高592mの権若峠越えがある。とりあえずこのふたつの峠を越え、その後で里道を繋ごうと思う。今回は国見越え。地図をみると上り口から峠、また峠から里までも共におおよそ6キロ。単独車行のためピストン折り返しを考えれば、共に6時間ほどみておくのが無難。ということで2回に分けて歩くことにした。
基本、標識は上りは分かりやすいが、逆方向は遍路の逆打ちではないけれど結構標識チェックが難しいだろうと覚悟していたのだが、長岡郡本山町から国見峠までの「逆打ち道」は標識がしっかりして安心して上ることができた。感謝。
それはともあれ、国見越えの第一回は穴内の登山口からはじめ、国見峠を越えて杖ヶ森の巻道にある吉延の里への下山ルート標識までメモする、
本日のルート;繁藤で国道32号から県道268号に乗り換え>国見登山口>作業道に出る>作業道から土径に入る>駕篭すり石>沢筋から作業道に>フェンス部・土佐北街道標識>フェンスに沿って作業道に>フェンス部の北端部上側の作業道を進む>土佐北街道標識>作業道に出る>作業道を交差>嫁ケ岩・姑ケ岩>山目野分岐>送電線鉄塔>林道が作業道と交差>おけいの岩>「旧参勤交代北山越え」標識>国見山分岐>国見の石垣>杖ヶ森を巻いて進む>吉延への土佐北街道下山ルート標識
繁藤で国道32号から県道268号に乗り換え
国見越えの上り口をチェックすると高知県香美市土佐山田町上穴内(あなない)、穴内川ダム北沿いの道にある。月例帰省の田舎である愛媛県新居浜市から高速を使えば2時間弱で行けそうだ。午前8時過ぎに出発し、松山道・高知道を進み高知道大豊インターで下車。国道32号に乗り換え吉野川水系穴内川に沿って南に下り土佐山田市繁藤に。繁藤橋に架かる繁藤橋手前で県道268号に乗り換え登山口に向かう。
●繁藤堰堤
国道32号を進み高知自動車道の高架を潜った先に吉野川水系穴内川を堰止めた繁藤堰堤がある。上流にある穴内川ダムと一体のものであり、穴内川ダム湖を上池、この堰堤を下池とも呼ぶ。日中は穴内川ダム湖から水を落とし穴内川発電所で発電し、夜間は堰堤に貯めた水を穴内川ダム湖に揚水し再利用している、と。それより気になったのは、堰堤右岸から伸びる破線。分水界を越えて太平洋に注ぐ国分川支流の新改川まで延びている。チェックすると、水量の乏しい新改川へ穴内川の水を導水する甫喜峰(ほきがみね)疏水路と称されるものであった。構想は野中兼山に拠るが、計画が実施されたのは明治になってから、という。水は高知県初の水力発電所にも供された。
この疏水は更に南に延び山田用水となって山田、鏡野まで続くとのこと。そのうち歩いてみたいものだ。
国見登山口;10時20分
●穴内川ダム
吉野川総合開発計画の一環として当初多目的ダムとして構想された。しかしながら、吉野川の水を巡る徳島県と他県との利害調整が難航したため、四国電力が水力発電単独の事業として着手し、昭和36年(1961)着工、昭和38年(1963)完成した。通常発電専用のダムではあるが、徳島県との協定により緊急渇水時用に一定量の水をプールしており、平成17年(2005)の大渇水期に一度だけ放水を行っている。
◆吉野川の水を巡る徳島県と他県の争い
詳しくはこちらのページを参照してほしいが、争点を端的に言えば吉野川の水による恩恵を受けること無く、逆に水害に見舞われる徳島県と、吉野川による水害被害の心配もなく、分水による恩恵だけを受ける他県との利害関係と言える。
吉野川の下流域は川床が低く水利に利用できず、四国山中の大雨による鉄砲水の被害を受ける徳島県と、水の乏しい愛媛や香川に分水し、かつ徳島への利水を勘案したものが??野川総合開発計画である。
作業道に出る;10時22分
作業道から土径に入る;10時23分
駕篭すり石;10時25分
沢筋から作業道に
注意;往路では気が付かなかったのだが、作業道に出る藪の途中で沢に架かる木橋を渡っていたことが復路で分かった。背丈まで延びた草で足元が見えなかったのだろう。ピストン復路で作業道から藪道に入ろうにも左右が沢となっており、右往左往した末に沢に架かる木橋(?)らしき通り道を見付けた。ピストンの賜物。ちょっと注意が必要。
上りはブッシュから作業道に出るので問題ないが、下りの場合作業道からブッシュに入ることになるが、ブッシュに隠れた木橋を渡るには足元を注意して進む必要がある。
フェンス部に;10時31分(標高500m)
フェンス部から作業道は左の山に向かうが、これも衛星写真でチェックすると、登山口近くからの作業道が、このフェンス部を経て北西へと山に上っているように見える。この作業道は土佐北街道ではない。
土佐北街道標識1;10時32分
フェンスに沿ってフェンス北東端の作業道に;10時35分
フェンス部の北端部上側の作業道を進む;10時40分
土佐北街道標識;10時55分(標高530m)
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| 登山口からアプローチ部の詳細ルート |
作業道に出る;11時3分(標高580m)
注意;この作業道合流箇所も、上りはブッシュから作業道に出るので問題ないが、ピストン復路で作業道からブッシュへの下り口部で少し戸惑った。GPSでログはとっていても戸惑うほどのブッシュであり、逆道を下りてこられる方は少し難儀しそう。下りで作業道に出合った箇所から、ほんの少し右をブッシュの中へと入り込めばいい。
作業道;11時10分(標高595m)
嫁ケ岩・姑ケ岩;11時15分(標高620m)
山目野分岐;11時42分(標高750m)
送電線鉄塔;11時48分(標高770m)
林道が作業道と交差:11時58分(標高760m)
尾根筋を進む道は作業道と交差し、馬の背を越え、等高線を垂直に50mほど上ぼり、その先で910mピークを巻き30分ほどで高度を150mほど上げる。
おけいの岩;12時25分(標高910m)
「旧参勤交代北山越え」標識;12時59分(標高1030m)
登山道と思っていた地図上の「破線」から逸れるので、ちょっと心配にはなったのだが、標高1030m辺りからは等高線に沿って平坦な道を進み、背が低くなった木々の間を進むと平場に出た。そこには「旧参勤交代北山越え」の木標と「国見越え 殿様道」の案内があった。
●「国見越え 殿様道」
その中で南嶺の穴内川に沿う「穴内」は、国見越えの拠点であると同時に、西方を通る赤荒越えの入り口ともなっていた。
この穴内には藩政時代に番所が置かれ、穴内―本山の往還は険路で非能率であったにも関わらず、荷役の送夫が多く利用されていた。これは本山が北嶺地方の中心地であり、かつ藩主の止宿地であったからである。
また、九代藩主豊 雍(とよちか)公が国見峠より海を見て、“山幾重越えつつ見れば土佐の海や 千里の波も霞む長閑さ”と詠まれていることから、土佐湾もはるかに見えて眺めは素晴らしい。 平成7年 高知県」
標識が整備されてきた
道筋には「参勤交代道 本山方面」「参勤交代道香美方面」とか「歴史の道 参勤交代 北山道」といった標識が並ぶ。行政区が峠を境に土佐山田町(現在香美市)から長岡郡本山町に変わったためだろうか、標識が整備されているように思える。ちょっと安心。また、呼称も「参勤交代道」とされているようだ。
国見山分岐;13時10分(標高1010m)
当初の予定では国見峠か国見山分岐点でピストン折り返しの予定であったが、明日本山方面の里から上り、本日の最終地点と道を繋ぐ予定であり、繋ぎ地点となる、わかりやすい下山ルート地点まで進むことにした。道が消えても、目標として上る地点を確認するためである。
国見の石垣;13時33分(標高950m)
国見の石垣って?特に組まれた石垣があるようにも見えない。チェックすると、西の杖ヶ森との鞍部を20mほど土石を積み上げ、上り下りを緩やかにした道を指すようである。工事は江戸中期に行われたようである。
杖ヶ森を巻いて進む;13時39分(標高960m)
吉延への土佐北街道下山ルート標識;13時44分(標高960m)

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