日曜日, 8月 04, 2019

讃岐 歩き遍路;七十九番札所 天皇寺・高照院から高家神社を経て八十一番 白峰寺への登山口へ② 逆打ルート

今回は天皇寺・高照院から白峰寺へ向かう逆打ち遍路道をカバーする。このルートが開かれたのは江戸の中期以降、と言う。国分寺から一本松峠へのへんろころがしの急登を避け、七十九番札所である天皇寺高照院から高家神社に向かい、八十一番白峰寺、八十二番根香寺を打ち、八十番国分寺へと下って行くルートである。高屋口ルートと称される。
国分寺仁王門前の標石は八十三番札所・一の宮へのルートを案内していた。この逆打ちコースは多くの遍路に利用されていたのだろう。

メモは天皇寺高照院から標石を目安にお高家神社に向かい、白峰神社参道への分岐点までとし、その先稚児ヶ嶽を左手に見遣りながら西行の道を白峰寺へと上るルートは既に歩き終えた国分寺・白峰寺・根香寺散歩のメモに託す。

高家神社経由の八十一番札所白峰神社への遍路道
衛士坂の遍路道>予讃線踏切>県道33号を交差>原集落四つ辻の標石>原集落の標石>民家塀角の石灯籠>茂兵衛道標(137度目)>長命寺跡碑>姫塚>中川原集落入口の標石>県道16号アンダーパス前に石灯籠>雲井御所>中川原集落の標石>県道脇に標石>田圃の畦道を白峰中学校北側の道に>県道16号北側の標石>神谷川東詰めの標石>遍照院分岐点の石柱と標石>石灯篭と標石>遍照院経緯の遍路道合流点の標石>(遍照院>遍照院東側の標石>防火用水池脇の標石)>高家神社>高家神社傍、県道180号脇の標石>高家神社から白峰寺参道分岐点へ


高家神社経由の81番札所白峰神社への遍路道


衛士坂の遍路道
前述の如く、天皇寺高照院の正面赤鳥居を左折し旧丸亀街道の四つ辻に。既述の如く、左手に石灯籠と標石、右手に茂兵衛道標、四つ辻から北に下る坂道の右角に舟形地蔵が立つ。
国分寺への遍路道はここを右に曲がったが、茂兵衛道標も舟形標石も四つ角を直進する高家神社への遍路道を指す。
舟形石仏の傍に「衛士坂の遍路道」とある。この坂道は「衛士坂」と呼ばれるようだ。案内には、行き倒れとなった遍路を弔う石地蔵とあり、時代は明治かそれ以前か定かではないが、石工の刻んだ「へんろ」の文字がかすかに残る、とあった。地蔵標石の手印に従い坂道を下る。

予讃線踏切
緩やかな坂を下ると予讃線の踏切。「遍路踏切」と称される、と。巡打ちルートである80番国分寺から81番白峰寺への「へんろころがし」の急登を避け、逆打ちルートである79番高照院から81番白峰寺・82番根来寺、そして80番国分寺を打つこのルートを辿った遍路道の名残だろうか。

県道33号を交差
右手に八十場駅を見遣り、踏切を渡ると県道33号。県道を越えた遍路道はちょっと右手、駅方向に進み、田圃を北に進む道へと左に折れる。
八十場
古くは矢蘇場、弥蘇場、八十蘇場とも書かれた、と。景行天皇の御代、南海の悪魚を制すべく出向いた讃留禮王子と八十人の軍勢が、王子の持参した泉(前述の八十場の泉)の水で蘇生したが故の地名であることは既に記した。

原集落四つ辻の標石
畑の中を北西に直線に進んだ道は、ほどなく北東へと進む比較的大きな車道に合わさる。遍路道はここを右に折れて東へと向かう。
しばらく進むとこれも比較的大きな車道と交差。遍路道は坂出市役所西庄公民館の少し北、西庄の原集落の四つ辻を直進するが、四つ辻右角の民家の壁前に標石がある。手印と共に「扁路う道 是与白峯寺五十丁 嘉永五」といった文字が刻まれる。

原集落の標石
原集落の中を少し進むと、道の右手、電柱の根元に小さな標石があり、手印と共に「へん**」と刻まれる、と。摩耗しほとんど読めない。遍路道はここを左折する。






民家塀角の石灯籠
ちょっと進むと塀に囲まれたお屋敷の角に石灯籠がある。火袋の下に、「金」、「白」と刻まれる。金毘羅さんと白峰寺への奉灯の意。文化十四年のもと、と言う。遍路道はここを右折する。





茂兵衛道標(137度目)
道を進むとT字路の突き当り。その正面電柱の前に茂兵衛道標がある。手印と共に「右 天王 明治に二十七年」といった文字が刻まれる。逆打ち遍路の道案内だ。茂兵衛137度目の巡礼時のもの。





長命寺跡碑
道は綾川の土手に向かう。土手に上る手前、道の右手に4mほどの大きな石柱。長命寺跡の石碑。大正時代に建てられたもの。
長命寺
保元の乱に敗れ讃岐配流となった崇徳上皇が住んだ雲井の御所(後述)との説もあるお寺さまであった。長曾我部勢の兵火により焼失し、現在はこの石柱だけが残る。


姫塚
道が綾川の土手に上る長命寺石碑から200mほど西、田圃の中に如何にも塚を想わせる緑が茂る。Google Mapでチェックすると「姫塚」とある。ちょっと立ち寄る。
四方をブロック塀で囲まれた中に自然石があり、「崇徳天皇姫塚」と刻まれる。 上述、前述の菊塚は男児であったが、こちらは崇徳上皇と綾高遠の息女の間に生まれた皇女の墓とのことであった。



中川原集落入口の標石
往昔の遍路道は長命寺跡の石碑から綾川の土手に出た辺りより川を渡ったようだが、そこには橋はない。左岸を少し、県道16号に架かる新雲井橋を渡り、橋の東詰めを右折した後、直ぐに中川原の集落へと、道を左に折れる。土手を下りるとすぐに標石。手印と共に「左扁ろ道 寛政十」といった文字が刻まれる。遍路道は左に折れる。



県道16号アンダーパス前に石灯籠
標石を左に折れた遍路道は、すぐに右に折れ県道16号に沿った旧道を進むが、右に折れず左に向かうと県道16号アンダーパス前に石灯籠があり、「白峯」と刻まれる。このアンダーパスを抜けると崇徳上皇ゆかりの「雲井御所」へと通じる。
雲井御所
県道16号に架かる新雲居橋の東詰め、堤防から少し離れた中川観音堂の隣に「雲井の御所」があった。 案内を簡単にまとめると;崇徳上皇が讃岐に配流されたとき、いまだ御所ができていなかったので、国府に勤める当地の庁官であった綾高遠(あやのたかとお)の邸宅を仮の御所としたと伝えられる。
上皇はこの御所で3年を過ごしながらも、都を恋しく思い詠んだ歌か「ここもまた あらぬ雲井となりにけり 空行く月の影にまかせて」。月の光が雲次第で思うに任せられないように、ここも思いもよらない住処(御所)になってしまったなぁ...、と言った意味。雲井の御所の名はこの歌に由来する、と。また里の名も雲井の里とも称されるが、上皇が愛でた「うずら」をこの里に離されたが故に「うずらの里」とも。
崇徳上皇は府中鼓ケ丘木ノ丸殿の完成をもって遷御され、時代が経るにつれこの雲井の御所の場所もはっきりしなくなったが、天保6年(18835)に,高松藩主松平頼恕(まつだいらよりひろ)公によって,この雲井御所の跡地が推定され,現在の林田の地に雲井御所之碑が建立された,とあった。

中川原集落の標石
道を少し東に進むと、道の右手民家のブロック塀の前に標石。手印と供に、「是ヨリ白峯江三十六里 弘化四」といった文字が刻まれる。
県道脇に標石
この標石の少し手前に県道16号に出る道があり、県道角に標石。「雲井御所跡 西二丁」とある。アンダーパスができる前は、ここから雲井御所へと向かったのだろう。と言うか、現在は新雲井橋を渡り、東詰めを直ぐに左折すると道なりに雲井御所があるが、新雲井橋ができたのが昭和54年(1979)と言うから、それ以前はこの標石の道筋が雲井御所へのメーンルートであったのかもしれない。



田圃の畦道を白峰中学校北側の道に
旧道を進むと道は左に折れ、県道16号に合流するが、遍路道は直進し、田圃の畦道を抜け、県道187号を横切り、白峰中学校北側の道に出る。中学校の敷地が切れるところで左折し、県道16号を横切る。





県道16号北側の標石
県道を越え50mほどのT字路角に標石。手印と共に「八十一番 八十二番 八十番 左へんろ逆べんり」と刻まれる。八十一番>八十二番>八十番と進む逆打ちがべんり、と示す。
遍路道はここを右折すると思うのだが、手印は更に北方向を示す。昔は電柱に南東面してもたれかかるようにあった、といった記事もある。それならルートに合うのだが、現在はシッカリ固定されている。据え付け直されたのだろう。


神谷川東詰めの標石
手印で少々混乱し、ひょっとしたら間違い、などと思いながら道を進むと神谷川にあたる。そしてその東詰めに誠に立派な標石が立つ。オンコースであることがわかり一安心。
笠石のついた標石には、手印と供に「すぐ扁ん路ミち 四国八十一番霊刹 これより弐拾五丁三拾間 南此方 国分寺 壱里弐拾四丁 瀧之宮 弐里弐拾四丁四拾間 高松 四里弐拾六丁 一之宮 三里弐拾八町二拾間 仏生山 四里拾八町五拾間 寛政六」といった文字が刻まれる。




遍照院分岐点の石柱と標石
神谷川を渡り少し進むと、道の左手に2基の石柱。ひとつは寺名石碑。「厄除大師御旧跡 納経御祈願所 慈氏山 松浦寺」とある。もうひとつは標石。手印と共に、「厄除大師**みち 当山ハ大師乃かいき 本尊ハ四十二歳自作のみゑい** 慈氏山遍照院 *門内より**」といった文字が刻まれる。
高家神社への遍路道はここで二つのルートに分かれる。ひとつは直進し白峰山の山裾を高家神社にすすむルート。もうひとつはこの標石を左に曲がり遍照院前を経由して高家神社に向かうもの。

ついでのことではあるので、ふたつのルートを辿ろうと思うが、先ずは標石から直進するルートを進むことにする。

石灯篭と標石
北東に道を進み比較的大きな車道・鴨川(停)五色台線を横切り山裾に。山裾を左に弧を描火袋がない石灯籠と標石がある。
石灯籠には「白峯大権現 天照皇大神宮 金毘羅大権現 氏神 嘉永七年」といった文字が刻まれる。
標石は二面の角に大師像を浮き彫りにする。あまり記憶にない造りだ。また手印は右手の山方向を指し、「志ろみ年江是与六丁」と刻まれる。ここから左に折れ山道を白峰寺への遍路道があったのだろう。それにしても六丁とは。700m弱ということはほぼ直登ルートとなるようだ。

遍照院経緯の遍路道合流点の標石
集落の中を進み、坂を上ると松井春日神社。道はそこから下りとなり、右から道が合わさるT字路。そこが遍照院経由の遍路道との合流点。そこに標石が立つ。手印と共に「扁んろミち 安政四年」といった文字が刻まれる。





遍照院経由の遍路道
遍照院への分岐点の標石を左に折れ道を直進すると遍照院の石段前に出る。石段は草に埋もれている。
遍照院
弘法大師が四十二歳の厄年のとき、この寺で修行されたと伝わる。その故に「厄除大師」として知られる。境内には大師修行の求聞持石と呼ばれる大石がある、と。かつては多くの遍路が立ち寄った寺と言う。
遍照院東側の標石
遍路道は石段前を右折。民家と田圃の間の細路を進み、車道・鴨川(停)五色台線に合流したところ、道の左に小さな標石。手印と共に「すぐ扁んへん** 文久三」といった文字が刻まれる。
防火用水池脇の標石
車道を分かれ斜めに数メートル進むと道に出る。前面に防火用水があり、その前に三角形の自然石標石がある。手印と共に「へんろミち」と刻まれる。 遍路道はここを左に折れ、道なりに進むと状上述遍照院経由の遍路道合流点の標石箇所に出る。



高家神社
遍照院経由のルートを合わせた遍路道は、ほどなく道を進むと県道180号にあたる。T字路を右に折れ県道180号を進むと高家神社に着く。
参道入り口に「血の宮」、鳥居には「崇徳天皇」、随身門にも「崇徳天皇 高家神社」とある。「国史見在之社 高家神社 崇徳天皇御舊跡 血ノ宮」と刻まれた古い石碑もあった。
坂出市のWEBサイトには「昔からここには高家首(たかやおびと)の一族が居住し,遠い祖先である天道根命(あめのこやねのみこと)をお祀りして氏神としました。里の人には森の宮とも呼ばれ,貞観九年従五位下を奉られています。 崇徳上皇崩御ののち,白峰山に遺体を運ぶ途中,高屋村阿気(あけ)という地に棺を休めた時,にわかに風雨雷鳴があり,棺を置いた六角の石に,どうしたことか血が少しこぼれていたといいます。
葬祭の後,里の人は上皇の神霊を当社殿に合祀し,また,血のしたたった石も社内に納めました。俗に血の宮と称される理由です。また,朱(あけ)の宮ともいわれています。
地名の阿気(揚)も,そこから出たことなのかもわかりません」とあった。 死後十数日が立つにもかかわらず鮮血が零れ落ちたという台石も境内に祀られている。

高家首とか天道根命などちょっと気になるのだが、本筋からはるか離れてしまいそうであり、高家神社は崇徳上皇と深く関係した由緒をもつ社ということを以て思考停止。隣の観音寺にお参りし境内を離れる。
国史見在之社
コトバンクには、「六国史(りっこくし)に神名、社名がみえるが、『延喜式(えんぎしき)』巻9、10の神名帳には登載されていない神社をいう。国史現在社(げんざいしゃ)、国史所載社(しょさいしゃ)、式外社(しきげしゃ)ともいった。式内社とともに朝廷の尊崇厚く、由緒ある神社として重んじられる。その数は60余か国390余社に及び、記載の事由は授位、奉幣(ほうへい)、祭祀(さいし)、祈請(きせい)、鎮祭などによる。著名な社(やしろ)として石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)、大原野(おおはらの)神社、香椎宮(かしいぐう)などがある。また所在未詳のものが少なくない」とある。

高家神社傍、県道180号脇の標石
県道180号と高家神社参道との分岐点の左右に標石がある。道の右手に3基。「二十七丁目」「左しろみね道 是より二十七丁 大正二年」、手印と共に「白峰御陵参道 昭和十年」とある。
県道左手、「四国のみち」の木標の脇に2基の標石。小さな標石には手印と共に 「志ろ*ね」、大きな標石は茂兵衛道標。手印と共に八十一番 旧道 へんろみち 明治二拾七年」といった文字が刻まれる。茂兵衛134度目巡礼時のもの。



高家神社から白峰寺へのルート
高家神社から先は旧遍路道はなくなっているようだ。県道180号・鴨川(停)五色台線を1.7 キロほど進み、左に「白峰寺(徒歩)1km」の木標で車道を離れ白峰寺へと向かうことになる。
正面には稚児ヶ嶽が見える。ここはいつだったか国分寺から根香寺、そして白峰寺へと歩き、麓の青海神社(煙の宮)へと下ったルートの途中。これから先は先回のルートメモに渡すことにして、今回のメモはこれで終了。
順打ち・逆打ちで天皇寺高照院と国分寺、白峰寺、根香寺への遍路道を繋いだ。次回は順打ちであれば八十二番・根香寺から八十三番・一の宮、逆打ちであれば八十一番・国分寺から八十三番・一の宮への旧遍路道を歩くことにする。

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