水曜日, 5月 01, 2024

高知 滝巡り:にこ淵と程野滝巡り

現在東京と田舎の愛媛、半々の生活。田舎である新居浜に居る時は、宿をリクエストしてくる国内外の人に寝る部屋を提供しているのだが、5月にお見えになるフランス人のカップルはアウトドア志向のようで、石鎚山と高知県吾川郡いの町の「にこ淵」に行きたいとのこと。
石鎚山は勝手知ったるといった山なのだが「にこ淵」には行ったことはない。所謂「仁淀ブルー」で知られた淵であり、ゲストもそのコピーと写真に惹かれたのであろう。とはいえ、「仁淀ブルー」が見れるのは太陽の光とか諸々の条件が合ったときであり、それ以外は深い緑の水をたたえる淵に過ぎないのではと思う。
片道1時間半もかけ、澄んだ水を見に行くのもなんだかなあ、にこ淵の近くに見どころでも、とチェックする。と、にこ淵のある枝川川(高知には「川川」と「川」が重複する川名が多い)の北に屹立する山稜に落差500mほどの断層崖があり、そこに東西4キロに渡って4つの滝が並ぶ。東から大樽の滝、権現滝、西滝、東滝。程野滝と総称されている。
この辺りは四国を東西に走る中央構造線とその南の荷鉾(みかぶ)構造線に挟まれた「三波川変成帯」と呼ばれる変成岩帯にあり、国土地理院の地質図で見ると、珪質片岩とか緑泥石帯といった岩質と泥質片岩の岩質の変成岩の境で滝となって落ちている。川は長い時間を掛けて岩盤を削り段差を作り滝を形成するわけだが、珪質片岩は固く、もうこれ以上岩盤を削ることができなくなったため滝となっているのだろう。日本の華厳の滝、アメリカのヨセミテ国立公園のヨセミテ滝も珪質片岩を岩質地帯で形成されているようだ。
ということで、にこ淵&程野の滝巡りであれば、にこ淵の「仁淀ブルー」が見れなくても何とかなるかと考える。とはいうものの、ゲストは前日は石鎚。往復8時間ほど歩くわけで、あまりハードなトレッキングは大変だろうと、どれほどのルートか事前踏査に出かけることにした。遊歩道もあるようなので、今回はあまりきちんんと事前にルートチェックすることなく、また、滝にそれほどの思い居れもないわけで、厳しいルートであればゲストを案内することはできないため、即引き返すといった、ほぼ行き当たりばったりで滝巡りに出かけることにした。



本日のルート:グリーン・パークほどの駐車場>俳句の道の石碑・東滝登山口>分岐を山側の道に進む>水車小屋分岐標識>西滝への遊歩道入口・西滝駐車場>西滝からの枝川川の支流沢を越える>西滝・東滝と権現滝・大樽の滝分岐点>国道194号が眼下見える>権現滝>滝の分岐点に戻る>西滝展望所>西滝の滝つぼ>標識が続く>鉄橋の架かる沢に滝>山神荒神>桟道が整備された岩壁下の道を進む>東滝分岐点に>東滝渓谷>滝つぼ分岐点>東滝の滝つぼ>西滝・東滝分岐点の標識>水車小屋・東滝分岐標識>廃屋傍より南のルートに入る>藪漕ぎ>下山
●東滝探訪所
●にこ淵




グリーン・パークほどの駐車場:午前9時28分
「グリーン・パークほどの」駐車場
午前8時前に家を出て西条市の加茂川に架かる加茂川橋の西詰で南に折れ国道194号を進み寒風山トンネルを抜け吉野川水系桑瀬川に沿って南下する。本川トンネルを抜けると吉野側大橋貯水池。そこから吉野川に沿って南下、立橋で吉野川本流と分かれ支流の大森川の谷筋を走り新大森トンネルを抜ける。この山稜が吉野川と仁淀川水系の分水界。新大森トンネルを抜け枝畝トンネルを抜けると高度をどんどん下げ枝川川の谷筋に一気に下りる。
枝川川に沿って少し進むと、道の左手に「にこ淵」「程野の滝」の案内。国道を離れ「にこ淵」に向かう。にこ淵までは2キロ弱。到着は午前9時頃。陽も当たっていない為「仁淀ブルー」には少々早いかと、にこ淵の周辺には各所に無料駐車場があることだけを確認しスルー。にこ淵を見るのは本日の仕上げとして、更に3キロ弱東に進み「グリーン・パークほどの」の駐車場に車をデポする。程野滝案内図を見て、滝の周回コースをうまく辿ればこの駐車場近くに出るであろうとの思いから。 「グリーン・パークほどの」はオートキャンプ場や、テントサイト、バンガローなどのあるアウトドア志向の施設のようだ。

俳句の道の石碑・東滝登山口:午前9時35分
「グリーン・パークほどの」を離れ、車で上ってきた道を数分戻ると道の右手、法面上に「俳句の道」と刻まれたの石碑に「東滝登り口」とある。その傍にスロープがあり、法面上を西に道がある。うまく滝の周回ができればここに出てくることになる。
思惑としては、もう少し西にある遊歩道入口から山入りし、遊歩道を西滝・東滝と権現滝・大樽の滝の分岐点まで進み、まずは分岐を西にとり権現滝と大樽の滝へと向かい、同じ道をピストンで分岐点まで戻り、西滝・東滝を見た後、この俳句の道へと下りてくることとした。「グリーン・パークほどの」に車をデポしたのもここに下山することを計画したためである。何故に「俳句の道」なのかは不明。

分岐を山側の道に進む:午前9時48分
右の道をとる
程野滝案内図

車で登って来た道を折り返すこと20分ほど。東滝から流れ落ちる枝川川本流に架かる橋を渡った直ぐ先で、道はふたつに分かれる。遊歩道入口は山側の道をとる。
分岐点に「程野滝案内図」がある。この図では先ほどの俳句の道の石碑のあったところが、「滝・遊歩道登り口」と記されているが、この分岐点の先、舗装が切れるところからも遊歩道があり、先に権現滝と大樽の滝をカバーし終えてから西滝・東滝へと廻ることにしたためこのルートを進むことにした。
上述の如く高知には上八川川とか槙川川などと「川」が重なる川が多い。枝川とか上八川は地名であり、そこを流れる川であるため川をつけているようだ。地名と川の位置関係がはっきりするが、なんとなく慣れない。

水車小屋分岐標識:午前10時
水車小屋分岐標識
岩壁が見えてくる
前方にゴツゴツした岩肌の岩壁が見えてくる。川が岩肌を削ることができなくなり滝をつくった固い珪質片岩の岩質なのだろうか。前述の如くこの辺りは四国を東西に走る中央構造線とその南の荷鉾(みかぶ)構造線に挟まれた「三波川変成帯」と呼ばれる変成岩帯にあり、これらの岩石は、約1億7千万年前のジュラ紀の頃に赤道付近からプレートにのって移動をつづけ、大陸とのプレート接触面で沈み込むことなく当時の日本列島に付け加わっ、所謂「付加体」であるといった記事もあった。
とはいうものの、海洋プレート上に堆積した海底堆積物は、海洋プレートが大陸プレート下へと沈み込むに際し、プレートと共に沈み込むことが出来ず、?ぎ取られ大陸プレートにくっつく(付加)。lこれが付加体であり。とすれば日本列島の土台は付加体によって形成されているわけで、珪質片岩の岩質である変成岩(火成岩や堆積岩が熱や強い圧力によって変化してできた岩石のグループ)よりなるこの岩山も日本列島の土台となる「付加体」ひとつということだろう。
10分ほど舗装された道を歩くと右に逸れる道があり、そこに「水車小屋 0.2km」の標識がある。標識を見遣り先に進む。

西滝への遊歩道入口・西滝駐車場:午前10時15分
大きくなる岩壁を前方に見遣りながら15分ほど歩くと舗装が切れ、「遊歩道→西滝」の標識が立つ。 標識前には3台程度は駐車できるスペースもあり、地図には西滝駐車場とも記される。 ガードレールには「山ありダニあり」の注意看板。言い得て妙なコピー。今までダニにやられたことはない。
「グリーン・パークほどの」から舗装された道をおおよそ50分歩いたことになる。当初この西滝駐車場にデポしピストンで戻るってことも考えたのだが、道が踏まれているかどうかわからない。踏まれておれば東滝まで辿りピストンでも問題ないのだが、でなければ戻りはちょっと厄介。東滝から下山するほうが気が楽ということで上述のルーティングとしたわけだ。
西滝からの枝川川の支流沢を越える:午前10時24分
踏まれた道を進むと
西滝からの沢にでる
よく踏まれた道を10分ほど歩くと大岩が転がる沢に出る。沢の手前に木の標識があり、「駐車場へ0.21km / 西滝(中腹)へ0.55km /権現滝 ・大樽の滝へ」と記される。
地図を見ると西滝から流れ落ちてきた枝川川支流の沢であった。大岩の間を流れる水流は結構勢いがある。沢の右岸に踏み跡らしき箇所を確認し沢を渡る。足元が濡れるのはかなわん、なとど心配したが、うまい具合に大岩が転がり、岩を乗り継ぎ水に濡れることなく徒渉できた。

西滝・東滝と権現滝・大樽の滝分岐点:午前10時44分
東西の滝の分岐点標識
沢を渡り高度を上げる

沢を渡った後、南に突き出た岩壁を避けるように道は南に迂回しながら高度を上げる。途中木に括ら得たリボンもありオンコースであることが確認でき心強い。坂道を進み高度を80mほど上げると標識が二つあり、「権現滝へ」と「権現滝へ0,42km 大樽の滝へ1.16km / 西滝へ0,9km 東滝渓谷へ1.34km /駐車場へ」と記される。西滝からの沢から10分ほどで到着した。
ここを右に折れ東に向かうと西滝・東滝、左に折れ西に向かうと権現滝・大樽の滝へと向かう分岐点。計画通り西へと権現滝方面に向かう。

国道194号が眼下見える:午前11時8分
小滝で渇きを癒す
分岐点で10分ほど小休止し権現滝へと向かう。木の標識傍に「大樽の滝へのルートは道幅が狭く、急坂があります。足元には注意してください。また、落石・落枝にも注意してください」の案内がある。はてさて、どうしたものか。取り敢えず先に進む。
国道194号が眼下見える
10分ほど歩くと山側の岩場から水が滴り落ちる。実のところ分岐点標識での小休止の折水の入ったペットボトルを落とし、坂を転げ落ち、あっと言う間に谷へと落ちていった。滝巡りでもあり滝つぼで水分補給ができるとは思っていたのだが、はやくもここで滴り落ちる水を手で受け水補給。一安心して先に進む。

 2分ほど歩くと眼下に先ほど走って来た新大森トンネル、枝畝トンネルを抜け枝川川に向けて下り枝川川谷筋手前でヘアピン状に曲がる国道194が眼下に見える。

権現滝:午前11時17分
直ぐ小さいが荒れた沢がある(午前11時11分)。が、その先はよく踏まれた道となり、快適に道を進むと権現滝に着く。Googleの地図には権現滝はもっと標高の高い所にピンが立っており上りを覚悟していたのだが、実際は滝の分岐点からほぼ等高線に並行な道筋を辿り滝に着いた。ピンが立つのは滝の落ち口なのかもしれないが、Googleの地名ピンは時にとんでもなく違った場所に立つこともあり、この場合はどちらかは不明。
岩場から流れ落ちる権現滝はそれほどのスケール感はないが、何となく趣きがある。しばし滝を眺め休憩する。

滝の分岐点に戻る;午前11時39分
さて、次は大樽の滝。標識には「大樽の滝0.74km」とあり、そこにも「注意 これから先道巾が狭くなります。足元注意」の案内。滝フリークならまだしも、ゲストが安全に歩けるかどうかの事前踏査でもあり、怪我でもされたらとちょっと心配になり、大樽の滝に行くのは止めてここで引き返すことにする。20分弱で分岐点に戻る。
後から大樽の滝の記事を見たのだが、滝つぼからの眺めもそれほどではないようで、行かなくてよかったと自分を納得させた。
分岐点より西滝方面へと向かう。岩床上であろうフラットな道を歩く。途中、「権現滝へ0.56km 大樽の滝へ1.30km / 西滝へ0.5km 東滝渓谷へ1.30km」と記された標識も立つ(午前11時46分)。

西滝展望所:午前11時47分
その直ぐ先、眼前が開け岩壁を流れ落ちる西滝が見える。岩場先端には鉄パイプで囲われたに展望所もある。分岐点から10分ほどで着いた。
西滝は100mどの落差の滝が何段かに分かれた岩壁を下り落ちる。断層崖の高さが500mほどというから、全体では400mほどになるのかも知れない。結構水量も多いようだ。






西滝の滝つぼ:午後12時3分
岩壁下を辿り
西滝の滝つぼに
西滝展望所より西滝より流れる沢筋に下る。巨大な岩壁下の土径を進むと大岩の転がる沢に出る。左手を見ると岩壁から水が落ちている。岩壁の岩場といった感はない、ここが西滝の最下段の滝つぼかと思う。上段部は見えないため、展望所で見たスケール感はない。
沢で切れた遊歩道の左岸取りつき口を探す。木の標識が立っている。そこを目安に沢を徒渉。ここも大岩が都合よく転がっており、足元を濡らすことなく対岸に渡れた。


標識が続く
沢の左岸に立つ「東滝渓谷へ」(午後12時8分)の標識より、その先よく踏まれた道を進む。数分歩くと「西滝(赤滝)へ0.1km 権現滝・大樽の滝/ 水車小屋」とともに斜め上に向かって「滝の上へ」と記された標識が立つ(午後12時13分)。特段滝フリークというわけでもないので、滝の上から落ち口を見たいとも思わずスルーして先に進む。
10分弱歩くと「西滝/東滝」と記された標識(午後12時21分)。さらにその直ぐさきにも「西滝へ0.27km 権現滝・大樽の滝 / 東滝へ0.78km」と記された標識が立つ(午後12時23分)。距離の割にはちょっと多い気もするが、ともあれ標識があるのは安心できる。



鉄橋の架かる沢に滝:午後12時35分
沢に鉄の橋が見えてくる
名もなき滝
岩壁下の道を10分強歩くと道は沢に向って下ってゆく。と、眼下に沢に架かる鉄の橋が見えてくる。橋まで進み山側を見遣ると結構な滝が落ちる。程野四滝には含まれていないようだが、よさげな滝であった。








山神荒神:午後12時43分
橋を渡ると木の標識。「西滝へ/東滝へ0.67km 東滝上駐車場へ0.94km」と記す。国土地理院地図には記載されていないが、上述「程野滝案内図」には東滝より枝川川本流の右岸を上り山稜へと上る車道と繋がるルートが記されていた。地図に記される東滝駐車場にデポし、滝巡りをする方もいるのだろう。
沢筋より上りの道は自然石で組まれた石段となっている。30mほど高度を上げると岩壁が屹立しその窪み前に木の鳥居が立ち、窪みには祠が二つ並ぶ。鳥居には「山神荒神」とあった。山神荒神は山の神と荒神が習合した神。山の恵みを与えてくれる神であり、山の自然を守護する神である。
山神荒神

荒神信仰は、日本古来の信仰と仏教信仰が融合した、複雑な歴史を持つ信仰。その起こりは縄文の時代にまで遡る。縄文時代から弥生時代にかけて、人々は自然を畏敬し、火を神格化していた。これが荒神信仰の起源と考えられる。具体的には、火を司る神様であり山の神様などとして信仰されていたようだ。
仏教伝来とともに、荒神信仰は仏教思想と融合し始める。特に密教の影響を受け、荒神は金剛力士や不動明王などの仏と結び付けられるようになる。
中世になると、荒神信仰はより広く民衆に普及していく。特に農村地帯で盛んになり、五穀豊穣や家内安全などの祈願のために荒神を祀るようになった。また、武士の間でも荒神の信仰が広まり、戦勝祈願などに利用されるようになったと言う。
近世になると、荒神信仰はさらに多様化していった。地域によって様々な形態の荒神信仰が生まれ、独自の信仰体系が形成される。また、荒神を祀る神社仏閣も各地に建立されるようになった。 山の神信仰も荒神信仰と同じく、縄文時代から弥生時代にかけての原始信仰にその起源を持つと考えられている。自然を畏敬し、山の恵みに感謝の気持ちを込めて、山を神格化していた。具体的には、山の神は狩猟、登山、林業などの山の仕事に関わる人々の守護神として信仰されていた。
仏教伝来とともに、山神信仰は仏教思想と融合し始める。荒神信仰と同じく特に密教の影響を受け、山神は金剛力士や不動明王などの仏と結び付けられるようになった。また、山岳寺院が建立されるようになると、山岳寺院の鎮守神として山神が祀られることもあった。
中世になると、山神と荒神が習合し始める。荒神は火の神様として信仰されており、山間部では火災などの自然災害に対する畏怖の念から荒神信仰が盛んであった。山神と荒神が習合することで、山神は火の神としての性格も持ち合わせるようになり、より多様な信仰体系が形成されることになる。 こうして山神荒神信仰は全国に広まっていったようだ。

桟道が整備された岩壁下の道を進む
山神荒神より5分ほど歩くと岩壁に沿って進むことになる。道には桟道が整備されている。桟道が無ければとても進めそうもない。桟道整備以前はどうしていたのか結構気になる。










東滝分岐点に:午後13時13分
山神荒神より30分ほど歩くと標識がある。「西滝へ0.98km 権現滝・大樽の滝 / 森林公園 東滝上駐車場0.39km / 東滝渓谷0.07km」とある。道を直進すれば森林公園・東滝上駐車場。東滝は標識の案内に従い右に折れ沢に向かって下る。



東滝渓谷:午後13時22分
分岐点から東滝渓谷まで70m。比高差20m弱の坂を下りると枝川川本流の沢に出る。沢の手前に標識。「東滝渓谷」の文字とともに「駐車場へ0.46km 西滝へ1.1km /滝つぼへ0.46km 俳句の道登り口へ1.43km」と記される。この場合の駐車場は東滝上駐車場のことを指すのだろう。
大岩が転がるのは西滝と同じ。が、辺りに滝の感じはしない。位置からすれば滝はこの岩場の下だろうとは想うのだが水の音も聞こえない。標識には「滝つぼへ0.46km」とあり、俳句の道登り口と同じ方向を指す。ここより更に先にあるのだろうと沢を渡る。この沢筋もうまい具合に大き岩が転がり、岩を伝い足元を濡らすことなく徒渉できた。
が、左岸に渡ると踏み跡がいくつかあり、どれがオンコースがよくわからない。こういうところに標識が欲しい。ともあれ、最も山際の踏み跡を辿ると先に続いていそう。道はよく踏まれており、鉄パイプの柵も整備されている。取り敢えずルートを下ることにした。

滝つぼ分岐点:午後13時36分
沢筋から10mから20mほど上り沢沿いの道を進む。標識は何もない。ちょっと不安になりながら15分ほど歩くと標識が立っていた。「東滝渓谷へ0.3km 西滝駐車場 / 登り口 / 滝つぼへ0.15km」とある。この西滝駐車場は車道が切れ、西滝遊歩道に入るところにあった駐車場のこと。「滝の上へ」の案内もあったが、それは先ほど渡った東滝渓谷の岩場のことだろう。岩場を谷側に進めば滝の落ち口などが見えたのかもしれない。
それはともあれ指示に従い道を沢側に逸れ坂道を下る。眼下に木々の間から滝が見えてきた。

東滝の滝つぼ:午後13時43分
下り切ると沢に出る。数段に分かれた滝の最下段は大岩を滑り落ちる滑滝となっている。結構いい感じ。沢登りのギアを用意しておれば這い上がれそうにも思える。滝つぼから見ては滝のスケールを感じることはできなかった。








西滝・東滝分岐点の標識:午後14時12分
竹林が現れると里は近い
枝川川対岸の山稜も見えてくる
滝坪分岐点まで戻り(午後13時56分)、踏まれた道を下る。10分ほど歩くと竹林の中の道となる。竹林があれば里は近い。前面も少し開け枝川川南の山稜も見え隠れしはじめた。
分岐点から20分ほど歩くと「西滝へ1.37km / 東滝へ 滝つぼへ0.51lm」の標識が立つ。程野滝案内図には、枝川川を越えて西滝に向かうルートが記されている。






水車小屋・東滝分岐標識:午後14時17分
更に数分進むと「水車小屋へ0.34km / 東滝滝つぼへ0.55km」の標識が立つ。とはいうものの、ちょっと見た感じでは敢えて進みたくはないような荒れ具合に見える。後からチェックすると現在は利用されていないようだ。



廃屋傍より南のルートに入る:午後14時19分
割としっかり建つ廃屋横から南に入り込む
倒壊した廃屋の辺りを進むが踏み跡はない
その直ぐ先に廃屋が建つ。その辺りから東へと国土地理院地図に破線ルートが記される。東へと向かう道は結構踏まれているのだが、国土地理院地図を見るとそのルートは俳句の道の石碑があった東滝登り口ではなく、北に上ってゆく。そして、そのルートの一筋南にも地理院地図に破線が記されており、そのルートは俳句の道の石碑へと繋がっている。ということで、廃屋から南へと入り込んだ。結果的にはこれが大誤算。藪漕ぎと格闘することになる。
オンコース
結論から言うとオンコースは廃屋前から東に続く踏まれた道であり、途中で俳句の道に繋がる箇所があり、滝・遊歩道登り口に出られるようだ。

廃屋と藪漕ぎ
廃屋はあるのだが踏み跡はない
その先は激しい藪
大人しく踏まれた道を東に進めばスッと東滝登り口に出られたのだが、そんなこと知る由もなく、地理院地図に記された一筋南の破線を追っかける。が廻りには潰れたもの、荒れ果てているがやっと建っていると言った廃屋があるだけで踏まえた道などどこにも無い。
それでも家があったのであれば道もあったに違いないと踏まれた道を探し求める。が、藪が酷くなるだけでとても先に進めそうもない。近くで沢の音が聞こえたので沢筋なら藪も少しはましだろうと沢に入り込み先に進む。GPSが頼りの綱。

辛抱たまらず力任せに道に出る:午後15時12分
藪と格闘するのをあきらめ
車道にエスケープ
なんとなく車道が近づいた感があるところ、放棄された耕作地跡らしきところで沢から離れ車道上に。予想通り法面があり、微妙な段差なのだけど車道に飛び降り下りることはできそうもない高さ。で山行きの際は常に携行しているロープを取りだし、しっかりした木をみつけロープを木の左右に振り分け、先にザックを下し、そのあと法面をくだり道路に出る。下山口は俳句の道の石碑の立つ箇所の結構西であった。
時間は午後15時12分。藪に遮られ1時間弱格闘したことになる。

車デポ地から東滝展望所: 午後15時58分
下山口から20分弱歩き車デポ地に戻る。その後、車を走らせ東滝展望所に。距離は結構離れており、これはと思うほどの眺めとはならなかった。



にこ淵:午後16時26分
車道より階段を下りると
にこ淵。仁淀ブルーには出合えなかった
そこから道を折り返しにこ淵に。時刻は午後16時26分。上述の如くこの辺りは四国を東西に走る中央構造線とその南の荷鉾(みかぶ)構造線に挟まれた「三波川変成帯」と呼ばれる変成岩帯にあり、結晶片岩をその特徴とする。にこ淵も川床が緑色片岩であり、それが太陽の光を受け、ために極めて鮮やかな青い水面が見られるためだろう。が時は既に午後4時を越えている。予想通り仁淀ブルーとはほど遠い、が、それでも澄み切った淵を見て本日の予定を終了する(写真は実際目にした深い緑ではなく、心持ちブルーに写っていた)。
で、ゲストのガイドプラン。基本は大樽の滝を除いた今回歩いた滝の周回コースだろうが、5時間から6時間ほどになる。前日8時間ほど石鎚を歩くわけで、結構きつい、かも。今一つこれだ、といったルーティングは組み上げられそうもない。石鎚登山で疲れ果て、休息日としたいとゲストから+言い出すことを祈ることにする。

SUUNTO・GPSwatchの3D動画
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