水曜日, 10月 12, 2005

多摩丘陵散歩 Ⅱ:小山田緑地から尾根緑道を歩く

一回目の多摩散歩のとき、鶴見川に出合った。帰宅し源流地点を探した。上小山田のあたりだ。里山の雰囲気が色濃く残りなかなか面白そう。行かずばなるまい、ということで、ふたたび多摩丘陵散歩に。



本日のルート;唐木田駅>多摩市総合福祉センター前>清掃工場>よこやまの道・尾根道>トンボ池>山田緑地(本園でなない)>アサザ池>小山田緑地・梅木窪分園>トンボ池>善治ケ谷>小ケ谷>山の端>大泉寺>山の端橋・鶴見川>鶴見川源流の泉>尾根道幹線>長池公園>南大沢駅

小田急・唐木田駅

小田急・唐木田駅下車。多摩センターから西にひと駅。結構落ち着いた町並み。唐木田の由来は唐からの渡来人が開いた田畑があったとか、崖崩れなどで枯れ木で田が埋まったとか、例によってこれもいろいろ。
駅前から小山田緑地へのアプローチ地点・東京国際ゴルフ場を目指す。といっても、駅前からゴルフ場の緑が見えている。そんな距離。
多磨清掃工場の裏手、ゴルフ場との間の道を上る。車の通りも多い。坂を登りきったところにちょっとした公園。丘の上に大妻女子大学・短大が見える。唐木田駅から大妻女子大学・短大に沿ってくる道もある。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)


小山田緑地
公園に案内板。「多摩よこやまの道」ガイド。案内板前を今来た方向に戻るように尾根道に入る。いい感じの山道。右手は美しい森。左手は開け、多摩の街並が見下ろせる。歩を進める。東京ガスのタンクを左手に見るあたり、小山田緑地・トンボ池への道案内。

奥州廃道
奥州廃道の案内。奥州廃道は、奥州街道最も古いとされる道筋。小山田の大泉寺から東京国際ゴルフ場の中をとおり、唐木田駅の近くを北上していた、とされる。 別名長坂道。昔、唐木田駅あたりにあった地名だが今はない。で、この分岐路、直進すれば「よこやまの道」。右折すれば小山田方面に。


小山田方面に
右折する。鬱蒼とした樹林。大久保分園への分岐。分園の意味もわからず、本道からそれて分園に。急な坂道。結構下りる。これを下りきってしまえば、戻り大変と途中で引き返し本道へ。歩く。左手はゴルフコース。進むにつれ尾根道とゴルフ場の境目がなくなる。トンボ池への案内。下りていく。ちなみに分園。小山田緑地本園に対するもの。

トンボ池
トンボ池へのアプローチ、いかにも里山の雰囲気。畑のあぜ道を進む。子供のころ、日曜には祖母のご下命により家族皆で畑作業にいった、その記憶が甦る。
トンボ池。湿地なのだろう。木の散歩道が整備されている。とはいえ、秋のこの時期にはあまり水はなかった。

トンボ池の横に「小山田緑地」の案内碑が。案内に従って進む。いい雰囲気。里山と畑。道は次第に上りに。結局尾根道に戻る。登りきったところに案内図。案内図のところの三叉路をトンボ池方面に下れば里に向う。が、地図にある尾根道を進み大泉寺に向うことにした。
ふ たたび尾根道というか、ゴルフ場の中を進む。ゴルフのカートとすれ違う。本園、管理所という案内に従って歩く。とはいうものの、この時点では先ほどの分園と同じく、本園も管理所もなんのことかわかっていなかった。本園というのは、このゴルフ場の南にある「小山田緑地」本園のことだった。また、管理所もこの「小山田緑地」本園内にある管理所のことだった。

アサザ池
ともあれ、なにもわからず進む。なりゆき。アップダウンが続く。尾根幹 線へ10分といった指示。が、これでは唐木田駅のほう、というか北に戻ってしまう。南に進みたいわけだ。更に進む。アサザ池、吊橋の案内。進む。アサザ池に。トンボ池同様の湿地。里山風景が心よい。アサザ池から先へと進む。吊橋は?見つからない。後からわかったのだが、吊橋はアサザ池から尾根に上り、尾根伝いに「小山田緑地」本園へ向かう途中にあった。


完全に道に迷う。行き止まり。無理矢理押し進む。道なき道を進む。崖を登る。尾根道に。だが、どこにいるのかわからない。梅木窪分園との表示。進む。またまた行き止まり。向かいに車道が見える。
雑草の中を登山杖で前を確認しながら、なんとか車道に戻る。自動車修理工場などもある。ゴルフ場内なのか外に出ているのかはっきりしない。とりあえず進む。 いまだどこにいるのかわからない。道なりに坂をのぼりはじめる。なんとなく元に戻っている感じ。歩き続ける。結局、トンボ池から上りきったあたり、案内板のあった三叉路に戻ってきた。

大泉寺
トンボ池に向って道を下る。民家・農家の前、畑にそった道を下る。里に下りた。善治ガ谷の町並の中を歩く。栗畑が多い。栗も結構実っていた。道祖神、地蔵が多い。155号線、山の端交差点に。左折。すこし歩いて大泉寺に。

小山田氏
このお寺は平安末期から戦国時代、南北朝にかけこの小山田の荘を統べていた小山田氏の居館跡。桓武平氏の流れをくむ秩父太郎有重が、この地の牧の管理者(別当)として赴任し小山田を名乗ったのが始まり。頼朝旗揚げの時、有重、京都の大番役。関東の小山田一族は平家として戦いに加わる。が、秩父氏の総領畠山氏のとりなしもあり源氏方として活躍する。次郎重義は小野路城、三郎重成は稲毛の桝形城で稲毛氏、四郎重朝は保土谷地方を領して榛谷氏、五郎行重は図師川島の砦を守る。子どもたちもそれぞれ武勇の誉れ高く、特に三男重成は鎌倉幕府の侍大将として名を成し、妻に頼朝夫人政子の妹を娶ったほど。将
軍の義理の弟になったわけだ。
重成の話をもう少々。以前鎌倉散歩のとき、頼朝が橋の完成を祝いに出向いた帰り道、馬から落ちてなくなった、とメモした。その橋というのが、重成がなくした妻の冥福をいのるために相模川にかけたもの。こんなところで、鎌倉散歩と繋がるとは。。。

小山田一族のその後を少々;頼朝の死とともに、小山田一族の勢いは次第に衰えてゆく。頼朝にも篤く信頼されていたこの小山田一族、頼朝亡き後の実権を握らんとする北条時政にとっては目の上のたんこぶ。北条時政の謀略により、従兄弟で武蔵武士の鑑と言われた畠山重忠の謀殺に荷担したとされ、さらに重成はその弟重朝とともに、畠山重忠の死の責任をとらされるかたちで、将軍実朝によって二股川で謀殺された、と。その後、小山田一族は関東や甲州に四散したとか。
大泉寺の開山堂は素朴でしかもどっしりとしたつくり。いい感じ。本堂は鉄筋つくり?少々情緒に欠ける。境内に向って一直線にのびる道、流鏑馬の馬場の名残か。そういえば小山田兄弟、馬術にすぐれていた、と案内に書いていた。

鶴見川源流の泉 
大泉寺を離れ鶴見川の源流点に向かう。長い参道を下り県道155線に出る。都道155号線は町田市図師、都道57号線図師大橋交差点から別れ、尾根幹線道路を抜けて京王堀之内駅、多摩テック、平山城址公園駅を経て国道20号線に合流する都道。道脇の鶴見川に沿って西に進む。


小山田小学校のあたりで川筋は消える。暗渠となっているのだろう。先に進み、小山田バス停のあるあたりで道が分岐。右に折れる155号線と別れ道なりに先に進む。里山の景色を楽しみながら先に進むと鶴見川源流の泉に。道脇にある。 
湧水の水量は多い。日量1,300トン自噴するという。鶴見川の源流はこの湧水と、周辺の谷戸から集められた「絞り水」によってつくられる。北には尾根道幹線の通る尾根。西には尾根道緑道。尾根道緑道は鶴見川と境川の分水界となっている。これらの尾根に囲まれ「鶴見川源流保水の森」が湧水であり、谷戸の水を養っているのだろう。
源流の泉のある70ヘクタールの田中谷、その下手に広がる中央の谷地形、森や多くの谷戸が織り成す里山の景観は、まことに、のんびり、ゆったり。源流の泉で湧き出る水をぼんやり眺め、少し休憩

長池公園
道を先に進む。尾根道幹線に上る。右に尾根道幹線を跨ぐ橋。橋を渡り長池公園に。とはいうものの、道は公園に沿って西に進む。すぐには公園に入れない。後からわかったのだが、そこは米軍の
施設。由木通信所。横田基地の管理下にある極超短波(UHF)の通信中継施設、と言う。 南大沢南交差点近くまで引っ張ってこられ、やっと公園の入り口に。
道なりに進むと、右下に池が見える。この池が公園の名前ともなった「長池」。別所川の水源ともなっている湧水池。この池には浄瑠璃姫の伝説が伝わる。


聖武天皇御世、と言うから、8世紀前半の頃。武州大磯で海に光るもの。漁師が拾い上げると薬師如来。通りかかったのが三河の岡崎四郎。薬師如来を持ち帰り、そのおかげもあり姫を授かる。その姫の名前が浄瑠璃姫。 姫は小山田太郎高家の側室となる。そのとき、守本尊として薬師如来を持参。
小山田太郎高家は北条により滅ぼされた小山田氏の末裔。先ほど訪れた大泉寺に居を構えたあの小山田氏である。高家は新田義貞に従い鎌倉攻めなどに参陣。が、足利尊氏との湊川の合戦で討ち死。義貞の身代わりとして討たれた、と。 
浄瑠璃姫は悲しみのあまり、侍女ともども、この長池に身を投げる。その後、数十年をへたある日、この池の畔を歩く和尚が池に光るものを見る。拾い上げると薬師如来。和尚は持ち帰り供養。多くの人々が参詣に訪れた、と。 長池より湿地に沿った散策路をくだると大きな池。築池、と。農業用の溜池。池の畔を成り行きで進み南大沢の駅に進み、本日の散歩を終える。

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