木曜日, 8月 02, 2018

土佐北街道散歩 権若峠越え:南国市釣瓶の登山口から権若峠を越えて香美市町の穴内ダム湖畔に下りる

先回国見峠を越え、土佐の城下から伊予の川之江を結ぶ土佐藩参勤交代の道・土佐北街道を遮る峠は南国市から国見登山口のある香美市穴内を繋ぐ権若峠(コンニャク・ゴンニャク)を残すだけとなった。標高1000mほどの国見越えを2回にわけて道を繋いだ後でもあり、標高は600mほど、距離は国見越えの三分の一といったもの。しっかりしたルート記録は見当たらないが、この程度ならなんとかなろうかとお気楽に取りついたのだが、これが大誤算。標高1000mクラスの法皇山脈・横峰越え笹ヶ峰越え、国見越え()といった土佐北街道の峠越えで一番難儀することとなった。

Google Earthで作成
難儀した要因は、「半端ない」荒れた道、その結果としての途切れたルート。季節柄伸び放題のブッシュ。クリティカルな箇所に見当たらなかった標識、そして何よりも、誠にお気楽に取りついた心の持ちようといったところだろうか。
一度で軽く終わると思ってはじめた権若峠越えではあるが、初回は穴内ダム湖側から取りつき、荒れて消えた道と雨のため撤退。2回目は南国市側の登山口から取りつき、結構難儀しながらも初回撤退箇所となんとか繋いだ。
初回は途中撤退ではあったが、撤退箇所までは土佐北街道をトレースしており、2回目も峠からその撤退箇所をターゲットに、倒木で荒れそして消えたルートを辿ればよかったわけで、それがなければ目標となる箇所がないまま消えた道で途方に暮れたであろうから、それはそれでよしとして、2回にわたる権若峠越えの記録をメモする。


今回のルート
初回;穴内ダム湖側から権若峠を目指す(途中撤退)
車デポ:10時53分>登山口・参勤交代北山道の標識>参勤交代北山道の標識>参勤交代北山道の標識>参勤交代北山道の標識と土佐街道イラスト>倒木が道を塞ぐ・撤退

2回目;南国市釣瓶の登山口から権若峠を越え、一回目の撤退地点を繋ぐ
釣瓶登山口へ>左手渡瀬>釣瓶登り口>「歴史の道 北山道 権若峠まで2㎞」標識>「歴史の道 北山道 権若峠まで1.5km」標識・中休場>「歴史の道 北山道 権若峠まで1000m」の標識>沢場>東西に延びる尾根筋が見える>峠手前の藪漕ぎ>権若峠>山路に向け藪に入る>境界標石>堀割道に出る>土佐北街道の標識>沢筋右岸を進む>鶏石>沢筋に下り左岸に渡る>先回撤退地点>参勤交代北山道の標識と土佐街道イラスト;>「参勤交代北山道」の標識>参勤交代北山道の標識>登山口・参勤交代北山道の標識


初回:穴内ダム湖側から権若峠を目指し、雨と荒れた道のため撤退

車デポ:10時53分
権若峠越えの第一回は国見越えの登山口のあった穴内ダム湖側から取り付くことにした。権若峠の下山口側からの取り付きであり、遍路道で言うところの「順打ち」の三倍困難とされる「逆打ち」であるが、標高も550mほどの峠でもあるし、ピストンで戻れば、「順打ち」での峠への上り口となる南国市の釣瓶まで行くこともないだろうしなあ、といった想いであった。
取り付き口は、先回の国見越えの登山口のあった穴内ダム湖北岸を更に西に進み、赤荒谷橋を越え、両国橋を渡りダム湖南岸に移った地点で県道268号を離れ林道を少し進んだ辺りのようだ。
両国橋を渡るまでは舗装された県道を進み、左に分岐する林道分岐箇所に。分岐箇所の林道は簡易舗装ではあるが、なんとなく舗装もすぐ切れそうであり、県道脇の空きスペースに車をデポし林道を歩きはじめる。
穴内
「土佐地名往来」には「大豊の集落。“助ける“を意味する古語あななう。この地を助け合って開拓した歴史に由来。
両国橋
両国橋の由来は?国を跨るわけでもないのだが、この橋の少し西からダム湖の南へと延びる尾根が香美市と南国市、昔の香美郡と長岡郡の境となっている。それに関係あるのだろうか。不明である。

登山口・参勤交代北山道の標識:11時4分(標高430m)
車をデポし、県道から左に分かれて林道をすすむ。途中から簡易舗装も切れていた。10分ほど歩き、南に入り込んだ等高線に沿った林道の南端をグルリと廻ったあたり、右手に伐採された杉林が広がるところの狭い沢筋(水は流れていない)脇に「参勤交代北山道 権若峠登り口(六八九米)」の標識があった。「六八九米」は権若峠まで689mということだろう。このときは楽勝気分ではあった。



参勤交代北山道の標識;11時16分(標高450m)
標識はあったのだが、足を踏み入れると直ぐに伐採で荒れた杉林の中。踏み跡もなく途方に暮れる。どうしたものかと、それらしき道筋を探していると杉に巻かれた青色のリボン(11時9分)が目に入った。このリボンが土佐北街道の案内かどうか不明であるが、とりあえずリボンの巻かれた杉の先へと進む。
ほとんど成り行きで5分ほど進むと、杉に巻かれた赤いリボンとともに「参勤交代 北山道」の標識を発見。オンコースであることが分かり一安心。

参勤交代北山道の標識;11時23分(標高460m)
標識はあったが、その先も明確な踏み跡はない。杉の伐採箇所を抜け、少し落ち着いた山相の中、踏み跡らしき道筋5分ほど進むと右手は青、左手は赤と青の里リボンが巻かれた立木があり、その先に「参勤交代 北山道」と書かれたプレートが木に巻き付けられていた。
この辺りまで進むと、登山口標識辺りでは掘り込まれてはいるが水が消えた沢筋に水が現れてくる。

参勤交代北山道の標識と土佐街道イラスト;11時25分(標高480m)
沢の左岸(と言うほど大きな沢ではないのだが)を数分進むと赤いリボンと「参勤交代北山道」の案内が立木に巻き付けられており、またその直ぐ先にも坂本龍馬のイラストの描かれた「土佐街道」の標識が大岩手前の立木に巻き付けられていた。

倒木・藪が道を塞ぐ・撤退;11時26分(標高490m)
結構標識も増え、これは楽勝かと思いながら踏み分けられた道を進むと細い立木に赤いリボンが巻かれている。が、その先は倒木で道が塞がれる。一本だけならなんとかなるのだろうが、折り重なった倒木でその先は藪。「半端ない」荒れ具合である。
何処かに踏み跡などないものかとあちらの藪、こちらの藪とルートを探すが、それらしきものは全く残っていない。また間が悪いことに晴れの天気予報にも関わらず雨が降り出す。雨具は用意していなかったのだが、なんとなく空模様が怪しいので杖替わりにもっていたビニール傘で雨を凌ぐが、傘をさしての藪漕ぎは少々難儀。
権若峠まで比高差80mほどで、這い上がるだけならなんとかなりそうだが、今回の目的は土佐北街道のルート探し。このまま悪戦苦闘しても土佐北街道のルートに出合うかどうかわからない。ということで、ここで撤退決定。次回、オーソドックスに南国市釣瓶の登山口から権若峠に向かい、今回の散歩でルート確定した坂本龍馬のイラスト地点までを繋ぐことにする。

初回撤退ルート



2回目;南国市釣瓶の登山口から権若峠を越え、一回目の撤退地点を繋ぐ


釣瓶登山口へ
南国市は国分川が四国山地を抜け高知平野に顔を出す地。ほとんど高知市まで来たよ、などと思いながら高知道の南国インターを下り、国道32号を領石川に沿って少し北に戻り、国道が高知道の真下で領石川(りょうせき)を渡った少し先、宍崎辺りで県道33号に乗り換える。県道33号の分岐点に「権若峠登り口まで3.8km」の標識がある。
領石
「土佐地名往来」には「根曳峠への登り口の集落。地検帖には龍石。竜に似た奇岩?竜岩寺という寺名に由来する?」とある。
宍崎
「土佐地名往来」には、「猪狩りが盛んに行われた戸山郷の入り口の集落。 また猟犬のことをシシザキと言う」とある。
県道33号を亀石まで進み、そこで奈路川に沿って直進する県道にから離れ右折し、領石川に沿った道に入る。分岐点には「ここが釣瓶橋です。権若峠釣瓶登り口まで2.3キロ」の標識がある。
奈路
「四万十町地名辞典」には「山腹や山麓の緩傾斜地を高知県では「ナロ」と言う。高知県だけの地名」とある。

左手渡瀬
領石川に沿って道を北に進むと道の左手に「左手渡瀬」の標識と「権若峠釣瓶登り口まで1.1km」の標識が立つ。
「左手渡瀬」が気になりちょっと立ち寄り。標識には「中谷川を西岸に渡る」との説明もある。何のことだろう?チェックする。 「左手が渡瀬」の意味だろうとおもったのだが、「左手渡瀬」という固有名詞であり、「西岸に渡る」とは、どうも往昔の土佐北街道が五良兵衛川(領石川)に北から合わさる中谷川の右岸へとこの地で渡ったようである。
土佐北街道のこの地までのルート
高知の図書館に行けば詳しい資料もあるのだろうが、ルートに関する資料がWEB上ではあまりヒットしなかった。唯一見つけた『土佐の自然』の記事「参勤交代道(領石‐ゴンニャク峠)の自然と地誌、山崎清憲」だけを頼りに推定すると、「土佐の城を出た街道は、比島・一宮・布師田・中島へと進む。中島で御免方面へと南下する土佐東街道と別れた北街道は領石へと北に道を取る。領石の天満宮の辺りには領石口番所があり参勤交代の休憩所でもあったようであるから、道は領石川の右岸を進んで来たのだろう。
天満宮を越えた北街道は国道32号と高知道が重なり合う辺りで「一之瀬」を渡り領石川左岸に出たようだ。一之瀬の場所は国道32号と高知道が重なり合う辺りにある二つの堰の内、上流側の堰辺りとのこと。
左岸を進む北街道は現在の楠木橋(同書には「楠本)とあるが楠木では?)辺りにあった楠木渡瀬を渡河し、右岸に。
右岸に渡った街道は、北から亀石川が領石川に合流する先で「瓶の本渡瀬」を渡河し再び左岸に移り、奈路川が領石川に合流する地点を領石川沿いに進み、この地で領石川(五良兵衛川)から離れ、中谷川を右岸に渡る」といったルートかと思われる。

釣瓶登り口と梼方面への分岐点;9時12分
土佐北街道が中谷川右岸を進んだ、というのはメモの段階で分かったこと。当日は「左手渡瀬」の標識横にあった「権若峠釣瓶登り口まで1.1km」の標識の案内に従い、中谷川左岸の車道を進む。
ほどなく中谷川に東側から梼山川が合わさる。車道は梼山川に沿って少し進むと釣瓶登り口と梼方面への分岐点に。分岐点には「釣瓶登り口左手200m」「梼方面右」の標識が立つ。道脇にスペースを見付け車をデポし、釣瓶登りへと左手の道を進む。

釣瓶登り口:9時14分(標高150m)
道を進むとほどなく右手に標識が見える。「権若峠登山口」「峠まで二千三百三十米 約2時間半かかる 標高五百五十米」とある。ここが峠への上り口である。



下り付の渡し
標識の手前の立ち木に登山者のために竹の杖が用意されている。なにか手頃なものは無いかと寄ってみると、手書きで「ここが「下り付の渡し」です。昔の飛び石が残っています。ゴンニャク峠までは2㎞430m」と書かれたプレートが立ち木に括られていた。
当日はなんのことかよくわからなかったのだが、メモの段階で梼山川左岸から右岸への渡瀬のことだろうということがわかった。
ということは、参勤交代道は、先ほど「左手渡瀬で中谷川の右岸」に渡ったわけだから、どこかで左岸に渡らなければならない。あれこれチェックすると場所は比定されていないが途中「中渡瀬」で中谷川を左岸に渡り、そのまま梼山川左岸へと進み、「下付の渡し」で梼山川を右岸に渡ったようである。川には飛び石で渡ったという適当な石が並ぶ。参勤交代の折には、板橋を架設したとのことである。

「ゆすの木」が多くある地ではあるのだろう。龍馬脱藩の道を梼原から歩いた、その梼原も同じ由来である。
釣瓶
釣瓶の由来は不明。瓶は「かめ・びん」のことだろう。途中亀石川があったが、その由来は瓶の形をした岩があることに拠る。地検帳では亀石だが、州郡志には瓶岩とある。で、釣瓶だが、「釣瓶落とし」というフレーズがある。一直線に落ちていく様を表す。垂直な大岩でもあった故の命名だろうかと妄想。 因みに,『高知の地名;角川書店』の亀石村の項に、「梼山の西に菎蒻坂を隔てて釣瓶落山がある」とする。上述の妄想、あながち妄想とは言えない、かも。

「歴史の道 北山道 権若峠まで2㎞」標識;9時25分(標高200m)
よく踏み込まれた道、掘り割りの道を10分ほど上り標高を50mほど上げたところに「権若峠まで2㎞」の標識が立つ。中谷川と梼山川の合流点に向けて南西に突き出た尾根筋を上って行くようだ。


「歴史の道 北山道 権若峠まで1.5km」標識・中休場:9時44分(標高370m)
「権若峠まで2㎞」標識から20分、高度を150mほど上げると道の左手に「歴史の道 北山道 権若峠まで1.5km」の標識があり、少し平場となっている。標識の先、道の右手にも標識が立ち「中休場」とある。参勤交代の休憩所といったところだろう。

「歴史の道 北山道 権若峠まで1000m」の標識:9時58分(標高410m)
比較的急な尾根筋の道を上ってきた土佐北街道は、「中休場」では等高線の間隔が広い平場となっており、その先も等高線をゆっくりと斜めに上る。10mほど高度を上げた後、等高線の間隔の広い尾根筋に入り、ゆっくりと高度を20mほど上げたところに「歴史の道 北山道 権若峠まで1000m」が立つ。

沢場;10時18分(標高530m)
「権若峠まで1000m」の標識から先、等高線の間隔も狭まり少し険しくなった尾根筋の道を等高線に垂直に60mほど高度を上げる。標高370m辺りからは尾根筋を離れ、592mピークの山を、トラバース気味に等高線を斜めに60mほど高度を上げると、雑草も幾分水気を帯びたものになり、その先で小さいながらも沢となって水を集める箇所に出る。谷側がちょっと崖っぽい。
登山の時期にもよるのだろうが、沢の前後に草が生い茂り道は見えない。踏み違えて崖に落ちるのは勘弁と、山側に道でもないものかと彷徨うが、それらしき踏み跡はない。結局ものと沢場に戻り、慎重に足元を確認しながら進むと、崖に沿って道が続いていた。草が茂ってなければ、道筋も見え、なんということもない道ではあろうと思う。

東西に延びる尾根筋が見える;10時33分
沢場のルート探しで時間をとったため、距離からすればほんの数分歩いたところで前面が開け、権若峠へと繋がる東西に延びる尾根筋が見えてくる。峠まであと少し。



峠手前の藪漕ぎ;10時36分
東西に延びる尾根筋を見たときには、峠に着いた、くらいのつもりでいたのだが、そのすぐ先で背丈より高い草が一面に拡がり道が消える。左手が一段低くなっており、そこを迂回するのかと取り付き口を探すが、足を踏み入れるようなアプローチもない。
地図には権若峠の表示もないため、目安として目指す方向もわからない。撤退?その言葉もちょっと頭をよぎる。が、もう少しもがいてみようと、地図を見る。登山口には権若峠は標高550mとあった。地図には西の592mピークと東の621mピークの間に結構広い鞍部があり、そこが標高550m。藪に阻まれた場所の目と鼻の先。そこが権若峠であろうと藪漕ぎに入る。
左手の一段低くなっているところに落ちないように、草を踏みしだき、撤退に備えてナイフで草を刈り、道を造りながら成り行きで藪を漕ぐ。と、進み始めて直ぐ草藪を抜け平場に出た。

権若峠;10時49分(標高550m)
平場は一部ぽっかりと草藪がないところがあり、そこに石標が立つ。「参勤交代 北山道」「歴史の道 北山道 権若峠」とあった。西端からは土佐が一望。太平洋まで見下ろせる。
帰りのルートの峠からの下り口をはっきりさせるため、藪から峠の平場に出た箇所の草を刈り込み、ピストン復路時の取り付き口を造る。藪から平場に出るときは問題ないのだが、平場から藪に復路で取り付き口がわからず苦労することが多いためである。刈込を終えて少し休憩をとる。
上記時刻では藪漕ぎから峠まで13分となっているが、これは逡巡・ルート探しなどあれこれ彷徨い、迷ったため。実際は数分、いや一分程度の距離かもしれない。
権若峠までの行動時間は釣瓶の登山口から実質1時間半といったところだろか。登山口には2時間半とあったが、結構ゆっくり歩いてもそれほどはかからないように思う。
権若峠
権若峠までのルート
「コンニャク峠」とも「ゴンニャク峠」ともある。「コンニャク峠」は「土佐地名往来」には「コン ニャクに類した食物の自生する峠」とも書かれており、『土佐の自然』の「参勤交代道(領石‐ゴンニャク峠)の自然と地誌、山崎清憲」の項には「土佐州郡誌には「菎蒻(コンニャクク」を当てている」とある。
コンニャクはゴンニャクとも言うとのことであるので、それなりに理解はできるのだが、『土佐の自然』には続けて「地名の由来はさだかでないが「国府村史」には、延喜官道の「五椅駅」を比定し、約音から転じたもので、頂上の広場を「オムマヤトコ」と記している」との記述がある。浅学のわが身にはこの説明がさっぱりわからない。

古代官道である南海道の駅には土佐の本山に「吾椅(あがはし)駅」があったとされる。五椅駅は「吾椅(あがはし)駅のことではあろうが、「あがはし」が約音(フランス語のリエゾンみたいなもの)から転じて(これも正確には「約音から転じた」の主語が何か不明ではある)、どうして「ゴンニャク」となるのか不明である。全国に「ゴンニャク」と称される山は他にもあるが、どれもその由来は不明となっている。
ついでのことながら、「転じたもので」と「頂上の広場を「オムマヤトコ」と記している」の繋がりも分からない。繋がりを無視すれば「ヤマトコ」は何となく「山床」のような気もするし、鞍部を表す美しい言葉と妄想する。なんの根拠があるわけでもない。
この権若峠を越えれば、土佐北街道に立ち塞がる峠はすべて越えることになるので、いつか土佐街道の峠と里道を繋ぐ折にでも高知の図書館を訪ねればなんらかの資料があることを期待する。

下山路に向け藪に入る;10時53分(標高550m)
水休憩をとり、穴内ダム側へと下ることにする。とはいいながら、下山側も背丈より高い草藪が茂る。草の向こうには木々が茂る。アプローチの目安はなにもない。根拠は何もないのだが、先回の撤退箇所から沢筋が伸びていたので、峠へと入り込んだ550m等高線の突端に向かうことにする。

境界標石;11時2分(標高550m)
強烈な藪を踏みしだき、戻りのために草を刈り先に進むと木立の茂る箇所に。草から木立に変わっただけで強烈な藪に変わりない。木の枝を折り、力任せに先に進むと標石がある(11時2分)。文字は読めないが頭部分が赤く塗られており境界標石のようにも思える。東西の尾根筋は北の香美市と南の南国市の境界である。

堀割道に出る;11時9分(標高550m)
こんな藪を延々と下るのか、などと気が滅入り始めた頃、突然目の前に掘割道が現れる。土佐北街道のルートであってほしいとの思いもさることながら、なんとなく藪漕ぎから解放されそうな予感が嬉しい。

土佐北街道の標識;11時11分
掘割道を下ると、すぐに道の左手に赤いリボンが巻きつけられた木立があり、「参勤交代 北山道」の標識も木に括られている。予想より簡単に土佐北街道に出合えた。こんなにしっかりと踏み込まれた道があるとは、先回の逆ルートの荒れ具合からして予想できず、外れた予想が誠に嬉しい。

沢筋右岸を進む;11時16分(標高540m)
よく踏み込まれほぼフラットな鞍部の道をゆるやかに下る。途中、龍馬をイメージしたような「土佐街道」の標識を見遣り、木に括られた赤いリボンに出合う辺りで南北を550m等高線で囲まれた鞍部を離れ、550m等高線まで切り込まれた沢筋上流端の右岸を540m等高線に沿って巻きながら進むことになる。 道から沢が見えるわけではないが、地図では沢筋との比高差は10mほどあるように思える。

鶏石;11時19分(標高540m)
沢筋右岸を数分進むと赤いリボンの道標があり、その先に大きな岩がみえてくる。「鶏岩」と書かれた標識が木に括られていた。由来などの説明はない。「鶏岩」を越えた土佐北街道は沢筋に向かって下ることになる。道はそれほど荒れてはいない。

沢筋に下り左岸に渡る;11時26分(標高500m)
沢筋へと、5分ほどかけて30mほど下ると右手に荒れた倒木地帯が見えてくる(11時25分)。周りは藪に覆われている。先回の撤退地点に近づいたようだ。
道はその先でささやかな沢を左岸に渡る、両岸には赤のリボンが木に括られたおり、沢を越えて先に進む。

先回撤退地点;11時31分
道が続いて欲しい、との思いは直ぐに消える。沢を越えてすぐ藪や倒木で道が完全に消えている。倒木で荒れた辺りに道が続いていたのだろうが、仕方なし。GPSを頼りに先回撤退地点まで藪漕ぎ、そしていくつもの倒木を乗り越え進むのみ。
藪漕ぎ・倒木乗り越え・倒木潜りではあるが、今回はターゲットポイントがはっきりしているため気持が楽である。先回はどちらに向かえば土佐北街道に出合えるかもわからないため撤退したが、今回は先回の撤退地点までは土佐北街道をトレースしているわけであり、力任せの藪漕ぎではあるが、先の見通しがついており、安心して進むことができた。
どこをどう進んだか、通りやすい箇所を進んだわけであり、このトラックログが土佐北街道とは思わないが、5分ほどで先回撤退した倒木に到着した。

参勤交代北山道の標識と土佐街道イラスト;11時40分(標高480m)
一応道は繋げた。いくつかの倒木の中で最も北にある倒木の北側には赤いリボンも木に括られており、この倒木まではオンコースとは思うのだが、ちょっと気になることがある。 先回この倒木で道が塞がれ、どこかにルートがあるものかと彷徨ったとき、倒木から少し戻った龍馬のイラストのある大岩の辺りから沢を右岸に進む方向にも赤だったか青だったか、ともあれリボンが木に括られていた。リボンの先にも大岩があるのだが、その先も荒れておりリボンもなく雨の中進む気力もなく元に戻った。今回も、なんとなく気になり再度チェック。結局道は見付からなかった。倒木へのルートが北街道のオンコースであるのだろ、と納得。

権若峠から穴内下山口まで

ルート繋ぎ地点から下山口まで

当時はこの地で土佐北街道のルートを繋ぎ終えたとし、ピストンで車デポ地に戻ったのだが、以下、下山口までを先回のメモの時刻を逆転し編集しなおして掲載する。なお、時刻は下山口から先回撤退地点まで実質20分もあったかどうか、といったものであり想定時刻は省略する。

以下は先回のメモの再掲。登山口から撤退地点まで20分程度でもあり、想定時刻は省略する。メモは時刻を逆転し編集し直し掲載する。

「参勤交代北山道」の標識
沢の左岸(というほどの沢でもないく、この辺りから水も消えるが)道を下ると「参勤交代 北山道」と書かれたプレートが木に巻き付けられている。その傍には赤と青のリボンもある。踏み跡らしき道を数分くだると次の標識に出合う。


参勤交代北山道の標識
杉に巻かれた赤いリボンとともに「参勤交代 北山道」の標識。杉の伐採地帯に入り踏み跡などはわからない。それらしき道を進むと杉に巻かれた青色のリボンがある、それを目安に道を下る。とはいうものの、道が消えているだけで、林道が目に入るわけでどちらにせよ、下山の心配はない。

登山口・参勤交代北山道の標識
荒れた杉林の伐採地を数分下り、水はながれてはいないが掘り込まれた沢筋に沿って下ると登山口・参勤交代北山道の標識のある下山口に着く。

これで土佐北街道の峠はすべてクリアした。後日、峠間を繋ぐ里道を辿り、土佐の城下町から愛媛の川之江まで続く土佐北街道を繋いでみようと思う。

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