
本日のルート;新小名木川水門>高橋>西深川橋>東深川橋>大富橋>新高橋>(扇橋)>新扇橋>小松橋>小名木川橋>小名木川クロバー橋>横十間川親水公園>進開橋>丸八橋>番所橋>旧中川>中川大橋>大島・小松川公園>小名木川排水機場>荒川>新船堀橋>中川>船堀橋>都営新宿線船堀橋
小名木川
もともとは行徳(千葉県市川市)の塩を江戸に運ぶために開削された。が、後に、関西地方から江戸に塩がもたらされるようになってからも、東北や北関東からの生活物資を江戸に運ぶ重要河川としてその役割を担った。房総、浦賀といった太平洋の海の難所を避け、茨城あたりで内陸に入り、利根川・江戸川経由で小名木川、そして江戸に続く、いわゆる奥川廻し、この内陸水路をつかった水運ネットワークの一環として機能したのだろう。ともあれ、歩をすすめることにする。
万年橋
万年橋近辺には俳人・松尾芭蕉ゆかりの地がいくつかある。常盤1-3-12の芭蕉庵跡・芭蕉稲荷。1680年にこの地に庵を結び、1694年に51歳でなくなるまで、この地から全国への旅に出た、と。「こゝのとせ(九年)の春秋、市中に住み侘て、居を深川のほとりに移す。(しばの戸)」。「深川三またの辺に草庵を侘て、遠くは士峰の雪をのぞみ、ちかくは万里の船をうかぶ(寒夜の辞」」。北斎の富嶽三十六景「深川万年橋下」の光景か。新大橋通り方面に少し上ると、芭蕉記念館もある。逆に、清澄通りを少し南に下り、海辺橋の南詰めに採茶庵跡。庵と芭蕉の銅像があった。
新小名木川水門
高橋
清澄通りに架かる高橋に進む道筋の南、清澄3丁目には大鵬部屋・北の海部屋・尾車部屋などといった相撲部屋も見られる。高橋って、もともとは橋の中央が盛り上がる、というか「高く」なっていたためつけられた名前。水運華やかなりし川ではの、名前ではあろう。
新高橋
川筋に沿ってつかず離れず進む。西深川橋から東深川橋三つ目通りにかかる大富橋、そして新高橋。先ほどの高橋とこの新高橋、このペアに近いものが近くの川にもあった。日本橋川が隅田川に流れ込む手前に分岐している亀島川に架かる高橋と南高橋。それがどうした、と言えば、それだけのことではあるのだが。。。
大横川と交差
新高橋を越えると小名木川は大横川と交差する。川筋には道がないので、一度清洲橋通りまで戻り扇橋を渡り、新扇橋から小松橋へと進む。小松橋は鉄骨組みのトラス橋。
扇橋閘門(こうもん)
小名木川橋
小名木川橋。南の東陽町から北の錦糸町を経て押上に通じる四つ目通りに架かる。この橋というか、四つ目通りを境に、東西の街の相が少々異なる。西は昔ながらの下町、東は新開地といった雰囲気。民家の多い東と団地の多い西、生活道路中心の東と幹線道路が南北に走る西、と言った感じもする。
歴史的にみても江東区はこのあたりを境に西が深川区で東が城東区。もっと歴史を遡ると、江戸の時代深川まで、つまりは四つ目通りあたりまでが江戸の内、それより東は外縁部であった、とか。川筋の遊歩道も小名木川橋より西は途中で突然道がなくなる。が、これより東は整地された遊歩道が完備、といった按配であった。歩いてわかる街の姿、ではあります。
小名木川クロバー橋
中川船番所
丸八通りにかかる丸八橋を越え少し進むと仙台堀川公園が分岐。仙台堀は南に下り、葛西橋通りあたりで西に向い、小名木川のひと筋南をほぼ平行に開削されている。
荒川ロックゲート
川筋を一筋北にのぼり旧中川にかかる中川大橋を渡り、小高い大島・小松川公園を眺めながら小名木川排水機場に。荒川ロックゲートとも呼ばれている。扇橋閘門と同じ原理での水門。荒川と中川の水位差を調節している。荒川に沿って新大橋通りに。東に向かい荒川にかかる新船堀橋を歩く。中堤に首都高中央環状線が南北に走る。高架下をくぐると中堤を隔てたほうひとつの川・中川。船堀橋を渡り都営新宿線船堀橋に到着。本日の予定終了となる。
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