金曜日, 2月 24, 2006

高尾山・陣場山散歩

高尾山・陣場山散歩

2月のある日、会社の仲間と3人で高尾山から陣場山の尾根道を縦走することになった。もっとも縦走というほどの大層なものではなく、ハイキングというのが正しい表現ではあろう。高尾山には六号路といったびわ滝川の沢道を進む登山道、表参道コースとも呼ばれる一号路、主尾根とは別の尾根道を進む稲荷山コースなどのコースを登ったことがある。

高尾山頂から先は尾根道を歩き小仏城山から相模湖に下るコースは二度ほど歩いた。陣場山は小仏峠手前の景信山への直登ルートから明王峠を経て陣場山へ歩き、山頂から藤野へ下るコースも歩いた。で、今回は今まで歩いたルートをまとめて一筆書き。高尾山から小仏峠を経て景信山に登り、尾根道を歩き陣場山へと進む。陣馬山からは裏高尾・陣馬高原下に進み、バスで八王子に戻るコースをルーティングした。

京王線高尾山口
朝9時に京王線高尾山口で待ち合わせ。高尾山にはケーブルで登ることに。本日の行程、時間を考えるとこの高尾山の登りでの1時間余の時間と消耗は結構きつい、と衆議一決。高尾登山ケーブル・清滝口から一気に高尾山に。ケーブルに乗ったのは10年ぶりくらい。斜度は31度18分と日本最大。山頂駅手前の急峻な登りは中々の見ものではあった。

蛸杉
ケーブルを降り、のんびり歩く。蛸杉が。往時、参道開削の折、邪魔になる根っこを伐採しようとしたとき、一夜にして根っこが後方に曲折、その姿が蛸の足に似ていたので名づけられた、と。

浄心門
蛸杉を過ぎ、744年創建の浄心門をくぐる。門脇に神変堂。安置されている神変大菩薩は山伏のルーツ、とか。堂の脇を固める石像は2匹の鬼。妙童鬼、善童鬼という夫婦で神変大菩薩に従者として仕えている。結構いい表情。神変大菩薩により悪行を悔い改めて、人々の救済のために尽くしている、とか。

高尾山薬王院
神変堂の先は二つにわかれ、男坂という108段の階段か、女坂といわれるゆるやかなスロープのふたつのルート。迷うことなくゆるやか道を選ぶ。参道右手に山門・四天王門が。少々コケティッシュな持国天、増長天、多門天、広目天のお像を眺めながら高尾山薬王院に。大天狗、小天狗が迎えてくれる。

天狗は高尾の守り神。その昔、行基がこの地を訪れた。身に持つ薬師如来を安置する場所を求めて高尾の山に分け入る。疲れて眠り、目覚めると薬師如来が消えている。と、目の前に大天狗が薬師如来を捧げ、「行基さまのおいでを待っていました」と。以来、お山を知り尽くした天狗は行基を助け薬草を集める。天狗はいつしか、螺善坊と呼ばれるまでに。行基は集めた薬草を携え都に戻り、聖武天皇に献上。その故に菩薩の称号を。で、螺善坊はお山に残り、里の女性を娶り、というか略奪したそうだが、所詮は言い伝えであるので、それはそれとして高尾の守り神、自然体系の頂点にある存在として、幸せに暮らしました、とさ。と、強引にまとめておこう。

飯綱権現堂
右手に石段。仁王門をくぐり薬王院大本堂に。真言宗智山派の大本山。正式名称「高尾山薬王院有喜寺」。今から1,200年前の天平年間に行基菩薩が聖武天皇の勅命を得て薬師如来を安置し開山、と伝えられる。

おまいりを済まし、奥の院経由山頂への案内に従い、大本堂左手の石段を登る。飯綱権現堂が。飯綱(いづな)権現は高尾山のご本尊。南北朝時代、永和年間の1375年、京都・醍醐山より俊源が入山。六号登山路途中にある琵琶滝(びわたき)に打たれて修行し飯縄大権現を感得、と。飯縄大権現は、火焔を背にした不動明王の化身、そして不動明王は大日如来の化身。権現様は神でもあり、仏でもある、ってことは熊野散歩のメモに書いたとおり。

ちなみに、長野戸隠に飯縄神社というのがある。そこでは飯縄山に住む狐をまつっている。「飯縄使い」とは「狐つかい」のこと。ということは、高尾山中興の祖・俊源が狐の妖術使いだった?!。ともあれ、高尾山は飯縄大権現を御本尊、俊源大徳をもって高尾山中輿の祖としている、とか。お堂裏手の石段を更に登って行くと、薬王院の奥の院、江戸時代初期に建立の不動堂が。雪というか、霜柱、これって関東特有、関東ローム層ならではの現象、との同行者の薀蓄を聞きながら少し進み高尾山頂に到着。

高尾山頂
高尾山頂の茶店で少々休憩し先に進む。山頂から小仏城山までは12月1日の散歩ルートと同じ。高尾山・高尾ビジターセンター>もみじ台>一丁平>小仏城山に進む。日陰は霜柱、日向はぬかるみ、と道のコンディションはよろしくない。小仏城山の茶店で少々の休憩の後、小仏峠に下る。

小仏峠
20分程度で峠に。旧甲州街道の小仏関所があったところ。高尾山の北の山麓、つまりは裏高尾を走る旧街道ルートは結構高低差がある。明治21年に現在の甲州街道・国道20号線を作る際はこのルートは通らず、大垂水峠を越えるルートに道筋を変更した、とか。とはいうものの、中央高速にしてもJRにしても旧甲州街道に沿って東西に直線に走っている。スピードを出すには直線がいいのはあたりまえ。邪魔な山はトンネルを掘ればいい、ってことだろう。峠には明治13年、明治天皇の山梨巡行の折につくられた、「明治天皇小仏峠御小休所址及御野立所」の碑があった。

景信山
小仏峠から景信山に登る。先般、小仏峠手前の景信山直登ルートから入ったときは結構きつい登りであった。で、身構えていたのだが、この小仏峠からのルートは拍子抜けするほど楽なコース。遊歩道といった雰囲気で歩けた。景信山に。景信山から陣馬山までは12月9日の散歩メモに同じ。景信山(727m)>堂所山(710m)>明王峠(710m)>陣場山(854m)と進む。陣馬山では先回お世話になった山頂の茶屋でオバーチャンに挨拶し少々休憩。

陣馬高原下のバス停に降りる
休憩の後、陣馬高原下のバス停に降りることに。和田峠から車道をおりてバス停に進む1時間10分のルートか、陣馬山から一挙に山道を下る、40分の「直滑降」ルートか、どちらか。登山靴では車道というか舗装道路は歩き難いということで、直滑降ルートに。いやはやこれがとんでもない状況に。足をとられ、滑り転げ、世の中の不幸をすべて請け負ったような汚れ具合に、笑うしかなし。

バスの時間は1時間に1本。乗り遅れないようにと心はあせれど、体がついていかず。4,5時間の山歩きで膝は笑う。ダイナミックな転倒に情けないやら、恥ずかしいやら。とはいうものの、先陣を受け持つ騎士・ナイトもかくやあるらん、といった義務感というか「ノブリス・オブリージュ」の気概で転びの場所の露払い。それにしても後に続く皆様、笑いを堪えるのが大変であったろう、な。
ともあれ、なんとかかんとか車道に到着。バス停まで1キロ強を小走りで進み4時15分のバスになんとか間に合い、八王子駅まで戻り本日の予定終了。快適な尾根道散歩でありました。

本日のルート;ルート;京王高尾山口>高尾山頂上>高尾登山ケーブル・清滝口>高尾山>仏舎利塔>薬王院>奥の院>高尾山ビジターセンター>小仏城山>小仏峠>景信山>堂所山>明王峠>陣馬山>陣馬高原下・バス停>京王八王子駅

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