日曜日, 7月 23, 2006

板橋散歩 そのⅠ:赤塚を歩く:赤塚城址から東京大仏へ

赤塚地区から旧川越街道を中板橋に北区を歩き終え、次は何処へ、と思案した。あれこれ考え、結局板橋区を歩くことにした。理由は北区の隣にある、ということだけだった、かとも思う。とはいうものの、板橋って名前で思い浮かべるランドマークは、中山道の板橋宿、川越街道、それと高島平といったところ。歩くにしてもきっかけがあまりに乏しい。ということで、例によって板橋区の郷土資料館に出かけ、資料を求め、スキミング・スキャニング。それからおもむろに散歩にでかけよう、ということに。


本日のルート;板橋区郷土資料館>赤塚城本丸跡>乗蓮寺>不動の滝>松月院>松月院大堂>東武東上線下赤塚駅・旧川越街道に>上板橋>石神井川・下頭橋>中板橋駅

板橋区郷土資料館
板橋区の郷土資料館は都営三田線の西高島平が最寄り駅。駅前に東西に高島通り、南北に首都高5号・池袋線が走る。高速の下は新大宮バイパス。北には新河岸川と荒川。新河岸川は明治まで小江戸・川越と江戸を結ぶ舟運路であった。河岸跡を辿った散歩が懐かしい。荒川には笹目橋が架かる。
郷土資料館は駅の南、首都高速が東に、新大宮バイパスが南へと分岐するあたり。赤塚溜池公園の中にある。池で釣りをする人たちの中を進み郷土館へ。23区で最初に作られた郷土資料館、とか。『常設展示目録』、『"まち博"ガイドブック』等、例によって資料を買い求める。『板橋区文化財マップ』は無料で頂戴できた。
さて、どこから歩くか、あれこれ資料に目を通す。と、この赤塚溜池公園に接する台地上に「赤塚城本丸跡」がある。ランドマークとしては結構わかりやすい、ということでこの城跡からはじめ、あとは成行きで日が暮れるまで、板橋方面に向かって歩こう、と。

赤塚城本丸跡
木立の中を台地上に登る。城跡公園の広場に。赤塚城は武蔵千葉氏の主城のひとつ、と考えられている。武蔵千葉氏と赤塚城のメモ:下総の守護千葉氏は、亨徳の大乱に巻き込まれ、骨肉相食む一族間の争いを繰り広げた。亨徳の大乱って、古河公方足利成氏と関東管領・上杉氏の覇権争い。康生2年(1456年)、足利成氏に攻め込まれた千葉実胤(さねたね)・自胤(これたね)兄弟は下総・市川城を逃れ、この赤塚城と隅田河岸の石浜城に逃れる。これが武蔵千葉氏のはじまり。
寛正4年(1468)、自胤は太田道潅に従い、現在の和光市や大宮、足立区内に所領を拡大。武蔵千葉氏の基盤を固める。その後武蔵千葉氏は南北朝以来の領主であった京都の鹿王院の支配を排除し、赤塚地区の支配の強化につとめる。鹿王院って、足利三代将軍満建立の禅寺。時代が下り、小田原後北条が武蔵に進出してくると武蔵千葉氏はこれに従い、天正18年(1580)北条氏が秀吉に滅ぼされるまで勢力を振るった、と。
城は荒川低地に面し、東と西に大きく入り込んだ谷に挟まれた台地上にある。縄張りは広場部分が「一の郭」。広場南の梅林部分が「二の郭」、その西側が「三の郭」とされる。台地の北、東、西の三方は自然の谷で切り取られ、台地下の溜池公園は谷からしみ出した水を集めている。
台地上からは、北に広がる高島平が見える。もっとも、木立が深く、見通しはそれほどよくはない。この高島平は江戸時代、「徳丸が原」と呼ばれる原野であった。天保12年(1841年)、高島秋帆が西洋式砲術訓練をこの地でおこなう。
明治時代以降は開墾され、「徳丸田圃(たんぼ)」とよばれる水田地帯となる。高島平の団地の開発がはじまったのは昭和40年以降のこと。高島平って地名ができたのは、昭和44年。もちろん、高島秋帆に由来する。

乗蓮寺
台地上を東京大仏のある乗蓮寺に向かう。結構複雑な地形。標高25mから30m程度の台地が枝状というか舌状に複雑に「うねって」いる。道なりに進み乗蓮寺。もともとは下板橋(現在の仲町)にあった。江戸時代には中山道の板橋宿内にあり、将軍から10石の寺領が与えられた御朱印寺。1石でひとりが1年間食べれるお米である。10人の食い扶持ということか。
江戸切絵図には石神井川の近くに乗蓮寺が描かれている。現在の地に移ったのは昭和46年。高速道路の建設にともなう国道17号線の拡張にともない7年の歳月をかけて移ったという。境内には天保の飢饉の供養等や中世の豪族・板橋信濃守忠康のお墓などがある。板橋忠康は旗本板橋氏ならびに板橋上宿名主板橋氏の先祖と言われている。大仏さまは昭和52年につくられたもの。8mの高さがある。

不動の滝
乗蓮寺を離れ、不動の滝に。赤塚城のある台地と道ひとつ隔てた台地の崖から水がわずかながらも流れ出ていた。崖にある不動石像が名前の由来。昔、大山詣でや富士詣でにでかける人たちが、この湧水で禊ぎをおこない旅立った、とか。この滝は「東京名湧水57選」にも選ばれている。



松月院
台地の間の道筋を上る。上り切ったあたりに「松月院」。立派な構え、品のいいお寺さん。延徳4年(1492年)、武蔵千葉氏の千葉自胤が寺領し中興した。幕末には高島秋帆が高島平で西洋式砲術訓練をおこなったときの本陣。下村湖人がこのお寺で『次郎物語』の構想を練った、とか。

松月院大堂
松月院の前を東西に走る松月院通りと東武東上線・下赤塚駅へと南に下る赤塚中央通りの交差点・松月院前を少し西に戻ると、道の南側に「松月院大堂」。
板橋区で最も古いといわれるお寺。平安時代に創建され、室町の頃は七堂伽藍をそなえた大寺院であった、とか。上杉謙信が小田原北条攻めのとき、焼き払った、と。現在は往時の面影は偲びがたく、少々殺風景。

東武東上線下赤塚駅・旧川越街道に
何も考えずに訪れた赤塚地区ではあるが、複雑な地形や由緒ある神社・仏閣が点在する。予想外に魅力的なところである。一通り歩きたいのだが、如何せん時間が足りない。赤塚には再び訪れることにして、東武東上線方面に向かう。日が暮れるまで歩き、日没とともに直近の駅から電車に乗ろうという算段、とした。
赤塚中央通りに戻り、道なりに南に進んでいくと線路に当たる。線路手前に出世稲荷。結構小振りであるのは、地元の旧家の屋敷神であるから、と。東武東上線・下赤塚駅脇の信号を渡り南に進むと川越街道にあたる。川越街道を東に歩き、赤塚新町1丁目あたりまで進むと、川越街道から別れる道筋。いかにも旧道っぽい感じ。旧川越街道。このあたりは練馬区のようだ。

川越街道は中山道の脇往還として江戸時代、川越藩主・松平信綱によって整備された。板橋宿平尾(板橋3丁目)で中山道と別れ、上板橋宿(板橋区)、下練馬宿(練馬区)、白子宿(和光市)、膝折宿(朝霞市)、大和田宿(新座市)、大井宿(ふじみ野市)と6つの宿場を経て川越城下に達する。川越名産のサツマイモをもじって、「九里(栗)よりうまい十三里」と、言われる。実際は、川越城から江戸の川越藩の屋敷までは11里(44キロ)ほどであったよう。参勤交代では、川越城を夜中12時に出発。大井宿で小休止。あとは5つの宿をとおり、翌日の夕刻には江戸に到着した、という。新河岸川の舟運にお客を取られ、難儀した話もどこかで読んだ記憶がある。舟運のほうが速くかつ快適であろうから、それはそうだろう。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

上板橋
17号線・新大宮バイパス、東武東上線・東武練馬駅を越え歩く。街道脇の浅間神社も軽くお参り。北町を越えると再び板橋区に入る。上板橋2丁目。東武線・上板橋の南を進み、上板橋1丁目で旧川越街道は川越街道に合流する。もっとも、後からわかったのだが、旧川越街道は合流点手前から上板橋四小あたりを通り、東武線・ときわ台駅前を通り先にすすんでいたようだ。ともあれ、川越街道を進み環状7号線・板橋中央陸橋を越えると石神井川に出合う。

石神井川・下頭橋
最寄りの駅をチェック。石神井川に沿って少し上ったところに東武東上線・中板橋駅がある。川に沿って歩くと下頭橋。先ほど別れた旧道がここに続いている。橋の東詰めにこじんまりした祠・「六蔵祠」。案内をメモする;「弥生町を縦断するのが旧川越街道。

大山町境から石神井川迄が上板橋宿跡。宿端の石神井川に架かる下頭橋は寛政10年(1798年)、近隣村々の協力を得ることで石橋に架け替えられ、それまで頻発した水難事故も跡を絶ったという。この境内にある「他力善根供養」の石碑はそのときに建てられたもの。
橋の名の由来には諸説ある。一説は、僧が地面に突き刺した榎がやがて芽をふいて大木に生長した逆榎がこの地にあった。第二説は、川越城主が江戸出府の折、江戸屋敷の家臣がこの地で頭を下げて迎えたから。第三節は橋の袂で喜捨を受けていた六蔵さんが、そのお金をもとに石橋に架け替えたから。六蔵祠は、その六蔵さんの威徳をたたえ、建てられた」、と。このあたりは上板橋宿の中宿あたりだったのだろう。

中板橋駅
石神井川に沿って進む。線路にあたる。右折し中板橋駅に進み本日の散歩終了。板橋を歩く前には、板橋区って川越街道が走る、平坦な地形と思い込んでいた。実際は結構複雑な地形。北に荒川の氾濫によって形成された低地帯と、その低地帯に対し屹立する武蔵野台地といった地形に立地する。で、その武蔵野台地は石神井川、白子川、前谷津川といったいくつかの河川で刻まれ、複雑な谷合を作り上げている。北区の台地と同様に、低地に沿った台地上には旧石器時代から縄文、弥生、古墳、奈良・平安に至るまでの数多くの遺跡が残る。はてさて、「地形のうねり」散歩フリークとしては俄然板橋散歩が楽しみになった。次は、板橋の西の端から台地と谷合のアップダウンを楽しむことにしよう。


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