水曜日, 8月 15, 2007

多摩丘陵散歩 そのⅢ:生田緑地から、とんもり谷戸へ

先回の散歩で多摩川・鶴見川の分水界を歩いた。新百合丘から弘法松公園を経て、尾根道を生田南郵便局交差点まで進み、そこからは尾根道をはずれ南の王禅寺に向かった。その時に見た、生田南郵便局交差点から東に向かって続く尾根道が如何にも魅力的であった。もっとも尾根道とは言うものの、宅地開発された住宅街が続いているだけではある。が、ともあれ尾根筋に惹かれた。
今回は、生田南郵便局交差点から続く尾根筋を東に進んでみよう、と思う。その先には生田緑地もある。そこには枡形城跡もある、と言う。ということで、今回もまた新百合ヶ丘方面から散歩を始める事にする。(水曜日, 8月 15, 2007のブログを修正)




本日のルート;小田急線・百合丘駅>第二児童公園北側>百合丘第二公園>百合丘第五公園>生田南郵便局前>高石水道局配水塔>南生田中学>長沢浄水場>専修大学入口>生田緑地>桝形山>東生田4-22>飛森(とんもり)谷戸(初山1-17の東)?初山交差点>平瀬川>平瀬川分岐・南の川筋>源流点(尻手黒川道路の北)>菅生3丁目>稗原団地入口交差点>菅生こども文化センター>平瀬川交差>東長沢交差点>五反田川交差>小田急線生田駅

百合丘駅
小田急線に乗る。たまたま到着したのが普通電車。たまにはのんびりと読書をしながら、ということでそのまま飛び乗る。新百合ヶ丘駅手前の百合丘駅に停車。急行か何かの待ち合わせであった、のだろう。時間待ちをするくらいなら、と百合丘駅で下りることにする。新百合ヶ丘の駅前とは少々様変わり。昔風の商店街、といった趣き。駅前にはゆるやかにカーブし弘法松公園へと向かうのぼり道。

生田南郵便局交差点
第二児童公園北側交差点まで上る。道はここから一旦沈み、ふたたび弘法の松交差点へと上る、よう。第二児童公園北側交差点で車道を離れ脇道を進む。百合丘第二公園に。坂道に沿った窪地にある。公園南の道を南東に進む。百合丘第五公園へと少し坂道を上る。百合丘第二団地の中を南に進むと、先回の散歩で弘法の松交差点から生田南郵便局へと進んだ尾根道に出る。
先回の散歩では気がつかなかったのだが、生田南郵便局交差点手前の坂道からの眺めが美しい。しばし丘陵下の景観を楽しむ。生田南郵便局交差点に。この尾根筋では最も標高が高い、よう。110m強ある、だろうか。先回の散歩ではこの交差点から南に下ったのだが、今回は北東へと続く尾根筋に向かう。

高石配水塔
車の数も多い。しばらく進む。高石6丁目で分岐。車は東へと折れる尾根筋に流れる。が、尾根筋は北東へも続いている。どちらに進もうと少々悩む。が、結局は北東方向に。車道ではなく宅地の中の道筋。台地下の景観などを見やりながら進むと水道局配水塔脇に。 高石配水塔。さきほど生田南郵便局あたりの標高が高いといったが、川崎市多摩区の最高標高地点は配水塔近くの生田病院の裏側。そして二番目はこの高石配水塔である、と。
高石配水塔は台地の突端。塔の周囲をぐるっと廻り込む。1年ほど前にこの地を歩いたときは、配水塔の南の崖線上は林が残っていたのだが、今では宅地開発されすっかり様変わりとなっていた。

南生田7丁目・三田4丁目
崖線に沿って東に進む。道の南の南生田2丁目は、台地下に見える。ほどなく結構大きな通りに出る。ゆったりとした下り。道路の東に南生田中学校。ここからは再びゆるやかな上り道。中学校を超え「春秋苑」の脇を抜け再び坂を下る。賑やかな道筋に。この道を北に進めば小田急線・生田駅に続く。南を見ると、道路を跨ぐ橋のようなものが見える。生田中谷第一公園へと上りチェク。なんとなく配水管のように思える。すぐ近くに長沢浄水場がある。そこへの導水管であろう。

長沢浄水場
公 園を下り、道路道に。成り行きで道の東の台地に上る。長沢浄水場。東京都と川崎市のふたつの浄水場が併設されている、と。ここの水源は相模川水系の相模湖や津久井湖。そこから導水トンネルで導かれる。その距離は32キロに及ぶ、という。東京都は

世田谷、目黒、太田区の一部に給水。川崎はここから鷺沼配水池に送られ、高津・宮前区の一部、そして中原・幸区の水道水となる。鷺沼配水池といえば、いつだったか鷺沼散歩のとき、結構立派なプール施設があったのを思い出した。

生田緑地公園
浄水場の北端を進む。しばらく進むと道の両側に大学。北は明治大学。南は専修大学。道を第六公園から専修大学記念館前あたりまで進み、そこからは専修大学入口方面辺と右に折れる。専修大学入口の前は深い緑。川崎国際生田緑地ゴルフ場。ここを東に進めば生田緑地公園。

稲毛枡形城
緑が深い。丘陵地の宅地開発が進む前に川崎市が緑地として計画・保存した、と。公園内の尾根道を進む。岡本太郎記念館とか日本民家園などもあるのだが、なんとなくパス。稲毛枡形城跡のある枡形山に進む。気持ちのいい散歩道を進むと、枡形、つまりは方形に整地された山頂に着く。中央に展望台のある公園となっている。展望台に上る。多摩丘陵の東端といった位置であり、東は多摩川により開かれた低地である。四方の見晴らし至極、いい。この枡形山に稲毛枡形城があった。
稲毛枡形城;鎌倉時代の御家人・稲毛重成の居城跡。といっても重成は麓の広福寺あたりに館を構えていたようではある。で、枡形山に城、という か砦が築かれたのは戦国時代の北条氏の時代になってから。また、規模もそれほど大きくはなかったようで、永禄12年(1569年)この地に侵攻した信玄は、この砦を無視している。その程度の陣城(砦)であった、よう。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)
稲毛氏。平安末期に登場した秩父氏の一派。秩父重弘の子・有重がこの多摩の地に 下り小山田氏となる。稲毛氏はその子の重成がこの地を領して稲毛を名乗った。ちなみに、畠山氏も秩父氏の一党。秩父重弘の子重能が畠山の地を領しその姓を名乗った。江戸氏も秩父氏の一派。秩父重弘の弟筋が墨田近辺に下り、地名を冠した名を興した。
枡形城について、もう少しメモ。稲毛重成が居を構える前、この地には松方重時が居を構えていた。松方氏は河越重頼の四男というから、これも関東八平氏の一党、つまりは、秩父氏の流れである。で、河越氏といえば、源義経の正妻となった百合野の出た家柄。義経との繋がり故に、頼朝によって滅ぼされることになる。で、桝形の館の松方重時も河越の出自ゆえに、身の危険を感じる。そこで重時がとった危機管理策は、頼朝の三男・島津忠久の薩摩下向に随行する、ということ。薩摩に落ちのびることにより、危機を脱した。重時がいなくなり、無人となったこの枡形城の地に移ってきたのが、稲毛三郎、ということである。
ついでのことであるが、この松形方氏って明治の元老・松方正義の祖。松方一族って、松方コレクションで有名。また、ライシャワー元駐日大使のハル夫人も松方氏の出である。それから、西下した島津氏、って、鎌倉散歩のとき、頼朝のお墓の近くに島津氏のお墓があった。どうしてなのか今ひとつわからなかったのだが、これで納得。ちなみに、その横にねむる毛利氏は頼朝の補佐役でもあった大江広元の流れ。広元の四男・季光が厚木近くの「森庄」を領したため、森>毛利と名乗るようになった、と。ともあれ、江戸「幕府」を倒した島津、毛利両氏が鎌倉「幕府」を開いた頼朝と深い関係があった、というのは何とも言えない巡り合わせ、である。寄り道が過ぎた。散歩に戻る。

とんもり谷戸
公園のベンチで先のコースを想う。これといって、次の目標が定まらない。とりあえず公園のある台地を南に下り、ぐるっと一回りして生田駅の方面に向かうことにする。公園を離れて台地を下る。公園駐車場に。南に上る坂道・車道を進む。尾根筋まで進み、車道を離れ脇道に。ゴルフ場の境に沿って台地を下る。谷戸に下りる。湿地の上に木の橋が続く。里山の雰囲気を楽しみながら遊歩道を進むと初山地区に飛森(とんもり)谷戸
。遊歩道を離れ、林に寄り道。いい雰囲気。台地下の窪地から湧き水が沁み出てくる。今までの散歩で湧水も結構見てきたが、このように、土の間から沁み出す、といったところははじめて。新鮮な印象。何度でも訪れたいところ、である。結構なる満足感。雑木林の中をしばらく歩き、遊歩道に戻る。

平瀬川
遊歩道を南に下る。道に沿って、水路が続く。ゴルフ場内の滝沢の池(初山の池)から流れ出る用水路(とんもり川)ということ、だ。台地が切れたところに比較的交通量の多い道筋が東西に走る。初山交差点を西に進む。飛森谷戸を形づくる樹枝台地の裾といった雰囲気。しばらく進むと川筋。平瀬川。おもわず川筋へと車道を離れ北に進む。源流点まで遡ることに。遊歩道を進むとすぐに分岐。どちらの川筋に進もうかと、ちょっと悩む。が、結局、西に進む川筋に。

尻手黒川道路
川筋を少し進むと比較的交通量の多い道路。地図でチェックすると、専修大学入口から下る道。浄水場通り。住宅街をどんどん進む。途中には湧水公園、といった公園もある。先にすすむと水路は台地下の溝に入り込む。これ以上は進めない。台地を上ると尻手黒川道路に出た。菅生3丁目と水沢2丁目の境目あたり、である。

平瀬川
そろそろ日が暮れる。最寄りの駅をチェック。どことも離れているが、どちらかといえば小田急の生田駅が近そう。北に3キロ程度。尻手黒川道路を離れ北に向かい、先ほどの平瀬川が「消える」ところに戻る。川筋から再び台地に上る。台地の東端には聖マリアンナ医科大学がある。また、西には潮見台浄水場がある。台地を再び下りると川筋。これって、先ほど分岐した平瀬川のもう一方の川筋。こちらが支川である、と。水源は麻生区東百合丘。生田南郵便局のある台地下、田園調布大学裏手あたりまで水路が続いている。多摩丘陵東部台地の森が養った水が、丘陵地の谷合を通り多摩川に注ぐ。今越えてきた台地は平瀬川の川筋を南北に分けている、ということだろう。

小田急線生田駅
平瀬川の支流を越え、またまた台地に取りつく。南生田6丁目と長沢2丁目の境あたりを上る。交通量の多い車道に出る。生田駅前に続く通り。長沢浄水場にのぼるとき交差した道筋だ。緩やかな坂道を下り、五反田川を渡る。五反田川は麻生区細山地区に源を発し、細山調整池をへて、小田急線に沿って東に下る。そうそう、いつかメモしたように、細山の水源近くには香林寺がある。五重塔前からの眺めは一見の価値あり。

世田谷通り、というか津久井道を右折すれば小田急線・生田駅に到着。一路家路へと。ついでのことながら、生田の由来。川の名前にもあったように、「五反田」と「上菅生」を合わしたもの、という説がある。生+田ということだ。地名のなりたちは、いつもながら、それなりも面白い。

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