本日のルート;東日原;7時45分_標高546m>日原鍾乳洞前;8時21分_標高640m>小川林道始点;8時26分_標高646m>賀廊橋;8時43分_703m>滝上谷橋;9時14分_820m>犬麦谷;9時50分_973m>広場;10時12分_1042m>三又;10時56分_1024m>喜右ェ門坂;11時18分_1089m>コツ谷合い;12時2分_標高1202m>二又:12時49分_標高1286m>コツ谷源頭部;13時52分_1466m>長沢背稜縦走路;14時27分_標高1577m>喜ェ門尾根下降開始;14時29分_標高1572m>標高点;15時4分_1466m>三又;15時43分_1024m>広場;16時28分>犬麦谷;16時48分>滝上谷橋;17時8分>賀廊橋;17時35分>小川林道始点;17時48分>日原鍾乳洞前;17時52分_標高640m>東日原;18時25分_標高616m 全行程;27キロ
日原街道
JR 立川駅6時集合。4時過ぎに起き、始発の井の頭線に乗り吉祥寺を経由して立川に。散歩を初めて5年以上になるが、こんなに早く起きたことは、ない。立川で全員集合。S氏、お師匠さん、Gさん、それと私。青梅線で奥多摩駅に進み、バスに乗り換え東日原に向かう。
日原川を渡り、県道204号線・日原街道を北に進む。日原川の東側山肌に張り付く工場が見える。宇宙基地といった風情のコンプレックスは奥多摩工業の石灰工場。昔は下流の二俣尾あたりでも採掘していたようだが、現在は日原に採掘場があり、そこから4キロ弱の距離をこの地までワイヤで曳かれたトロッコで石灰を運んでいる。現在ではハイカーで賑わう奥多摩駅もつい最近、1989年頃まで石灰の積み出し駅であった、という(1999年貨物業務停止)。
日原川に沿ってバスは進む。大沢、小菅を過ぎ、川乗谷からの川筋が日原川に合流する手前、白妙橋を越えた道路の上にちょっとした「鉄橋」が見える。 先ほどの奥多摩工業の石灰運搬トロッコ、奥多摩工業曳鉄線の鉄橋が道を跨いでいる。曳鉄線はほとんど山中のトンネルを進むが、数箇所地表に出たところがあり、ここはそのひとつ。
川乗(苔)谷に架かる川乗橋バス停で、多くのの人が降りる。川苔山を目指す人たちだろう。バスは進み倉沢谷の谷筋を越えると日原トンネル。昭和54年(1979年)完成。全長1107m。トンネルを覆う山塊は氷川鉱山の採掘とか。昔はここに「トボウ岩」という、幾百尺、幾千尺ともいわれる絶景の巨大岩があった、とのこと。トボウは「入り口」の意味である。その昔、日原の集落への入口であったのだろうが、その姿は大崩落やトンネル工事、鉱山採掘などにより消え去り、現在はそれらしき姿はない。
日原;7時45分_標高546m
トンネルを抜けると日原の集落。今をさる500年の昔、天正というから16世紀後半、戦乱の巷を逃れ原島氏の一族が武蔵国大里郡(埼玉県熊谷市原島村のあたり)よりこの地に移り住む。原島氏は武蔵七党、丹党の出。日原の由来は、新堀、新原といった、新しい開墾地といった説もあるが、原島氏の法号「丹原院」の音読みである「二ハラ」からとの説もある。
東日原バス停で下車。時刻は7時45分。おおよそ30分弱で到着。日原川の谷筋の向こうに日原のシンボル「稲村岩」が見える。「イナブラ」とも呼ばれていた。稲を束ねてぶら下げた形と言えなくも、ない。石灰岩でできた砲弾型の奇峰。トボウ岩って、こういったものであったのだろう、か。昔はこの岩壁でロッククライミングの練習をしていたようだ、とSTさん。
バス停よりあたりを見渡す。四方は山、前面は深く刻まれた谷。トンネルにより山塊を穿ち道が通じるまでは山間の僻地ではあったのだろう。秘境とも呼ばれていた。とはいうものの、現在の東京が一面の芦原であった頃、この日原は日原鍾乳洞を核とする浄土信仰の霊地であり、仙元峠を越えてくる秩父・北関東からの人々、また瑞穂・青梅からの人々の往来が数多(あまた)あった、とか。瑞穂・青梅には「日原道」の道標が残る。
江戸時代、信仰の霊地・日原鍾乳洞は上野の東叡山寛永寺の支配下にあり、運営は輪王寺宮の下知に従っていた。と言う。ために、江戸との交流が頻繁となる。日原の特産品であった白箸は江戸市民の必需品となり、正月三が日、その白箸を必ず使うといった仕来りになっていた、と。輪王寺宮の御用箸師が日原の木でつくった白箸を幕府柳営で使うようになったため、柳箸と名前を変え、次第に一般市民が使うようになった、とのことであう。ちなみに、柳営の語源は中国から。匈奴征伐の漢の将軍が軍営を置いたところが「細柳」であった、から。
日原鍾乳洞;8時21分_標高640m
20分ほど小川谷筋を歩くと日原鍾乳洞前に。日原鍾乳洞への道は険路、と思い込んでいたのだが、整備されている。日原鍾乳洞は、一石山大権現とも称されるように、一帯のお山全体を大日如来の浄土とする中世以来の一大霊場であった。大日如来の浄土信仰の霊地に寄ってみたいとは思えども、本日は団体行動。次回のお楽しみ、ということで鍾乳洞行きは、なし。右手に梵天石を見やりながら進む。燕岩のあたりだろうか、左手の山肌が崩れたようで防護壁がつくられていた。日原鍾乳洞から5分弱で小川林道始点。
水源巡視路取り付き;8時40分_標高690m
小川林道始点から10分弱歩いたところに「七跳山・酉谷山-日原鍾乳洞」の道標が立つ。ここが水源巡視路の取り付き地点。STさんの山行記録である地図を見ると、水源巡視路は少し上ったところで二つに分かれ、ひとつは水源巡視路右岸道として小川谷に沿って山腹を進み滝谷・酉谷・悪谷の三つの沢の合流点・三又まで続く。もうひとつは水源巡視路上段歩道として四軒尾根に向かっているようだ。S氏によると、上段歩道は更に尾根を上り、都県界に続く長沢背稜縦走路に合流する、と言う。
巡視路に沿ってモノレールが続く。モノレールと言っても、所謂モノレールではなく、モノ(単一)+レール、と言うだけ。工事用の資材や人を運ぶもの。S氏とST氏の会話からは、表土が崩壊したフシキ沢の崩壊地復旧工事のために設けられた、と聞こえたように思えたのだが、さてどうだろう。ともあれ、奥多摩を歩き尽くしたようなふたりの会話から漏れ聞こえる聞き慣れない地名をキャッチアップするのは至極大変である。
カロー谷出合い;8時43分_標高703m
巡視路取り付き地点から5分も歩いただろうか、賀廊橋に。ヨコスズ尾根とハンギョウ尾根を分かつカロー谷川が小川谷に合流する地点である。カロー=賀廊は唐櫃からの当て字という。お櫃のように聳え、切り立った谷があるのがその所以とか。カロー谷は美しい沢がある、とSTさん。来夏の沢遡上が楽しみである。
ついでのことながら、ヨコスズ尾根、スズ=鈴、ということで、なんと妙なる名前かと思ったのだが、この尾根筋に横篶山(よこすず)というピークがあるようで、とすれば、スズ=篶>篠竹、と言うこと。鈴ならぬ竹の茂る道と、少々無粋な名前と相成った。ハンギョウ尾根のハンギョウは「板形」のこと、とSTさん。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)
広場:10時12分_標高1042m
カロー谷を越え、ハンギョウ尾根が小川谷に突き出したところを過ぎ、30分ほどで滝上谷橋。ハンギョウ尾根と大栗尾根を分かつ滝上谷からの支流が小川谷に合流する。さらに30分強歩くと犬麦谷。大栗尾根と七跳尾根を分かつ犬麦谷の流れが小川谷に合流する。
犬麦谷から20分弱、七跳尾根の突き出し部を回り込む辺りからヘリコプターの旋回音。回り込んだところにある広場から工事用資材を運び上げているとのことである。ホバリングの音が消えた後、突き出し部を廻りきると大きく開けた場所に出る。開けた先に見える山容はカシミール3Dで確認したところ、小川谷を囲む山々、そしてその先、高尾から陣馬山を結ぶ線上の山々だろう。六石山あたりの山稜か、とも。
広場の作業員の方からヘリが接近するので気をつけるように、と。いい機会なのでヘリの作業姿を見るために少し待機。爆音とともにヘリが接近しユンボを吊り上げる作業風景を写真に撮る。風に煽られながら写真を撮り終え先に進む。ほどなく林道が切れ、その先は山道となる。広場までは車で入ってこれそうである。
三又;10時56分_標高1024m
少々味気ない林道から一変、道は渓流沿いの小径となる。小川谷を見下ろす細路の周囲は自然林に囲まれ雰囲気はすこぶる、いい。七跳尾根とゴンバ尾根に挟まれた窪地・川道の窪を越え30分強歩き三又に。滝谷、酉谷、そして悪谷の三つの沢が合流する。滝谷は四軒小屋尾根と喜右エ門尾根、悪谷はゴンバ尾根と石楠花尾根を分かち、酉谷は小川谷の本流筋として酉谷山付近の源流とし谷を刻み、この地で三流は合わさる。三又の名前の所以である。
沢には木橋の回廊が架かり、苔むした翠の岩と自然林は如何にも深山幽谷の渓相を呈する。翠渓回廊楽園と評する人もいる。どうせのこと、杉の植林の中の干涸らびた沢なのだろうと思っていたのだが、予想は大きく外れた。まことに、いい。誘ってくれたS氏に感謝である。先に備えてここで少し休憩をとる。
小川谷の源流に続く酉谷に沿って進む。まずは、喜右ヱ門尾根の突き出し部分に取り付き、山腹の細路を進む。突き出し部を越えると喜右エ門窪、そして喜右ヱ門尾根坂と徐々に高度を上げる。道は再び沢に下り、自然林に囲まれた美しい渓相を堪能しながら1時間弱歩き、比高差160mほど上ったところでコツ谷出合いに到着する。酉谷はここで更に三又となっており、コツ谷と日向谷、そして酉谷本流に別れる。出合いには「日原と長沢背稜線・酉谷山」を示す道標があった。
二又;12時49分_標高1286m
コツ谷出合いで酉谷本流と別れコツ谷に入る。沢はV字に切れ込み、細くなってくる。沢沿いの道と言うより、沢の中を遡上するといった案配。苔むした岩に足を取られたり、沢を塞ぐ倒木を避けたり、沢脇を高巻きに迂回したりと、あれこれ工夫しながら先に進む。おおよそ50分ほど歩き、高度を80mあげ二又に。ささやかな沢が合流する、とSTさん。沢上りデビューの我が身には、沢と言われれば、沢なのかなあ、といったものではあった。
コツ谷源頭部;13時52分_1466m当初の予定ではここから喜右ヱ門尾根窪地へ向かうようではあったが、成り行きで、そのままコツ谷を上りつめ、コツ谷の源頭部へと進む。二又から更に狭くなる沢を上ったり迂回したりと、先に進む。高巻きに迂回するにしても、獣道とおぼしきルートを見つけて進むわけで、落ち葉で足元が覚束なく、沢に滑り落ちないように支える腕が結構きつい。しかしながら、こういった山行ははじめてでもあり、新鮮でもある。
二又から50分ほど、高度を180mほど上げたところで、大岩から水が滴り落ちている。やっと源頭部に近づいた。大岩脇を上り切ったところがコツ谷の源頭部。岩の下から水が流れ出していた。周囲はブナ林が広がる。
長沢背稜縦走路;14時27分_標高1577m
源頭部から先は、長沢背稜に向かって這い上がる、とSTさん。道など絶えて無いわけで、鹿は人と同じルートを歩む、といった案配で獣道を辿ったり、急斜面に取り付いたりと、ひたすらに頭上の尾根を目指す。直登叶わずトラバース気味に進むも、急斜面故に、足がズルズルと斜面を滑る。滑りを支える腕が結構、きつい。40分近く、ほとんど力任せで110mほど高度を上げると、上のほうで熊避けの鈴音が聞こえてきた。尾根道を辿る人とエールを交わしながらやっとのことで尾根道に上る。三又を出て3時間半、コツ谷出合いからでも2時間半かかっている。結構長かった。
長沢背稜は雲取山北方から天目山(三ッドッケ)付近まで続く稜線であり、東京と埼玉の境界をなす。秩父山地・荒川支流の浦山川水系と奥多摩・多摩川支流の日原川の分水界ともなっている。縦走路は稜線を少し巻いて通る。水源巡視路上段歩道である、とS氏。道を少し西に進み、喜右エ門尾根に下る分岐点あたりまで進み少し休憩し下りに備える。
喜右ヱ門尾根下降開始;14時29分_標高1572m
しばしの休憩の間、ふたりのハイカーが長沢背稜縦走路を雲取方面から現れた。縦走路を東に進んだ酉谷の避難小屋に向かうとのこと。時刻は2時半を過ぎた。少し急ぎ気味で尾根を下り三又に向かう。向かう、といっても道があるわけでもなく、尾根筋を力任せに下る、だけ。尾根筋の高みから外れないように、また、支尾根に入り込まないように、STさんのガイドで下ってゆく。
喜右ヱ門尾根1480m峰;15時4分_1480m
20分程度下り、標高を110mほど下げたところがちょっとした鞍部になっている。1480m峰西鞍部とも言われているようだ。地形図で見ると、鞍部北側にすこし緩斜面が続き、その先がコツ谷源頭部となっている。ブナなのかダケカンバなのか、それともシオジなのか、未だにその違いがよくわからないのだが、ともあれ自然林が誠に美しい。樹林の林床であるスズタケは60年周期の笹枯れ、とSTさん。
三又;15時43分_標高1024m
おおよそ20分程度、ほどよい緩斜面を150mほど下る。それにしても一面の落ち葉であり、笹枯れのスズタケに覆われた斜面であり、足元が覚束ない。歩き方もあるのだろうが、皆さんは結構美しく下っている。ほどよい斜面も標高1320mあたりから趣きが変わり、結構急な斜面となってくる。そろそろ酉谷へと尾根が落ちる地点となってきたのだろう。
ここから先は転びつつ、まろびつつ、掴めるわけでもないのだが斜面を手で押さえ、へっぴり腰で急斜面を下る。急斜面を下ること20分、三又に到着。時刻は15時43分。喜右ヱ門尾根を下りはじめ、おおよそ1時間半弱で600mほど下ったことになる。日暮れまでにとりあえず尾根から離れることができて一安心であった。
東日原;18時25分_標高616m
三又で少し休憩し、あとは来た道をひたすら東日原のバス停に進む、だけ。最終は6時50分頃でもあり、これを逃せば奥多摩駅まで4時間ほど歩かなければならない、と。行きはヘリコプターの作業風景を見たりして、わりとゆったり歩き3時間ほどかかっている。あまり時間もない。ひたすらに歩き、広場に16時28分、犬麦谷16時48分。日も暮れ、頭にヘッドライトをつけ、さらに滝上谷橋17時8分、賀廊橋17時35分、小川林道始点17時48分、日原鍾乳洞前17時52分と急ぎ足で進み東日原に18時25分に到着。三又から2時間半ほどで着いた。バス停近くの雑貨店で皆さんは缶ビール、私は暖かい缶コーヒーを飲み、本日の締めとする。
全行程27キロ、午前8時前から歩き始め、日が暮れた午後6時半まで、よく歩いたものである。しかしながら、自然林に包まれた奥多摩の沢や尾根は誠に美しい。今日歩いたコースはとてももこと、ひとりでは歩けるところでもないわけで、誘ってくれたSさん、リードして頂いたSTさんに感謝し本日の散歩を終える。
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