日曜日, 1月 19, 2014

銅山川疏水散歩 そのⅤ: 疏水東部部幹線を隧道分水工から川之江へ

銅山川疏水散歩 そのⅤ: 疏水東部部幹線を隧道分水工から川之江へ 銅山川疏水散歩も東西分水工から西に向かう西部幹線は歩き終えた。水路橋や分水口を探して藪漕ぎをしたりと大変ではあったが、宝探しのようで結構楽しくもあった。
で、今回は東西分水工から東に向かう東部幹線を辿る。ついでのことではあるので、メモの段階でわかった法皇山脈を貫いた隧道の出口まで辿り、そこから水路を探しながら歩くことにする。

本日のルート;戸川公園;疏水記念公園>疏水記念碑>減勢水槽>疏水分流点(分水工)>最初の疏水施設>二番目の疏水施設>三番目の疏水施設>四番目の疏水施設>疏水は開渠に>水圧鉄管を跨ぐ>東西分水工>東西分水工から東に水路>馬瀬谷川脇の疏水施設>赤井川水路橋>淵ヶ本池>鰻谷川水路橋>北岡山第二分水口>北岡山第一分水口>黒波瀬分水口>黒波瀬池>横山分水口>>西山口分水口>サイフォン>東山口分水口>桜木分水口>松山自動車道>水路施設>五社神社

戸川公園;疏水記念公園
もう何度目になるだろう。通いなれた「戸川公園:疏水記念公園」に。公園駐車場に車をデポし、法皇山脈を穿ち銅山川の水を宇摩地方にもたらした隧道出口に向かう。場所は上柏の馬瀬谷上、標高293m辺り。戸川公園近くの銅山川発電所へと下る2本の水圧鉄管が大きな一本線となり、その先で短い線と長い線が併設されているところが、隧道が法皇山脈を抜けたところ、とのこと(愛媛県四国中央市農林水産課 疏水担当の紀井正明氏にお教え頂いた)。Google Mapの地図を頼りに隧道出口へと向かう。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24業使、第709号)」)

疏水記念碑
四国霊場札所66番・三角寺へと続く道を上る。途中、三角寺への道筋から分かれ、くねくねと曲がる山道を辿ると「法皇の恵水」と刻まれた銅山川疏水組合の完工記念石碑があった。
記念碑を越え、切り込む宇戸瀬川の沢筋を大きく南に迂回するとその先に切り開かれた場所が現れた。疏水施設のある広場に到着。当初、道から減勢水槽のある辺りが果たして簡単に見つかるかと危惧していたのだが、杞憂に終わった。

減勢水槽
広場の中央に四角の大きな構造物。ここは疏水を一時貯水する「減勢水槽」。その横ある施設は水利管理の建物。流量やバルブの開度、通水時間などをコントロールするコンピューターが設置されているとのこと(前述の紀井氏より)。 減勢水槽には山腹から下る一本の鉄管が繋がる。その向こうに大きな2本の水圧鉄管が見える。2本の水圧鉄管は発電用水、減勢水槽に繋がる鉄管が銅山川疏水の農業用水のためのものである。

疏水分流点(分水工)
減勢水槽から山腹を見上げ、銅山川の水が隧道から出て3本の鉄管となって下る地点に上ろうと辺りを見回す。と、農業用鉄管に沿って階段がある。階段を上り切ったところで水槽らしき構造物の上に這い上がる。ブッシュが激しく少々難儀したが疏水分流点に立ち、故なき達成感を抱く。堂々として下る鉄管、その向こうに広がる里の景観が美しい。

最初の疏水施設
階段を下り減勢水槽まで戻る。この後はできるだけ疏水水路に沿って下ることに。Google Mapの航空写真でチェックすると、減勢水槽のある広場あたりから下の森に、うっすらと一筋の切れ目が見て取れる。特に根拠は無いのだが、疏水水路の監視路か作業道ではなかろうかと、森の切れ目を探す。
切れ目は簡単に見つかり、整備された道を進むと如何にも疏水施設らしき構造物が現れた。減勢水槽からの水路はこの道の下を通っているのだろう。

二番目の疏水施設
疏水施設から先に進む。ゆっくりとカーブする道を下ってゆくと2番目の施設。コンクリート造りの構造物にはメーター類などもなくシンプル。道はこの施設から左に折れ、急な階段となって下に向かう。
地図を見ると階段下の方向には沢が切れ込んでいる。疏水水路はここで方向を変え、沢筋の上部に向かて下って行くのだろう。

三番目の疏水施設
階段を下り切り。先に見える堰堤の上に回り込み沢を渡る。沢はそれほど水量も無く、踏み石を見つけ、靴を濡らすこともなく沢の左岸に渡る。
沢を渡り、沢に沿って少し進むと3番目の疏水施設があった。この施設も2番目の施設と同じくコン造りクリート造りのシンプルな施設ではあった.。

四番目の疏水施設
沢を進み開けた広場に到着。そこにはこれまでの施設とは段違いに巨大な構造物があった。施設からは暗渠が先に続いている。
当初、減勢水槽から水路を辿り、沢を渡りこの施設の辺りまでたどり着くのは結構難儀なルートだろうと思っていたのだが、予想外に楽に下りることができた。

疏水は開渠に
4番目の施設から続く暗渠の先は、ほどなく一瞬ではあるが開渠となる。金網のフェンスに囲まれた水路の先には開閉ゲートがあり、開渠はそこで途切れ再び暗渠となる。この辺りからの里の景観も美しい。

水圧鉄管を跨ぐ
開閉ゲートから再び暗渠となった水路は緩やかに坂を下り、発電用の2本の水圧鉄管とクロス。水路は上が人道橋となったコンクリート水路橋となって水圧鉄管を跨ぎ水圧鉄管の西側に渡る。
先日の散歩の時、この水路橋を見てはいたのだが、水圧鉄管を渡る跨道橋とは思ったものの、まさか疏水の水路橋とは想像できなかった。

東西分水工
水路橋から少し下ると水圧鉄管脇に水路施設。ここが東西分水工。ここを境に銅山川疏水は、西には西部幹線が土居方面へ15キロほど、東には東部幹線が川之江方面に5キロほど流れることになる。本日は、ここから東へと東部幹線を辿る。

東西分水工から東に水路
東西分水工から東を見ると水路が見える。これが東部幹線の始点部分だろう。前回この地に来たときは、この地が東西分水工ということもわかっていなかったので、見れども見えず、の態であったのだろう。
水路を辿るべく先ほど跨いだ水路橋を渡り、水圧鉄管の東側に移り、簡易な鉄の柵に囲まれた水路を進む。が、水路は民家の脇の石垣手前で暗渠となり地中に潜って行った。

馬瀬谷川脇の疏水施設
地中に潜った水路の先を想う。石垣の東には馬瀬谷課川がある。川の傍には何らかの水路施設があるだろうと、石垣の行き止まりから水圧鉄管まで戻り、水路が進むであろう馬瀬谷川筋に進む。あちこち探すと、馬瀬谷川に架かる橋の東に、敷石で覆われた疏水施設らしきものがあった。位置的には疏水と関係ありそうとは思うのだが、確証はない。

赤井川水路橋
馬瀬谷川の東には赤井川があり、そこには赤井川水路橋が架かるとのこと。Google Mapをチェックすると、馬瀬谷川の疏水施設らしき構造物から直線を伸ばした先に水路橋らしきものが見える。
馬瀬谷川の疏水構造物らしきものがある辺りから一筋下の道を右に折れ、少し坂を上り直すと、お屋敷の手前の石垣に沿って開渠が見えた。
北側に金網を張った開渠を進むと水路橋。赤井川水路橋である。水路橋を渡ろうにも、結構水が溜まっており、中を歩くことはできそうもない。橋の欄干(?)は川床までの高さにビビり、とても牛若丸の真似をすることもできない。また、川床に下りようにも、護岸工事がなされ、手ががり、足がかりが見つからず、また適当な蔓もないため、この場から川床に下りることは諦める。
が、道を下り戸川公園の北端にある水神様の辺りに来ると、川床に簡単に降りれそう。護岸工事で何故か飛び出した石を随処に埋め込んであり、そこを足がかりに川床に。水量も多くなく、落ち葉の山を選んで川を上り、橋の下から水路橋を眺める。苔むした水路橋を勝手に想い、あれこれ苦労してここまで来たのだが、橋は新しかった。ちょっと残念。

淵ヶ本池
赤井川の東詰で隧道に潜った疏水は、丘陵を潜り、丘陵東にある淵ヶ本池の北堤下で開渠となって姿を現す。その開渠を目指して、戸川公園から北に下り松山自動車道に沿って丘陵を迂回し、松山自動車道の跨道橋から南に上る道を進むと淵ヶ本谷池。池の堤下に開渠が見えた。
疏水の水路は確認できたのだが、淵ヶ本分水口の標識は見つからなかった。淵ヶ本池の堤の西端の開渠辺りが分水口なのだろうか。不明である。開渠は池の東端で再び地中に潜る。

鰻谷川水路橋
地中に潜った疏水の先をGooglhe Mapの航空写真でチェック。岡を隔てた東に水路が続く。水路は先に進み川を渡り結構大きな黒波瀬池の北に向かっている。
淵ヶ本池の東端から道を下り、松山自動車により切り取られた丘陵部を東に続く道を進み、丘陵部を迂回し川筋を目安に進むと水路橋。鰻谷川水路橋である。古き趣を感じる。

北岡山第二分水口
橋の東西には水路が続く。水路を西に、淵ヶ本池の東端で地中に潜った開渠部まで進む。水路を進み、水路にクロスする道を越えて少し進むと水路から北に分岐する箇所があり、その脇の草の中に「北岡山第二分水口」の標識があった。

北岡山第一分水口
北岡山第二分水口から更に西に進む。段差となった石垣の民家との境となる部分を進むと石の蓋があり、そこに「北岡山第一分水口」の標識があった。水路はその先で地中へと潜る。





黒波瀬分水口
疏水を鰻谷川水路橋まで戻り、黒波瀬池の北を回り込む水路に向かう。水路が黒波瀬池の西を通る道の脇に「黒波瀬分水口」の標識。分水口の先に水路が続く。






黒波瀬池
池の北を進む疏水開渠をしばし進む。池に沿って緩やかに曲がる水路の景観はなかなか美しい。しばし進むと暗渠となる。道筋も竹などのブッシュとなるが、それもすぐに開けて開渠となり、池の東を進み、池の東で突起のように東に突き出る池の手前で水路は地中に潜る。



横山分水口
池の東の道を進み、その道から右へと折れる道に進む。先を進み、南から来る道が合わさり三叉路となるところに鉄板の蓋があり、そこに「横山分水口」の標識があった。水路はこの道筋の下を進んでいるようである。
三叉路の先は民家があり、その先には川筋がある。地中を進む水路は川筋で何らかの手ががりがないものかと、道を進む。

西山口分水口
川筋の東の道を手掛かりを求めて探していると、地元の人が声をかけてくれ、疏水の流路を教えてくれた。この道筋から東に向かう道筋が流路であり、東に向かう分岐の少し北に分水口があり、そこから西に川に向かって戻れば鉄板に覆われた水路がある、と。
分水口らしき構造物は見つけることはできなかったが、資料によれば西山口分水口、ではあろう。

サイフォン
分水口あたりから、教えに従い畑地の脇を進もうと坂を上りはじめると、畑地を横切ったら、と。言葉に甘え畑地を横切り少し西に戻ると民家脇を鉄板で覆われた水路が現れ、その先には川筋を潜るサイフォンらしき構造物があった。細いながらも沢の対岸の民家の脇にもサイフォンのペアらしき構造物も見えた。

東山口分水口
元の道に戻り、東へと民家の間を進む道筋に入る。その道筋の下を水路が進んでいるとのことである。道を進み門前にいくつか石塔を飾る大きな民家脇を進み、更に東に進むと石垣で進路は止まる。石垣の下には東に向かう水路が見える。地中から現れた銅山川疏水の水路であろう。
石垣を南に迂回し水路の場所に。水が勢いよく流れている。疏水の水ではないだろうし、何だろうと地図をチェックすると、水路上流に西金川送水ポンプ場がある。そこから下る水だろう、か。
で、資料にある分水口は標識がないためはっきりしないが、勢いよく水が流れ込む金網に囲まれた水槽の東に、鉄板で覆われた構造物がある。それが東山口分水口であろう、か。

桜木分水口
「東山口分水口」らしき辺りから、鉄板に覆われた水路が桜木池の北の堤下を緩やかなカーブを描きながら進む。これが疏水流路ではあろうと先に進む。
少し進み、松山自動車道の手前に、鉄板に覆われた構造物。これまたはっきりしないが、桜木分水口のよう。

松山自動車道
疏水水路はもう一つの水路の上段を開渠となって松山自動車道を潜る。自動車道を越えると疏水水路も、それと並行して自動車道を潜った水路も地中へと潜る。
地中に潜った水路には、すぐ先に如何にも分水口といった構造物があるのだが、資料はなくよくわからない。



水路施設
松山自動車道の北にある池の東を、道と段差のある石垣の中を疏水は進んでいるようである。道を進み水路脇の道が車道とクロスするところに大きな水路施設。疏水の水路と思しき鉄板で覆われたコンクリートの先にあるので、疏水関連施設かとも思うが、資料がないのではっきりしない。上部が開かれた四角い大きな水槽といった構造物ではある。




五社神社
水路は開渠となって先に進むが、ほどなく地中に潜り姿を消す。水路が進んでいるかと思う土手脇の道を進むと五社神社。五つの神を合祀した神社が多いようだが、この社は説明もなくはっきりしない。
ともあれ、この辺りまで来るともう水路の手掛かりもなく、日も暮れてきた。五社神社にお参りし、それを区切りに本日の散歩を終え。車をデポしたところまで戻り、一路家路へと。
これで数回に渡って辿った銅山川疏水の西部幹線と東部幹線をほぼ歩き終えたように思う。次の四国の水路歩きは、吉野川総合開発の一環としてつくられた香川用水か、とも思うのだが、如何せん距離が長すぎる。春になって銅山峰の山腹を流れた別子銅山の用水でも歩こうか、とも想う。

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