金曜日, 8月 08, 2014

北秋川渓谷 沢遡上;月夜見川前半を遡上する

今年はじめての沢登り。そろそろどうですか、との沢ガールの要請もあり、どこに行こうかとあれこれチェックする。ご希望は、手ごろなところ、との御下命。昨年の沢の締めくくりにと上った「シダクラ沢」遡上が結構キツカッタようである。
シダクラ沢を遡上するまでは、倉沢とか海沢と言った、沢の傍を林道が通り、適当なところまで進めば帰りは林道をのんびり帰る、所謂スポーツ沢登り、と言うか、「なんちゃって沢登り」を楽しんでいた。が、シダクラ沢はそれまでの沢とは異なり林道もなく、源流まで詰めれば、後は尾根に這い上がり、そこから延々と尾根道を下るしかない、所謂オーソドックスな沢登りである。 尾根に這い上がる「ずぶずぶ」の急登に身動きがとれず、四足歩行をした沢ガールとしては、あのような「荒行」は今年はじめての沢はご勘弁といったとことであろう。
そうして選んだのが北秋川渓谷の月夜見川。適当なところまで林道も傍を通り、それほど難しそうな滝もない、というか滝はほとんどない。月夜見川という名前にも惹かれた。また、月夜見川を源流まで詰め、尾根に這い上がれば、奇しくも、昨年の「荒行」の地であった「シダクラ沢」から這い上がった稜線も指呼の間(ちょっとオーバーか?)といった場所でもあった。
が、何よりの決定要因はバスの出発時刻。武蔵五日市発は6時33分、7時40分の後は9時48分。遡行時間から考えれば9時台でも十分なようで、これならそれほど朝早く起きることもないのが最大の「魅力」であった。
常の如く、事前踏査に出かける。沢のベテランのパートナーであるTさんは仕事で行けないとのこと。初心者でも同行者ひとりであればケアできる「軽め」の沢のようではあるので、パートナーには昨年沢ガールデビューした娘に声をかけ、思いがけず「諾」との言葉。親子仲良く北秋川の奥の奥へと向かい、翌日の沢ガールガイドのチェックをおこなうことにした(以下のメモは、事前踏査の翌日の沢ガールとの遡行記録ではある)。


本日のルート:藤倉バス停_標高486m>藤倉バス停_標高486m>落合橋_標高511m>入渓;11時25分_標高509m>釜をへつる; 11時33分_ 標高523m>左岸高巻き;12時_標高542m>右岸高巻;12時24分_標高542m>大岩や倒木;13時28分;標高553m>最初の堰堤;13時50分_標高562m>8m滝>終了点;14時20分_標高579m>

藤倉バス停_標高486m
武蔵五日市駅から藤倉行のバスにのり、50分近く走っただろうか終点の藤倉に到着。ハッキリした時間は覚えていないが、11時前には着いたかと思う。北秋川に北から注ぐ惣角沢にところにバス停があった。
バス停で帰りの時間を確認。14時24分、15時30分、16時40分とあるが、遅くとも15時30分のバスに間に合うように戻ることにする。 遡行時間はおおよそ2時間弱程度とガイドにある。沢脇を通る林道の終点から藤倉バス停までは50分程度であるので、着替えも考えれば2時頃には沢遡行を終了すべし、と。で、時間に余裕があれば林道が切れた先の「ヒイラギ沢」方面にも足を延ばそうといった計画で 入渓点の落合橋に向かう。

「仙元大神明藤開山」の石碑
バス停から少し戻り、惣角沢に架かる橋の上に停まっていた移動図書館の方に月夜見沢への道を確認。橋からバス停と逆方向に西に向かう道とのこと。その道脇に「仙元大神明藤開山」の石碑と馬頭観音。石碑には「仙元大神明藤開山」とあった。
いつだったか、奥多摩の日原から仙元峠を越えて秩父に向かったことがあるが、その「仙元」とは「せんげん>浅間」のこと。秩父からこの峠を越え、日原の鍾乳洞にお参りし、小河内から富士参拝に向かったとのこと。 この「仙元」も同じく「浅間」のことであり、「明藤開山」とは、富士信仰を広めた長谷川角行の「御神語」のようである。秩父方面からの富士講のルートは秩父浦山>仙元峠>日原>小河内>大寺>小菅(こすげ)の余沢(よさ>佐野峠>大月>)富士吉田であった、とか。
思うに、この北秋川筋の人々は、ここから尾根道を小河内峠へと向かい、そこから現在は奥多摩湖となった小河内の集落を経て富士に向かったのだろう、か。

○富士講
富士士信仰のはじまりは江戸の初期、長谷川角行による。その60年後、享保年間(17世紀全般)になって富士講は、角行の後継者ふたりによって発展する。ひとりは直系・村上光清。組織を強化し浅間神社新築などをおこなう。もうひとりは直系・旺心(がんしん)の弟子である食行身禄。食行身禄は村上光清と異なり孤高の修行を続け、富士に入定(即身成仏)。この入定が契機となり富士講が飛躍的に発展することになる。
食行身禄の入定の3年後、弟子の高田藤四郎は江戸に「身禄同行」という講社をつくる。これが富士講のはじめ。安永8年(1779)には富士塚を発願し高田富士(新宿区西早稲田の水稲荷神社境内)を完成。これが身禄富士塚のはじまり、と伝わる。その後も講は拡大し、文化・文政の頃には「江戸八百八講」と呼ばれるほどの繁栄を迎える。食行身禄の話は『富士に死す:新田次郎著』に詳しい。

落合橋_標高511m
北秋川の右岸を進む。途中、愛宕橋で左岸に渡り、こんなところに民家がといった川に沿って進むと延命山寒澤寺。開山は不明だが、鎌倉建長寺派のお寺さま。深山幽谷のこの地を修行の場に選び、特に江戸の文化文政の頃は多くの高僧が訪れた、とのことである。道を進みバス停から20分程度で落合橋に着く。落合橋の西詰めには消防の機材置き場といった建物があった。
沢には落合橋西詰めにある階段を下り沢に下りる。下りた沢は月夜見沢ではなく白岩沢。月夜見沢は風張峠と中世の甲州街道でもある浅間尾根から続く御林山を結ぶ稜線の谷筋を西から東へと下る。月夜見沢は落合橋から少し下流に戻り、風張峠・月夜見山・小河内峠を結ぶ稜線の谷筋の谷筋を北から南に下る。


入渓;11時25分_標高509m
梯子を下りたところで入渓準備。準備を済ませ、渓流を少し戻り月夜見沢に入る。両側を崖に囲まれたそれなりの雰囲気のある沢である。

遡行
で、休憩を入れて2時間ほど沢を上ったのだが、正直、これといって印象に残る釜もなければ、滝も無かった。終了点は左の林道側に「流水口」の少し先にある釜淵で、左からの「へつり」も難しく、泳げば先には進めたようだが、泳ぐ気もなく沢遡行の終わりとした。
全体の印象としては、沢登りと言うよりも、water walkingと言ったものであり、滝とか淵に分けてポイントを説明するほどの難易度もなかったので、大雑把にメモをする。

釜をへつる; 11時33分_ 標高523m
渓流をゆったり10分程度すすむと釜(11時33分;標高523m)があった。泳げばいいのだろうが、左から「へつる」。落ちてもどうと言うことはないのだが、念のため「シュリンゲ」を木立に引っかけ、左手でシュリンゲ、右手で岩を掴んでクリア。

左岸高巻き;12時_標高542m
そこから穏やかな渓流をのんびり進む。これといった滝も釜もなし。30分弱進み左岸を高巻(12時;標高542m)。丁度好いので、ロープワークのトレーニング。上りは、ロープ、といっても6mの細引なのだが、二重にしてそこにプルージックを結びカラビナに繋ぎ、滑り落ちても体を支えるようにする。下りはプルージックで「懸垂下降」のトレーニング。落ちてもなんということのない、ちょっとした土の崖。もちろんロープがなくても何ら支障はない。

右岸高巻;12時24分_標高542m

しばらく、なんということのない渓流を進む。小滝、と言うほどのこともないのだが、ともあれちょっとしたなめ風の小滝(12時24分;標高542m)の右岸を高巻。これもロープも必要ないが、一応ロープを出す。






大岩や倒木;13時28分;標高553m
その先は小滝を越え、ゆったとした渓谷をピチピチ、チャプチャプ、ランランランといった童心に戻り、水遊びの後はお昼休憩。しばし休んだあとは、出すほどのことのないロープ(13時24分;標高546m)を使ったりしながら先に進むと、その先には大岩がゴロゴロ、倒木が多い一帯が現れる。といって、別に大変なことはなにもない。

最初の堰堤;13時50分_標高562m
ほどなく最初の堰堤が現れる。右から高巻き。ロープを出して、先ほどお勉強したプルージックをロープに結び、スライドさせては自力で上り、ときにフリクションを掛けて、滑ったときの支点確保を体験してもらう。
堰堤を上り切り、今度は下り。下りは8環を使った懸垂下降の練習。下りの崖は土であり、滑り落ちてもどうといったことのないところでのトレーニング。念のためにプルージックでロープとカラビナを繋ぎ、狼狽えて8環の操作を間違い、右手のロープから手を話しても滑落しないように安全確保してのトレーニング。
とはいっても、はじめてお尻を崖に突出し、足を崖に垂直に立てるのは結構大変そうで、慣れるまで結構時間がかかった。はじめての8環を使った崖下降に、レベルが一段階アップしたかと思える沢ガールではあった。

8m滝
第一の堰堤を越えると、左手から8mの滝をもつ沢が入る。瀧を見やり先に進むと第二の堰堤が現れる。この堰堤も右を巻くが、ロープを出すほどのこともなかった。堰堤を越えると左手に流水口が見えた。

終了点;14時20分_標高579m
流水口の先にちょっと大きい釜が現れる。その先は左右が険しい崖となっている。左手から崖をへつることができそうにも思えるのだが、念のためにロープを張ろうと崖をちょっと上るが、身動きとれず。結構危なそうではあるので撤退。あとからガイドをチェックすると、その先に3m滝がありそこから先は進めなかったようである。また、ここから先は釜を泳いで行けば先に進めるとのことであった。

林道に
ここで沢遡行終了。林道は谷筋からはっきり見えないが、とりあえず流水口辺りから林道に這い上がる。流水口辺りまではグズグズのザレ場。その先は背の高い草が茂り先が見えない。とりあえず草を掴み藪漕ぎ、というか草漕ぎで力任せに上ると、左手に林道のガードレールが見えてきた。一安心し、ひたすら直登し林道に上がる。
着替えはスタート地点の落合橋ですることにして、とりあえず林道を戻り、着替えをおきない、計画通り15時30分のバスに乗り、武蔵五日市に戻り、本日の沢遡行を終える、。

○林道終点からその先の沢に
ここから先は事前踏査で娘と歩いたときの記録だが、同行者が一人であったので、上記記録より早いペースで進めたため、林道に上った後、林道終点まで進み、その先で沢に入り遡行した。
しかしながら、右手から高岩沢が入り、その先でも沢が二手に分かれるなど、本流がどちらかはっきりしなくなり、倒木も多く、バスの時間に間に合うところで撤退した。

■月夜見川のあれこれ

○初心者向けの沢
難しい滝も釜も、険しい高巻きもなく、ロープも必要ない沢

○泳ぐのが楽しそう
我は、泳ぎは極力避けるのだが、今回の終点までも、また、今回終点とした先も、泳ぐのであれば林道終点へと沢を進めるようである。

○林道が沢に沿って通るが、比高差があるため、随時エスケープすることは困難
初心者とは言ったものの、今回終点とした辺り、流水口辺りまで遡上しないと、林道に上るのは困難。林道と沢の比高差がかなりあり、途中でエスケープは困難なように思う。

○この沢は今回遡上した「前半部」ではなく、林道終点からヒイラギ沢を詰める「後半部」が沢登りのメーンルートのよう
今回の事前踏査でちょっと辿った沢を進み「ヒイラギ沢」を詰め、そこから藤倉から小河内峠の稜線・陣馬尾根に這い上がるのが沢登りの常道のようである。



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