黒滝峠を目したのはアプローチの都合上。黒滝峠まで繋ぐことができれば、その先は黒滝峠の東2キロほどのところまで大規模林道が続いているためそこに車をデポし黒滝峠ピストンで道を繋ぐことができる、が、途中撤退の場合、尾根筋を藪漕ぎで再び辿ることになるため、それはかなわんと黒滝峠を目したわけだが、黒滝峠への尾根筋の半分も行けず時間切れ撤退となった。
黒滝峠をつなぐため、首まで埋まるような草や笹原、藪漕ぎ再びと覚悟していたのだが、捨てる神あれば拾う神あり、ではないけれど撤退地点近くを猿楽岩に向かって林道が通っており、しかも路面は結構しっかりと踏み固めらみれていた。
なんとなく撤退箇所まで車で寄せることができりだろうとルーティング。簡易舗装されているわけではないため、おっかなびっくりではあるがノロノロ運転で撤退地までなんとか車を寄せることができた。撤退地傍に車をデポし、尾根筋を猿楽岩を経由して黒滝峠までを繋ぐことができた。
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猿楽岩から黒滝峠;赤が往路実行ルート。緑が久万高原遊山会のルート。緑が復路道迷い箇所 |
ルートは先回の尾根筋と同じく基本踏まれた道はほぼ無い、といってもいい。笹原・草原・藪の繰り返しといったルートで距離からすれば3キロほどだと思うのだが、道迷いもあり往路4時間弱かかってしまった。猿楽岩から黒滝峠までの間には久万高原遊山会の皆さんが立てた30もの道標があるようであり、であれば道に迷うこともなく、うまくいけば黒滝峠を越えて大規模林道まで繋げるかも、などと思っていたのだが、事はそれほど簡単でもなかった。
黒滝峠からピストン復路で車デポ地に戻ったのが午後5時40分頃。復路も往路と同じくらい時間がかかってしまった。常時GPSギアと睨めっこしておればルートから外れることもないのだろうが、お気楽に成り行きで進んではルート修正の繰り返しといった為体ではあった。
前回撤退地まで車を寄せることができたのでよかったのだが、そうでなく尾根筋を辿って黒滝峠ピストンした場合、確実に途中で日没となっていただろう。 ともあれ、土佐街道の山間部クリアの愛媛側はこれで終了。道迷いはしたが、愛媛側は久万高原遊山会の土佐街道ルート図が県境まであったのでよかったのだが、次回から辿る高知県側はルート概要はなんとなくわかるが、詳しいルートは全くわかっていない。さてどうなることやら。とりあえず現時点では出たとこ勝負ということになる。
本日のルート;車デポ地へ>笹道>土佐街道標識>右手下にササミネ林道が見える>笹道と合流点の手前に「旧土佐道」標識>分岐を右の道を進む>2基の土佐街道標識1と土佐街道石碑>猿楽大師堂前に里程石>「土佐街道」標識2>土佐街道標識x>「土佐街道」標識3>木の根元に「土佐街道」の案内が吊られている>「土佐街道」標識4>分岐手前に「土佐街道」標識19>「土佐街道」標識5>「土佐街道」標識6>「土佐街道」標識7>「土佐街道」標識8>「土佐街道」標識>「土佐街道」標識10 >「土佐街道標識」11>「土佐街道」標識12>「土佐街道」標識17>「土佐街道」標識13>「土佐街道」標識14>「土佐街道」標識15>黒滝峠
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車デポ地へ;午前9時36分(標高1072m)
笹道から林道を見る |
自宅を出て久万高原町に。そこから県道12号に入り道なりに県道210号美川川内線に乗り直瀬川に沿って四国札所45番岩屋寺前を抜け面河川の谷筋へ。直瀬川が面河川に合流する箇所を左折、古味の集落で面河川を左岸に渡り山稜部に入る。ほどなく箕川集落へと向かう県道210号支線に乗り換え、箕川集落を越え尾根筋に向かう。
途中、面河川を越えて尾根筋へと上った土佐街道交差部を見遣りながら尾根筋を越え前川の谷筋へと木地の集落へ下る。途中、林道長崎線(幅4m 延長2460m)の起点標で県道支線を離れ林道に入る。
ここからは舗装は切れる。林業盛んな地のためか木材運搬のトラックで結構踏み固められてはいる。それでも土道。小石が転がる道をパンクを避けてゆっくりと車を進める。
左手に赤蔵神社を見遣りながら700mほど進むと左に分かれる道がある。「林道ササミネ線(幅3m 延長640m)」とある。ここを左に折れ「林道ササミネ線」を進む。時に現れるちょっと荒れたところは更に慎重に車を進め2.5kmほど進み先回撤退した箇所近くの広いスペースに車をデポする。
笹道
途中、面河川を越えて尾根筋へと上った土佐街道交差部を見遣りながら尾根筋を越え前川の谷筋へと木地の集落へ下る。途中、林道長崎線(幅4m 延長2460m)の起点標で県道支線を離れ林道に入る。
ここからは舗装は切れる。林業盛んな地のためか木材運搬のトラックで結構踏み固められてはいる。それでも土道。小石が転がる道をパンクを避けてゆっくりと車を進める。
左手に赤蔵神社を見遣りながら700mほど進むと左に分かれる道がある。「林道ササミネ線(幅3m 延長640m)」とある。ここを左に折れ「林道ササミネ線」を進む。時に現れるちょっと荒れたところは更に慎重に車を進め2.5kmほど進み先回撤退した箇所近くの広いスペースに車をデポする。
笹道
土佐街道標識;午前9時41分(標高1077m)
右手下にササミネ林道が見える;午前10時5分
久万高原遊山会の資料にはこのルート上、笹原の中に「盗人岩」と称される岩があるようで、それなりに注意しながらあるいたのだが、それらしき風情の岩を見付けることはできなかった。
笹道と合流点の手前に「旧土佐道」標識;午前10時8分
分岐を右の道を進む;午前10時12分
左手の道が土佐街道っぽいのだが、地図でチェックする限りでは左手の道は尾根の北、国道494号の東川谷筋の中村、または同谷筋の横滝から二箆山(ふたつのやま)の北麓を上ってくる林道からこの地に上り、更に南の前川の谷筋の「うつぎょう」の集落を結ぶ山道のようにも思える。
結局、キャタピラー跡が残る少々情緒はないが、藪漕ぎの必要もない至極快適な右側の道を進むことにした。只、実行ログをみるとプロットしたルートから南に少しずれてる。ひょっとしたら左に道をとれば尾根筋を進めたのかもしれない。
土佐街道標識1と土佐街道石碑;午前10時26分
「土佐街道」の木標は久万高原遊山会の立てたもの。このあたりから黒滝峠まで30基設置されているとのこと。便宜上、以降久万高原遊山会設置の木標に番号を付けて記載する。ここは「土佐街道」標識1。
猿楽大師堂前に里程石;10時27分
**大師おわしまします |
「えひめの記憶(愛媛県生涯学習センター)」には、「昭和30年(1955年)くらいまでは建築の材を積んで駄賃持ちが通行していました。戦前には土佐から干物、伊予からダイズ、アズキなどの産物が運ばれ、猿楽の大師堂の所では、相撲が行われることもあり、人の行き交うことも多かったのです」とある。その頃には人の往来により踏み込まれた道筋が通っていたことかと思う。
「土佐街道」標識2;午前10時40分
里程石前を東に下る |
数分歩き10mほど下った道の左手に「土佐街道」標識2が立つ。足元は一面草覆われるがなんとなく道筋っぽいところを東進する。
土佐街道標識x;午前10時45分
朽ちた木橋 |
土佐街道標識xとしたのはGPSに位置情報を入れ忘れたためメモの段階で追加しただけのこと。
「土佐街道」標識3;午前10時52分
木の根元に「土佐街道」の案内が吊られている;午前10時55分
「土佐街道」標識4;午前10時58分
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分岐手前に「土佐街道」標識19;午前11時2分
それはともあれ、しっかり踏まれた道は直ぐに消える。この辺り、今までの左が高く右が低い地形とちょっと異なっている。左手は1169mピークから二箆山(ふたつのやま)に連なる尾根筋への上り。右手も南に突き出た広い1100m頭高線の中に10m程の小丘が形成されている。土佐街道は両サイドの高みの間を抜けていく。
「土佐街道」標識5;午前11時13分
●復路
ピストンされる方がそれほどいらっしゃるとも思えないが取敢えずメモするが、復路はルート取りが結構大変。標識の立つあたりは一面の笹原であり踏まれた跡など望むべくもない。
木標の指す方向に歩を進めるが直ぐ藪で行く手を阻まれる。何度か同じことを繰り返したのだが両サイドの高みの境、割とフラットな笹原で結構右往左往するこことになった。往路はなにゆえにすんなり標識5に出合ったのか狐につままれた感。
木標の指す方向に歩を進めるが直ぐ藪で行く手を阻まれる。何度か同じことを繰り返したのだが両サイドの高みの境、割とフラットな笹原で結構右往左往するこことになった。往路はなにゆえにすんなり標識5に出合ったのか狐につままれた感。
最後はGPSと睨めっこしながら、国土地理院の地図の記載される破線からはずれることなく進みなんとかクリアできた。この間久万高原遊山会の設置した木標が2基ほどあるようだが、見付けることはできなかった。
「土佐街道」標識6;午前11時23分
「土佐街道」標識6;午前11時23分
「土佐街道」標識7;午前11時30分
「土佐街道」標識9;午前11時37分
「土佐街道」標識10 ;午前11時42分
久万高原遊山会のプロットしたルート図からは南にずれているのだが。GPSの測定誤差なのかどうかはっきりしないが、復路はほのプロットしたルートを戻っているのでGPSの測定誤差の範囲なのかもしれない。
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「土佐街道標識」11;午前11時54分
標識11から先、標識12までの間のルート取りが往路・復路とも結構難しかった。
●往路
久万高原遊山会のルート図では標識11から12まではほぼ東進するとあるのだが、行きつ戻りつ東進するアプローチを探したのだが、それらしき箇所は見つからず、少し踏まれた感のある道(?)を進むとプロットした土佐街道ルートから南へ結構離れてしまった。
久万高原遊山会のルート図では標識11から12まではほぼ東進するとあるのだが、行きつ戻りつ東進するアプローチを探したのだが、それらしき箇所は見つからず、少し踏まれた感のある道(?)を進むとプロットした土佐街道ルートから南へ結構離れてしまった。
この沢を上りオンコースに復帰 |
踏み跡も消え藪となった辺りで、もうこれ以上は勘弁とプロットしたルートに復帰すべく北に向かう。と前面に深い沢。3mほどのギャップがあるだろうか。
沢の右岸をプロットしたルートに戻るべく北に向かうが結構な藪。これは沢を上るほうが楽だろうとギャップが低くなった辺りで沢に入り込み、沢伝いに北進し地図にプロットした地点に戻る。そこは沢も切れ踏み跡もあり、また沢のすぐ東側には「土佐街道」標識12が立っていた。この間50分ほどかかった。これが往路。
「土佐街道」標識12;午後12時43分
沢から久万高原遊山会のルートに復帰した直ぐ東に標識12が立つ。藪漕ぎ、沢上りで少々萎えた気持ちがちょっと元気になる。難儀した往路ではあるが、復路はこの標識12で偶々ではあるが久万高原遊山会のルートに乗ったわけであり、標識11までの戻りは楽勝かと思いは早々に崩れてしまった。
●復路
復路では標識12から地図にプロットした土佐街道ルートを西進すると直ぐに「土佐街道」標識18がみつかった。これは楽勝かと思ったのだが、その後は踏み跡がはっきりせず、お気楽にすすむと北に振れ、南に振れと軌道修正に結構時間がかかり標識11まで、おおよそ1時間かかってしまった。常時GPSと睨めっこしながら進めばいいのだろうが、この筋だろうとお気楽にすすんだ結果の為体である。往路、アプローチ口を探した標識11から東進する分岐にどこで合流したのかはっきりしないまま標識11に進んだ。
結論としてこの標識11と12の間は、東西に連なる二箆山(ふたつのやま)からの尾根須が黒滝峠へと南東に向きを変えたその尾根筋に向かい、等高線1100mから1150mへとGPSを頼りに東進するしか術はないかと思う。
標識4と標識5の間は復路が結構大変であったが、この標識11から12の間は往路・復路ともに結構大変かと思う。
藪漕ぎで疲れ果てズボンに引っかかる茨を外す気力もなくなり、力任せに突破し、案の定ズボンが大きく裂けていた。土佐街道歩きだけてこれで3回目のカケツギ修繕依頼となる。新品のズボンが買えるほどの修繕費。お店も気の毒がってくれ3回目はちょっとサービスしてくれた。
「土佐街道」標識17
復路では標識12から地図にプロットした土佐街道ルートを西進すると直ぐに「土佐街道」標識18がみつかった。これは楽勝かと思ったのだが、その後は踏み跡がはっきりせず、お気楽にすすむと北に振れ、南に振れと軌道修正に結構時間がかかり標識11まで、おおよそ1時間かかってしまった。常時GPSと睨めっこしながら進めばいいのだろうが、この筋だろうとお気楽にすすんだ結果の為体である。往路、アプローチ口を探した標識11から東進する分岐にどこで合流したのかはっきりしないまま標識11に進んだ。
結論としてこの標識11と12の間は、東西に連なる二箆山(ふたつのやま)からの尾根須が黒滝峠へと南東に向きを変えたその尾根筋に向かい、等高線1100mから1150mへとGPSを頼りに東進するしか術はないかと思う。
標識4と標識5の間は復路が結構大変であったが、この標識11から12の間は往路・復路ともに結構大変かと思う。
藪漕ぎで疲れ果てズボンに引っかかる茨を外す気力もなくなり、力任せに突破し、案の定ズボンが大きく裂けていた。土佐街道歩きだけてこれで3回目のカケツギ修繕依頼となる。新品のズボンが買えるほどの修繕費。お店も気の毒がってくれ3回目はちょっとサービスしてくれた。
「土佐街道」標識17
「土佐街道」標識13;午後13時3分
「土佐街道」標識14;午後13時7分
「土佐街道」標識15;午後13時13分
それはともあれ黒滝峠は何処?この鞍部とは思うのだが標識がない。土佐街道筋の他、南と北に道が抜けるが下り気味。念のため両方の道を少し進むが峠といった風情のところはない。
●池川紙一揆逃散の道
そのルートは寄居の集落から水ノ峠、雑誌山北麓の通称「雑誌越え」を経てこの黒滝峠で伊予に入る。黒滝峠からは数回に渡り歩いて来た土佐街道の逆ルート、猿楽岩から尾根筋を進み七鳥に下る通称「予州高山通り」を進み(七鳥に下る山麓に高山集落の地名が地図にある。高山通りの由来だろうか)、久万の四国遍路第44番札所大宝寺に庇護を求めた。
結局、この寺において帰国後処罰されないことを保証され、3月21日大宝寺を離れ帰国の途につく。帰路は土佐街道・松山街道のもうひとつのルートである、現在の国道494号筋を進み瓜生野峠(サレノ峠?)を経て用居の番所で取り調べを受けた後、池川に戻ったとのことである。
●中島与一郎脱藩の道
これで先回取りこぼした猿楽岩の手前から予土国境・黒滝峠までをつないだ。距離の割には時間がかかり過ぎている。距離は3キロ強程度なのだが往路・復路ともに4時間弱かけて歩いている。道迷いのロスを1時間としても3キロ3時間。体力の衰えか、痛めた膝ゆえの歩行スピードの遅れなのか、ほとんど藪こぎといったルートゆえか、多分にこれら要因の合わせ技ではあろうが、これから先、佐川までは雑誌越え、鈴ヶ峠越えなどが控えている。
鈴ヶ峠越えは比高差600mほどを一気に上るようだ。体力の衰えはしかたないにして、せめて藪漕ぎだけは勘弁してほしいの願うののみ。ともあれ。次回は土佐側の大規模林道から黒滝峠を繋ぎ、状況によっては水ヶ峠まで進むことができればと予定を立てる。
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