金曜日, 7月 30, 2021

予土往還 土佐街道・松山街道 ⑤ ; 仁淀川町の大規模林道から黒滝峠を繋ぐ

予土往還 土佐街道・松山街道歩きの5回目。先回は予土国境の黒森峠まで繋いだ。今回から高知県域の土佐街道・松山街道に入る。
黒森峠へのアプロ―チは高知県阿川郡仁淀川町の池川、坂本、寄合、ツボイの集落へと高度を上げ、山中を走る完全舗装の大規模林道に車をデポする。標高は933mほど、目的地の黒滝峠は直線距離で4キロもない。比高差も黒滝峠は1175mほどだから250mほど。それほど厳しくはないだろうと思っていた。
大規模林道から黒滝峠(赤は実行ログ。緑は想定ルート)

が、ついにやってしまった。復路半分を残し日没。なんとかデポ地に戻ろうとライトとGPSを頼りに夜も行動を続けたのだが、デポ地まであと四分の一ほど残して気が付けば午前4時半。夜の藪漕ぎは同じところをグルグル回るだけでほとんど進むことはできなかった。
往路車デポ地出発は午前8時半、黒滝峠着は午後2時。往路で5時間半かかっていた。滝峠発午後2時半、車デポ地は日没ギリに戻れるかと思ったのだが読みが甘かった。往路途中でちょっと「撤退すべき」との想いが頭をよぎったのだけど、途中撤退すると黒滝峠への繋ぎがまた面倒だと突っ走ってしまったのが結局朝まで歩くことになったすべての因。
それにしてもなぜ往路で5時間以上かかったのだろう。勿論藪が多く、はっきりした踏み跡も少なく、その上途中3つの沢では数メートルのギャップがあり、その度に沢を上った先のルート取りが難しかったりもしたが、それでもデポ地から黒森峠までの前半部にはルート案内らしき白や赤のリボンが木の枝に巻かれており、それなりにオンコースであることを確認しながら進んだ。後半部はほどんどリボンに出合わなかったのだが、多分どこかで見逃したのだろう。
ルートのほぼ中間点、復路日没地点には午前10時半、そこまで2時間を要しており、その先ほとんどリボンと出合わなかった黒滝峠までで3時間半ほどかかっている。雑誌山から黒滝樋を経て大規模林道に下りる方も多いかと思うのだが、皆さんどの程度の時間で歩かれているのだろう。
このような為体のためメモでは当初黒滝峠からのピストン復路をメモする予定でいたのだが、それは叶わず、往路大規模林道から黒滝峠までをメモする。普通に歩けば3時間ほどかと思うのだが、膝の痛みを庇いながらの行程であり、上述の如く大層な時間がかかっている。コースタイムはあまりあてにならないかとは思う。地図には途中みつけたルート案内の赤や白のリボンをプロットしてある(リボンはRで示す)。こちらはオンコース確認に少しは役立つかと思う。
それにしてもこのルートには「土佐街道」とか「松山街道」といった標識はひとつもなかった。特段街道筋が比定されてはいないようだ。実行ログも想定ルートも「予土往還 土佐街道・松山街道」と言うわけではない。往昔土佐と伊予の往還としてこのルート辺りを歩いたのだろうといった程度のルートではある。



本日のルート;大規模林道デポ地>国土地理院破線箇所に合流>黒滝峠標識>枝尾根稜線部の前後にリボン>沢>枝尾根廻り込み>沢>大きな沢>大きな沢沢>リボン>リボン>一瞬道幅が広がる>リボン>黒滝峠


大規模林道から黒滝峠前半部(赤は実行ログ。緑は想定ルート)

大規模林道デポ地l午前8時38分
池川から坂本、寄合、ツボイの集落と車一台ギリギリ、時には谷川はガードレルもなく山側は用水路といったちょっと慎重にならざるを得ない道を抜けると二車線完全舗装の大規模林道を走り車デポ地へ。場所は国土地理院地図に黒滝峠から大規模林道へと破線が繋ぐ地点の少し手前、沢傍のガードレールが切れたところ。道を沢へと少し入ったところに木に吊るされた赤いリボンがアプロー地点。成り行きで山入り。

国土地理院破線箇所に合流;午前8時48分(標高970m)
草に覆われた間、踏み跡は感じられないがそれっぽいるルートをジグザグに10分、高度を50mほど上げると、国土地理院地図に記載された破線部に到着。破線交差部に木に吊られたリボン(R1)があった。
このリボン、往路は問題ないのだが復路ではリボンの指す道は国土地理院の破線の示す方向に進むように見える。この路を下ると、途中破線部からも分かれ大規模林道に下りるのだが、林道手前は藪、また林道とのギャップが大きく地理院破線部まで藪漕ぎをしてそこから大規模林道に出ることになる。ちょっと注意が必要。

黒滝峠標識;午前9時30分(標高1030m)
国土地理院地図の破線部に乗った先は、破線部に沿って進む。この辺り山相が草から林は木立の中を進む。破線部交差部から直ぐリボンが3つほど吊るされていたが、その先黒滝峠の標識までリボンをみることがなかった。実行ログは国土地理院地図破線(以下「破線」)の北側を進んでいるが結構フラフラしており、復路では@破線を下っておりそこにリボン(R4)があった。当初想定したルート図がオンコースであったのかしれない。

枝尾根稜線部の前後にリボン;午前9時39分(標高1040m)
その先10分ほどで枝尾根稜線部、等高線1040mに沿ってぐるりと廻る。稜線部の前後にリボンがありオンコースを確認。
この辺り復路では午前5時頃となっており、夜が明け往路で見逃した3つのリボン(R5,R-,R7))が目に入った。往路ログ上にあり、この辺りの実行ログはオンコース間違いないかと思う。

大規模林道から黒滝峠中半部(赤は実行ログ。緑は想定ルート)


沢;午前9時58分'(標高1050m)
枝尾根稜線部を回り込んだ先にもリボンが続く。安心できる。ほどなく沢音が聞こえてくる。この先もリボンが続く。実行ログも右往左往していないので割と成り行きで進めるところだったのだろう。
リボンを確認しながら枝尾根の廻り込み部から20分ほど歩くと沢に出合う。途中枯沢はあったが水流のある沢(沢1)ははじめて。この沢は道筋(?)とあまりギャップがないため沢の先のルートも想定しやすい。実際沢を渡るとほどなく大岩がありその傍にリボンがあった。

枝尾根廻り込み;午前10時12分
リボンを見遣りながら10分ほど進むと1000mの等高線が大きく北に延びた枝尾根があり、その広い出っ張り部に30mほどの小丘があり、ルートは等高線1030mに沿って枝尾根の鞍部を英賀廻り込む。
昼間の明るく先が見通せるときは鞍部をを何の問題もなく成り行きで進めたが、復路真夜中の行動ではここを抜けるのが最も難しく、1時間以上も同じ処をグルグル回っているだけだった。日没後の藪漕ぎは誠に難しいことを実感。

沢;午前10時40分(標高1054m)
この辺り、短い間隔でリボンが木の枝に吊られている。安心して30分ほど歩を進めると小さな沢(沢2)。どうということのない沢ではあるが、この先も4つほどの沢があり、中には2つほど道筋とギャップのある沢がある。往路沢を越えた先のルート取りがむずかしかったため、日没までには「大物」の沢だけは越えておこうと急ぎ、この辺りでライトなど準備し始めたところでもある。

大きな沢;11時5分(標高1020m
枝に吊られた多くのリボンにオンコースであることを確認しながら20分ほど歩くと「池川町有林」の木標(午前11時)。その直ぐ先に結構大きな沢(沢3)。道筋と結構ギャップがあり、その先も水草のような低い草が一面にひろがっておりルート取りが難しい。
とりあえず想定ルートに沿って歩を進めるとリボンがあり一安心(午前11時20分)
 
大規模林道から黒滝峠後半部(赤は実行ログ。緑は想定ルート)

大きな沢;午前11時34分(標高1000m)
その先のリボン(午前11時27分)を過ごすと1000m等高線が南に切れ込んだところにまた割と大きな沢(沢3-1)にあたった。道筋とのギャップもあり、その先のルートは不安であったが、沢を渡るとすぐリボンがありオンコースを確認できた。 その直ぐ先にも沢があった(11時43分)

沢;午後12時17分(標高1030m)
その先20分ほど進むとリボン(R40;午前11時54分)。これまでコンスタントに目にしたリボンはこれから先しばらく目にしなくなる。午後12時17分沢(沢4)にあたる。実行ログを見ると想定ルートより南に振れている。オンコースはもう少し北、「破線部」付近を進むのかもしれない。

リボン;午後13時6分(標高1060m)
等高線1030m付近から1050mにかけて、等高線を斜めに上る。1050m等高線が西に切れ込んだあたりに沢(沢5)があった(午後12時50分)。そこから10分ほど成り行きで進むと突然リボンが現れた。ほぼ1時間ぶりのリボン。この間、オンコースから逸れて歩いていたのだろう。とはいっても踏み込まれた筋があるわけでもなく、偶々出合ったといったものである。



沢;午後13時24分(標高1100m )
更に進み1100m等高線が東に突き出たところ、1110m等高線との間隔が少し広くなった平坦部にリボン(R42)があった。その傍にはギャップはないが結構広い沢(沢6)があった。






一瞬道幅が広がる;午後13時36分(標高1120m)
等高線1110m地点から1120mに向けて斜めに上って行くと山中ではあるのに道幅が広がる。先回黒森峠に着いた時、下山道は結構広く、その道がここまで続いているのか、これは楽かも、と思ったのもつかの間、すぐに草に覆われてしまった。簡易舗装道かと思うくらいのあの一瞬の道の風情は、いったい何だったのだろう。




リボン;午後13時42分(標高1130m)
6分ほど進むと赤いリボン(R43)。オンコースのようだ。黒滝峠までは残り40mほど高度をあげればいい。

黒滝峠;午後14時9分(標高1175m)
30分ほどかけ高度を40mあげ黒滝峠に到着。峠からの広い下山道はそれほど長く続いてはいなかった。
峠で先回確認し忘れた里程石の文字を確認。「松山札辻より十二里十八丁」とあった。この地に「松山札辻より十二里十八丁」と刻まれた里程石があったとする伝承をもとにつくられたレプリカのようだ。
なんとか黒滝峠をつないだが、復路は上述の如く途中日没。一刻も早く家に戻ろうと夜間も行動。が気が付けは夜が明けていた。夜は沢の水と柿の種でなんとかしのいだが、夜が明けるころには水も切れ、少々きつかった。
結局車デポ地に戻れたのが午前10時半。一晩中なんとか下山しようと動いてはいたのだが同じところをグルグルまわってるばかりで、体力の消耗だけで距離はほとんど進んでいなかった。ライドとGPSがあっても漆黒の闇の藪漕ぎはコストパフォーマンスはあまりよくなかった。最後には立ちあがる元気もなくなり、座り込んだままズルズルと山を下る為体。大した距離でもないのみ車デポ地に戻ったのが午前10時を越したのはそのためである。
結構怖がりの性格のため、日没だけは避けようといままで歩いてきたが、これが最初の日没遭遇。もう少し慎重に行動しようと思う。
ちなみに水がのめたのは11時頃。池川へと下る道の途中、沢の小滝から下ちる清流を浴びるほど飲んだ。やっと生き返った。水のない半日が一番きつかった それにしても予土往還は楽させてくれない。

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