(国土地理院地図Vector上にウェイポイント・トラックをプロット。左上の地図マークをクリックすると地図を切り替えることができます。
尚、Vectorの仕様変更に伴い地図に不具合がでる可能性はあるようです)
■東部幹線の共用区間(上水道用水・工業用水と農業用水の共有区間)の終点である
奈良須分水工から田辺池の東部幹線揚水機場まで■
奈良須分水
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[古川局]
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[奈良須分水工] |
前回の終点地である奈良須分水、「古川局]、[奈良須分水工]、[諏訪山分水工].[東部上工水分水工]といった用水施設が並ぶ東部幹線の共有区間(上水道用水・工業用水と農業用水の共有区間)より農業用水専用区間に入る。
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[諏訪山分水工] |
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[東部上工水分水工] |
その距離はおおよそ38kmほど。用水管理主体は共有区間の水資源機構から香川県土地改良区となる。
川部第一開水路 / 牛池サイホン入口
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[川部第一開水路] |
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[牛池サイフォン]入口 |
東に進み県道174号千疋空港線を越えると開水路が現れる。開水路西端の銘は読めなかったが、[岡本トンネル]の出口かとも思う。幅3.2m,深さ2.75mのフルームタイプ(箱型)の開水路は[川部第一開水路]とあった。200mほどの開水路は東端は[牛池サイフォン]となって地中に潜る。
牛池サイホン出口 / 川部第二開水路 / 諏訪西サイホン入口
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[牛池サイホン]出口 |
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[川部第二開水路 ]の東端は[諏訪西サイホン] |
直ぐ先に開水路。西端に[牛池サイホン]出口。90m弱の長さのフルームタイプ(箱型)の開水路は[川部第二開水路 ]とあり、東端は[諏訪西サイフォン]となって地中に潜る。 [牛池サイホン]もそうだが、小川を抜けるというより農地へのアプローチ道として水路を切っているように思える。
諏訪はこのあたりの地名。
諏訪西サイホン出口/ 川部第三開水路/ 古川チェック/ 古川サイホン入口
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[諏訪西サイホン]出口の先は[川部第三開水路]
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[古川チェック]の東に[古川サイホン]入口 |
直ぐ開水路。西端は[諏訪西サイホン]とある。90mほどのフルームタイプ(箱型)の開水路を進むと東端に[古川サイホン]。その手前に [古川チェック]がある。
5mメッシュの地形でみると、牛池サイホン入口から諏訪西サイホン出口あたりまでは台地から東に延びた細長い枝状台地の上をはしっているが、古川サイホンの辺りで低地に下りている。ここから先しばらくは香東川などが開いた高松低地を4キロ弱進むことになる。
古川サイホン出口 / 川部第四開水路 / 古川東サイホン入口
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[古川幹線流量計室] |
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[古川サイホン]出口 |
[古川幹線流量計室]と書かれた用水路施設を見遣りながら本津川支流の古川を渡るとすぐ100mほどの開水路が現れる。西端には[古川サイフォン]とある。
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[川部第四開水路] |
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開水路東端に[古川東サイホン]入口 |
3.2m,深さ2.75mのフルームタイプ(箱型)の開水路は[川部第四開水路]。開水路東端は[古川東サイホン]とあった。
古川東サイホン出口 / 川部第五開水路
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[古川東サイホン]出口 |
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[川部第五開水路]東端 |
その先すぐ先、フルームタイプ(箱型)の開水路。西端開口部に[古川東サイホン]とある。長さ80mほど。[川部第五開水路]とある。開水路東端には名前は記されていなかった。
川部第一開水路
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[川部第一開水路]と記される |
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[川部第一開水路] |
その先に開水路。[川部第一開水路]とある。[川部第一開水路]って先ほど出合っている。何度見直しても同じ。どういうことだろう。 それはともあれ長さ100mほどの開水路は両サイドに斜面部をもつフルームタイプ(箱型)の開水路となっている。
●香川用水案内
[川部第一開水路]の西端に香川用水の案内板がある。そこには東部幹線共有区間は古川までとなっている。開水路の名称、この案内板、共にちょっと混乱。東部幹線共区間の終点である奈良須分水にあったいくつかの施設に[古川局]があった。それがこの案内にある「古川」ということだろうか。
川部第二開水路
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[川部第二開水路] |
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[弦打幹線分水工] |
県道44号を越えた先の開水路も[川部第二開水路]とある。80mほどの開水路の東端手前に[弦打幹線分水工]の建物があった。開水路のタイプは[川部第二開水路]と同じく両サイドに斜面部をもつフルームタイプ(箱型)の開水路となっている。
香東川放水ゲート/ 香東川第一ゲート/ 香東川サイホン
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[香東川放水ゲート] |
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[香東川サイホン]・[香東川第一ゲート] |
その先も開水路は続くが、特段名前は記され江いなかった。450mほど開水路に沿って歩くと[香東川放水ゲート]があり、用水は二つに分岐する。香川用水は直進。直ぐ先に[香東川サイホン]と[香東川第一ゲート]がある。用水路はサイホンで香東川を抜ける。
●香東川(こうとうがわ)
二級河川。下流部では「郷東川」とも呼ばれる。
香川県木田郡三木町大字奥山の讃岐山脈の高仙山(標高627m)に発し西に流れ、高松市塩江町安原下付近で内場川を合わせ北に向きを変える。高松市香川町川東上から讃岐平野に出て、北進し瀬戸内海に注ぐ。中流域では高松空港の東をかすめる。
江戸時代の初頭まで香東川は、現在の高松市香川町大野あたりで2つに分かれ、分流は現在の水路、本流は一宮から室山(紫雲山)の麓を通り、現在の高松市街地を北上して高松城の西側付近で海に注いでいた。
当時の本流は、堆積した土砂で川底が浅くなり、雨が降る度に洪水を起こしていた為、1637年(寛永14年)、西嶋八兵衛により本流を当時の分流であった現在の水路に切り替えられた。切り替え後に残った本流の伏流水は栗林公園の庭づくりに利用された。
〇香川県名の由来
明治4年11月廃藩置県の際、讃岐11郡中の1郡として香川郡が本県の中心部にあったことから、県名として香川県となったとするが、その香川郡の郡名は、「全讃史」によると、「此の郡の山奥に樺河という郷あり。上古、樺の古木ありて異香芬々たり。其樹の下より出るかほりありて、大河におちて、郡の中央を流れて海に注ぐ。郡中、馥郁(ふくいく)として勾ひ渡れり。因て香川郡といヘリ」とあり、この香川郡の名の由来が香東川、そしてその支流である椛(かば)川にあるとする。
〇明治4年
明治4年(めいじ4ねん)
Wikipediaには「日本では明治5年12月2日(1872年12月31日)まで太陰太陽暦(以下、旧暦)を採用していたため、西暦とはずれが生じる。
したがって、グレゴリオ暦の場合は
旧暦明治4年1月1日から11月20日まで - 1871年(2月19日から12月31日まで)
旧暦明治4年11月21日から12月30日まで - 1872年(1月1日から2月8日まで)」とある。
香東川サイホン出口 / 香東川第二ゲート / 大野第一開水路 / 善海分水工 /善海チェック工 |
[香東川サイホン]・[香東川第二ゲート], [善海分水工](手前) |
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[大野第一開水路] |
香東川を渡った香川用水は左岸で開水路となって現れる。用水路西端には [香東川サイホン]、 [香東川第二ゲート]。その直ぐ傍に[善海分水工] 、[善海チェック工]などがある。
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[善海チェック工] |
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チェック工の構造 |
両側がコンクリート斜面のフルームタイプ(箱型)開水路は[大野第一開水路]とある。長さは700mほど。県道172号川東高松線を越えた先で地中に潜る。開水路東端には特に名前は記されていなかった。
●大野
この辺りの地名は高松市香川町大野。上で香東川の旧本流は大野辺りで現在の香東川を左に逸れて流れていたとメモした。古い地図にも香東川左岸、この地の南西にある小田池の北東で二つに分かれている。この辺りから幾筋もの川筋が北進するのは旧本流の名残だろうか。
大野第二開水路 / 船岡チェック
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[大野第二開水路] |
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[船岡チェック] |
その直ぐ先、開水路は道の北側から南側に移って現れる。[大野第二開水路]。ここから東に進む用水路脇の道路には[香川用水通り]と地図に記される。東に700mほど進むと[船岡チェック]。用水路はここで地中に潜る。
北に船岡池がある。ここにチェック工があるということは、船岡池に分水されるのだろうが、分水工はわからなかった。
●香川用水用途別導水量内訳
途中香川用水の案内があり、年間導水量の2億4700万トンのうち、上水道用水に49.4%,農業用紙42.5%,工業用水に8.1%使用され、また、上水道用水は年間を通して毎月3.87トン/秒、工業用水は0.63トン/秒。農業用水は月によって大きく変化し、7月11日から9月16日の農繁期間は11.3トン/秒の水が供給されるとあった。
平池分水工 / 小田名小森谷分水工 |
[平池分水工] ・[小田名小分水工] |
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用水路は地中を進む |
地中に潜った用水路は東進し平池の南端部下を抜けた後、流路を北東に変える。地形図を見ると、高松低地を抜け台地部に入ったように見える。
平池東岸を少し進んだところに[平池分水工] 、[小田名小森谷分水工]がある。用水路は地下に潜ったままで姿を表さない。[船岡チェック]から]平池分水工]までおおよそ1km地下を進む。
住蓮寺開水路 / 平池局 / 住蓮寺池分水工
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[住蓮寺開水路] |
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[平池局] |
[平池分水工]から平池東岸を離れ東に向かうと短い開水路が現れる。[住蓮寺開水路]とある。長さは50mほどだろうか。その先に[平池局]と書かれた用水路施設。
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[住蓮寺池分水工] |
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平池 |
更に先に少し進むと道の左手に[住蓮寺池分水工]があった。[平池局]は平池分水流量、平池水位、実相寺チェック水位情報を送る。
実相寺開水路 / 実相寺分水工 / 実相寺チェック
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[実相寺開水路]西端 |
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[実相寺分水工]・[実相寺チェック] |
[住蓮寺池分水工]の少し東に開水路。[実相寺開水路]とある。270mほどの開水路の途中には [実相寺分水工]と[実相寺チェック]。実相寺はこのあたりの地名。
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[実相寺開水路]東端 |
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馬山、日妻山を抜ける |
開水路東端にはトンネルの名前はなかったが、用水路はここから馬山(146m)、日妻山(標高235.8m)を抜けて進むことになる。
日妻隧道 / 姥懐分水工/ 姥懐開水路
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[日妻隧道]・[姥懐分水工] |
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[姥懐開水路]。東端で用水が落ちる |
[実相寺開水路]より馬山・日妻山に潜った用水路ルートを航空写真で追っかけると、日妻山の東の三郎池に注ぐ小川の北、日妻山の山裾を少し上ったところに開水路が見える。
日妻山の西の山裾を抜ける道を辿り、三郎池に注ぐ小川に沿って県道43号まで進み開水路部に上る。
日妻山を抜けてきた用水路出口には[日妻隧道]とあり、傍に[姥懐分水工],開水路は[姥懐開水路]とある。
25mほどの開水路は南端で「落下」する。
用水路構造物 / 三郎池局
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コンクリート構造物 |
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日妻山と[三郎池局](右手中頃) |
姥懐開水路から県道43号に戻る途中、三郎池に注ぐ小川の右岸にコンクリート構造物。如何にも用水路施設といったもの。その先、県道手前に[三郎池局]があった。[姥懐開水路]とこの辺りの比高差は15mほどだろうか。[三郎池局]は三郎池分水流量、三郎池水位情報をチェックする。
鯰越一号隧道 / 鯰越二号隧道
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[鯰越一号隧道 ] |
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[鯰越二号隧道] |
用水路ルートを航空写真で見ると県道43号から東に少し入ったところに開水路が見える。土径を辿り進むとフェンスに囲まれた開水路があった。開水路西端(北端)には[鯰越一号隧道 ]の銘。30mほどの開水路の東端(南端)は[鯰越二号隧道]となって地中に潜る。
鯰越三号隧道 / 鯰越分水工
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[鯰越三号隧道]を出ると開水路・[鯰越分水工] |
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開水路の東端(南端) |
航空写真で少し南に開水路があることは確認済ではあるのだが、この辺り丘陵地でもあり、ルート取りが難しい。取り敢えず[鯰越二号隧道]の南にある池の東岸を廻り込むと、出たところは田圃。田圃のあぜ道の先に見えるフェンスに囲まれた開水路に向かう。
開水路西端(北端)には[鯰越三号隧道]の銘。30mほどの開水路の東端(南端)手前に[鯰越分水工]の建物が立っていた。東端(南端)トンネルには特段名前は書かれていなかった。
尾越隧道 / 水路橋 / 春日川幹線流量観測所 / 尾越チェック工 / 尾越2号隧道入口
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水路橋 |
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開水路西端(北端[尾越隧道] |
これも航空写真でチェックした開水路が南東1キロほどのところにある。県道43号中徳三谷高松線を南に下り、途中で県道を逸れ春日川支流が春日川に合わさる辺りより丘陵部に上る。
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水路橋を開水路が抜ける |
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[開水路] |
舗装された道を進むと水路橋が道の上を渡る。開水路の位置はここ。水路橋を渡ると右に開水路に繋がる用水保守用の道を上り開水路に。
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[春日川幹線流量観測所] |
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[尾越 チェック工]の先に[尾越2号隧道] |
取り合えず開水路西端(北端)に向かう。水路標を渡り開水路西端(北端)に行くと[尾越隧道]の銘が
ある。水路を折り返し150mほどの開水路を進む。途中[春日川幹線流量観測所]や[尾越 チェック工]がある。その先[尾越2号隧道]となって地中に潜る。
尾越2号隧道出口 / 春日川局
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[尾越2号隧道]と[春日川局] |
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開水路東端(南端)で用水は落ちる |
尾越2号隧道の南東、直ぐの所に開水路が見えるのだが藪が激しく直に行けそうもない。仕方なく北道を戻り、春日川を越えて県道13号に出た後、開水路に繋がる丘陵の急坂を上り開水路に。
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中央の丘陵への道が開水路へのアプローチ |
開水路西端(北端)には[尾越2号隧道]の銘。30m弱の開水路には[春日川局]の建物もあった。開水路東端(南端)に名前はなく、水流が勢いよく落ち込んでいた。春日川をサイホンで抜けるのだろう。県道と開水路との比高差は20m弱ほどある。
[春日川局]は春日川幹線流量、一の井、春日川分水量、尾越チェック水位、坂瀬池水位情報を送る。
●春日川(かすががわ)
Wikipediaには「香川県高松市を流れる新川水系の河川。高松市西植田町に源を発し、高松低地東部を新川と並行して北流し、屋島西町の河口近くで新川に合流する。新川はかつて東山崎町付近で当河川に合流していたが、古墳時代に治水のため当河川から分離されたといわれている。
六条町で合流する支流の古川は、浅野新池、三郎池の余水を水源としている。上流部には四箇池(神内池、神内上池、松尾池、城池、公渕池、坂瀬池の総称)があり、約1200haの水田を潤すだけでなく、高松市水道事業の水源に一部転用されている」とある。
稗田の開水路
春日川局のある開水路より460mほど東、県道43号を越え春日川を渡った先の丘陵に開水路が見える。
春日川に東から注ぐ支流の朝倉川に沿った道を少し東に進み開水路に向かう。ここもそうだが、香川用水へのアプローチは保守点検のため車両が通れるように舗装されている。
フェンスで囲まれた160mほどの開水路の両端にはトンネルの名前はない、また、開水路にも名前は記されていいなかった。東端で水が落ちるのはその先に春日川支流の朝倉川に注ぐ小川をサイホンで抜けるためだろう。
上に仮に稗田と書いたが、国土地理院には稗田とあるが、住所は植田と出る。
杣尾隧道 / 杣尾開水路 |
[杣尾隧道] |
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[杣尾開水路]の東半分は鉄板で覆われる |
航空写真に東に390mのところに開水路が見える。直接進むことはできそうもないため、一旦朝倉川沿いの道に戻り県道30号手前を左に折れ杣尾地区に入り、国土地理院地図に描かれる道を辿り開水路に。
開水路の西端には[杣尾隧道]とある。30mほどの[杣尾開水路]の半分ほどは鉄板で覆われていた。
開水路
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[開水路]西端 |
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道をサイホンで抜ける |
地中を進んだ用水路は450mほど先で開渠となって現れる。125mほどの開水路だが両端トンネルも開水路にも名前は記されていなかった。
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[開水路] |
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[開水路]東端 |
開水路は中ほどで道路をサイホンで抜けていた。開水路からは阿讃山脈の眺めが楽しめる。
三ッ子石池北の開水路
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三ッ子石池の堤下に[開水路] |
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[開水路] |
地中に潜った用水路は東にある公淵池を避け北東に流路を変え、県道30号塩江屋島線をクロスし公淵池北で丘陵部を東進し三ッ子石池北、堤防より一段下で開水路となって現れる。その長さおよそ1.4km。115mほどの開水路の両端トンネルも開水路にも名前は記されていなかった。
●行政区域
公淵池の東端、三ッ子石池の西端が高松市と木田郡田中町の行政区域の境となる。
●三ッ子石
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堤の地神様(?)下を[開水路]が走る |
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三ッ子石池 |
堤に地神さまらしき社が祀られる三ッ子石池には、その名の由来となる話が伝わる。その昔、継母と暮らす三歳の幼子がいた。ある時、継母にいじめられ、重い石を池までその運ぶように言われたが、熊野権現の霊力により石を背負い運ぶことができたそそう。今も池に残る大きな石には、背負うためにかけた縄の跡といわれる窪みが残っている、と。で、この石の名前を三ツ子石、池の名前も三ツ子石池となった。
●公淵池
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公淵池放水ゲート(?)傍を用水路は抜ける |
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公淵池 |
なんとなくおもしろそうな名前。チェックすると、案内に「元暦二年(一一八五) 屋島の海で源氏と平家が激しく戦いました。平家の公達は、義経軍の奇襲攻撃にあい、矢傷を受けながらもある者は海へ、又ある者は山へと落ち延びて行きました。 天地もこうこうとした月の光に包まれ、清浄そのものの世界でした。公達につき従う者もやがて一人減り、二人減り、そのうちいなくなっていることに気づきます。
ふと人の気配を感じて振り返ると、淵のあたりからお香のかおりが漂います。 かおりがたちこめた渕をのぞくと、直衣姿の友人や長い黒髪の姫御前が大勢集まり、「笛とお琴を合わせましょう」「あとは酒盛りだよ」「月見の宴だからお歌も詠みましょう」などとはやしたて、公達を誘っています。
公達は、自分の帰りを待っていてくれるものと思い、海の中へ身を躍らせました。
一瞬月の光がくだけ散り、再びあたり一面が冴えわたりました。
こんなことがあってから、里の人々はこの淵を公渕と呼ぶようになりました。
その後渕のほとりに堤を築き、田を潤す池になってから、公渕池と名付けられました。
北条令子著「さぬきのおもしろ伝説」から 高松市 四箇池土地改良区」とあった。
吉田川チェック工 / 吉田川ゲート/吉田川局
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[開水路]西端 |
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[吉田川チェック工] |
地中を880mほど進んだ用水路は吉田川左岸、県道42号小蓑前田東線の少し西側で開水路となって現れる。開水路西端(南端)の開口部に名前はない。開口部傍に用水路施設の建物もあるが、ここにも名前は記されていなかった。
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[吉田川ゲート] |
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[吉田川局] |
70mほどの開水路には、[吉田川チェック工]、[吉田川ゲート] 、[吉田川局]などの施設があった。開水路部が切れた先も用水路を覆うコンクリート敷設物が30mほど続いていた。
[吉田川局]は吉田川幹線流量、蓮池分水量、吉田川チェック水位情報を送る。
吉田川分水工
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道の右手に[吉田川分水工] |
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[吉田川分水工] |
国土地理院に描かれる香川用水のルートを航空写真でチェックしたとき、新川水系の吉田川を越えた右岸になんとなく水路施設っぽいものが見える。
橋を渡り右岸を通る道を左折すると、道の少し東側に用水路施設らしきものがあり、[吉田川分水工]とあった。航空写真がなければ気づかなかったもの。航空写真に感謝。
氷上第一開水路 / 堀切池分水工
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[氷上第一開水路] |
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[堀切池分水工] |
吉田川を渡った県道42号が北に向きを変える辺り、県道より少し東に入ったところに開水路がある。
開水路西端の開口部に名前はない。開水路は[氷上第一開水路]と書かれる。途中に[堀切池分水工]。450m ほどの開水路東端にも名前は記されていなかった。
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[氷上第一開水路]東端 |
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少し進むと[用水路構造物] |
地中に潜った道路を少し進むと、道の右手に用水路構造物。名前は記され江ちないが、この下を香川用水が走っていることが確認できる。
氷上第二開水路 / 奥堂分水工 / 平野池チェック工
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[氷上第二開水路]・[奥堂分水工] |
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[平野池チェック工] |
[氷上第一開水路]から道を進むとほどなく開水路が現れる。西端開口部には名前は記されていない。開口部傍に[氷上第二開水路]、[奥堂分水工]の名が記される。
690mほどの開水路を辿ると東端閉口部手前に[平野池チェック工]があり、すぐ先で用水路は地中に潜る。
用水埋設道路上に用水路構造物
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新川支流西側の用水路構造物 |
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新川支流東側の用水路構造物 |
[氷上第二開水路]から地中に潜った用水路は道に沿って進む。途中新川支流の橋の前後にフェンスに囲まれた用水路構造物がふたつある。
新川開水路 / 新川沿岸分水工 / 新川チェック / 新川局
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[新川開水路 ] |
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[新川沿岸分水工 ] |
[氷上第二開水路 ]から地中を進んだ用水路は1.3キロ先、新川手前で開水路となって現れる。西端開口部には名前はない。その傍に[新川開水路 ]と書かれる。
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[新川チェック 工] |
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[新川局]と1「新川チェック工] |
83mほどの開水路には[新川沿岸分水工 ]、[新川チェック 工]、東端には[新川局]がある。[新川局]
は新川幹線流量、新川などの分水量、平野・新川チェック工水位を管理している。
●新川(しんかわ)
Wikipediaをもとにまとめると。「二級河川。高仙山の北麓に源を発して北流し、高松低地東部を春日川と並行して下り、高松市屋島西町付近で瀬戸内海へ流れる。支流は三木町大字平木で古川、高松市東山崎町付近で吉田川、最下流部の河口付近で春日川などが合流する。
新川の西側に流れる支流の春日川はもとは1つの河川であり、東山崎町付近で現在の春日川へ合流していたと考えられている。古墳時代に新川は春日川から切り離され、その際川名を新しい川という意にちなんで新川と名付けた。また、中流の三木町大字平木付近の人工的な流路形状は、条里制施行時代の流路変更によるものと考えられている。ちなみにこれと同じく人工的に流路変更されたのが、三木町大字池戸と高松市亀田南町付近における吉田川である。これらの河川は伏流して水量に乏しいが、大雨の時には洪水被害が頻発する」とある。
鴨部川放水ゲート/ 鴨部川局
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[鴨部川放水ゲート] |
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[鴨部川局] |
[新川局]で地中に潜った用水路は新川を抜けた後、流路を北に向け県道279号まで進み、そこから東へと県道に沿って進み、熊田池の北の辺りで県道を逸れ北東へと進み鴨部川にあたる。鴨部川手前に[鴨部川放水ゲート]がある。新川開水路からまでおおよそ1.7kmの距離となる。
鴨部川を渡った対岸に[鴨部川局]。鴨部川幹線流量、鴨部川第2分水流量、鴨部川チェック水位を管理する。
●行政区域
県道279号を逸れて北東に進む辺りで行政区は木田郡三木町を離れさぬき市に入る。
石神中央分水工
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用水路ルート上の道を東進すると |
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用水路施設 |
[鴨部川局]より先も用水路は地中を進む。[鴨部川局]より北東に向かった用水路はほどなく流路を変え東進する。道路脇に2箇所用水路施設や構造物があったが、名前は記されていない。
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用水路構造物 |
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[石神中央分水工] |
道路を1.1km進んだところにある用水路施設には[石神中央分水工]とあった。その先も用水路が埋設された道を東進する。
香川用水幹線水路埋設標識 / 長谷分水工
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香川用水幹線水路埋設標識 |
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[長谷分水工] |
石上中央分水工より1kmほど東進すると[長谷分水工]がある。その手前の道路脇には香川用水幹線水路が埋設しているとの案内があった。地中に埋設されている導水管直径は1100とある。1100mmということだろうから直径1.1mの導水管が埋設されているのだろう。
中王田局 / 大きな用水路施設
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[中王田局] |
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大きな用水路施設 |
長谷分水工より250mほど東、用水路ルートが県道279号に合わさる所に[中王田局]がある。その西に大きな用水路施設がある。フェンスで囲まれ施設に近づけない。どういう用途の施設なのだろう。
香川用水幹線水路埋設標識 / 東部幹線揚水機場・田辺分水
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香川用水幹線水路埋設標識 |
[中王田局]から先、地下に埋設された用水路は県道279号に沿って北東に進み、県道10号の合わさる辺りで流路を東に変え、県道10号に沿って進み、双ノ池の南端辺りで県道を逸れて東進し、田辺池の南端を進み田辺池傍の[東部幹線揚水機場]に至る。その距離は3,6kmほど。開水路として地表に現れたのは[新川開水路]が最後。そこから先7.5kmほどは地下に埋設された導水管を抜けてきたことになる。
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[東部幹線揚水機場] |
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田辺池 |
[中王田局]から[東部幹線揚水機場]がある田辺池までは開水路がみあたらないといったこともあり、県道と国道を辿ったため用水路の施設に出合うこともなく、唯一香川用水と関係するものは、田辺池手前、用水路ルートが道路とクロスする箇所にあった標識。道路下に香川用水幹線水路が埋設していることを告知する標識であり、導水管の直径は1000mmとあった。県道・国道脇をきちんとたどれば施設に出合えたかとも思うが、猛暑の中そんか気力は残っていなかった。
で、[東部幹線揚水機場]であるが、[東部幹線分水工]から東に別れた東部幹線はこの地まで自然流下で下ってくる。この先香川用水は東かがわ市の宮奥池まで続くが、その途次山稜を越えなけらばならない。そのためこの[東部幹線揚水機場[でポンプアップし標高131.5mの[宗延吐水槽[まで水を上げ、その先は[宮億池[まで水を落とすようである。
■東部幹線揚水機場から宮奥池まで■
[東部幹線揚水機場]のあるさぬき市の田辺池から東かがわ市の[宮奥池]までトレースする。ルート概要は距離およそ15km。 標高34.2mの[東部幹線揚水機場]から5.7kmほど進み、一旦標高151.5m地点にある[宗延吐水槽]まで上り、そこから9km強下って[宮奥池]に向かう。
用水路は地下に埋設された導水管であり、開水路はなく、あるのは用水路埋設を注意する標識だけ。導水管も姿を見せるのは川や沢を渡るときだけ。それも田辺池から宗延吐水槽までの川を抜けるときには姿をみることはなく、導水管が現れるのは宗延吐水槽から宮奥池までの区間だけであった。
開水路もなく、用水路トレースとしては少々「萌え」は少ないため。とりあえず[宗延吐水槽]の確認を基本とし、そのほかは道脇で分水工に偶々出合ったらそれでよし、橋や沢で現れるだろう幾つかの水管橋を気の向くままチェックするといったことを基本として[東部幹線揚水機場]から[宮奥池]までを辿ることにした。
結果、川や沢を渡る導水管は結構チェックできたが、農業用水専用区間だけで69もあると言う(共有く区間終点の奈良須分水から田辺池区間も含める)分水工には2箇所ほど出合っただけであった。三道を逸れて進む用水路ルートをもう少し真面目にチェックすればいくつかの分水工に出合ったかとも思うのだが、時間の制限、またそれより猛暑の中4日目ともなれば気力もなく上述の如くの為体となった。
用水埋設標識/ 用水路構造物 |
[香川用水埋設標識] |
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用水路構造物? |
[東部幹線揚水機場]を離れた用水路は、田辺池北東端辺りから県道140号長尾街道を潜り、直ぐ田圃の間を東進する。県道133号とクロスした角に[香川用水埋設標識]。
その先しばらく直進した後、流路を南東に変え津田川にあたる。津田川左岸を走る道の脇、用水路ルート上に水路施設らしき構造物がある。香川用水に関連あるものかどうか確証はない。
用水路埋設標識/ 用水路埋設標識
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県道2号わきに[用水路埋設標識] |
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津田川支流右岸の[用水路埋設標識] |
津田川の対岸、用水路ルートが県道2号津田川島線とロスする辺りに[用水路埋設標識]。直径600mとある。
その先津田川支流南岸をしばらく東進した後、用水ルートは南に向きを変え県道133号とクロスする。クロス地点には埋設標識は見当たらなかった。
県道133号を潜った用水路は津田川支流手前で支流右岸を進む。道と交差する箇所に[用水路埋設標識]があった。
用水路埋設標識 / 宗延吐水槽
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県道10号傍の[用水埋設標識]と[構造物] |
津田川支流の右岸を東進した用水路は県道133号長尾街道と県道10号さぬき東街道が合わさる二筋手前辺りで南に向きを変え県道10号をクロスする。県道10号一筋南の道に[用水路構造物]と共に[埋設標識]が立っていた。
田辺池からここまでおおよそ4.3㎞。導水管は川を渡るとき水路橋や導水管として姿を表すかと思っていたのだが、その姿を見ることはなかった。この地の標高はおおよそ67m。田辺池の標高は36.2m。
ここから宗延吐水槽のある標高131.5m地点まで上ることになる。
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[宗延吐水槽] |
用水路ルートをトレースし、県道10号直ぐ南にある新池手前から県道132号の直ぐ東を上る山道に入る、舗装された道を600mほど進むと[宗延吐水槽]があった。途中には用水路施設といったものは見当たらなかった。
水槽の規模は7m x 7m x 5m。245立法メートルの水を貯める。[田辺池]からここまでおおよそ5.8kmあった。
国安分水工/ 定任の導水管
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[国安分水工] |
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[定任の導水管] |
用水路は宗延吐水槽の直ぐ東の県道132号に沿って下る。途中で行政区はさぬき市から東かがわ市に変わる。
1.5kmほど下った国安池脇に[国安分水工]がある。途中県道はひとつ沢を越えるのだが橋傍に水管橋も、導水管も見えなかった。もう少し上流を渡るのかとも思うのだが、アプローチは民家敷地を抜けなけらなならないようであり、確認は止めることにした。
国安池の南で県道10号は与田川支流を越える。その橋の左手に[導水管]が姿を見せる、東部幹線を辿ってはじめて目にした香川用水の導水管である。地区は定任とあるので、仮に[定任の導水管]としておく。
上盛重の導水菅 / 大内ダム休憩所東の導水管
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[上盛重の導水管] |
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大内ダム休憩所西、沢を渡る[導水管] |
国安池から900mほど、高度を23mほど落とした与田川支流の枝沢に架かる橋脇に[導水管]が見える。地名より仮に[上盛重の導水管]とする。
その先与田川の谷筋に下た用水路は星越峠に向けての上りとなる。特段の揚水機場の記述はない。星声峠の標高は120m弱であるので、理屈からいえばサイホンの原理で水はポンプアップなしで上れることだろうか。
県道132号を少し上ると大内ダム休憩所。その東、道の西側の沢を[導水管]が渡る。四国遍路道歩きの途次、
この導水管に出合ったのが今回の香川用水東部幹線歩きをはじめたきっかけ。
様松(ためしまつ)の導水管 / 星越峠手前に首切り地蔵 |
[様松の導水管] |
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首切り地蔵 |
大内ダム南端、ダムによって切り取られた与田川支流がダムに注ぐ橋脇に[導水菅]が見える。地名に様松(ためしまつ)とあるので、仮に[様松(ためしまつ)の導水管]とする。この地の標高は78mほど。
その先は標高120mほどの星越峠に向けて上る。峠手前、道の東側に首切り地蔵がある。
●首切り地蔵
自然石で造られた祠があり、中に二体の地蔵が祀られる。二体とも首が着られ,一体は頭部の代わりに石が置かれている。この故か、首切り地蔵と称される。 今は昔星越峠に不動明王の如く炎をまとった化け物が峠を通る人々を脅かしていた。福永村の郷士・村松貞久が化け物を斬り退けた翌日、峠の地蔵の首が切り落とされていた、と。
湊川支流を渡る導水菅 / 蓬莱橋導水管/下山分水工
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湊川支流を渡る[導水菅] |
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国道377号を東進 |
星越峠を下り湊川の谷筋に入る。県道132号を下ってきた用水路は、県道が東に曲がる辺りで県道筋から逸れ南に進み湊川支流を渡る導水菅にあたる。その辺りに星越峠から下ってきた湊川支流を渡る橋脇に[導水管]がある。
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蓬莱橋の[導水管] |
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[下山分水工] |
その先、用水路は国道377号に沿って東進し、蓬莱橋で湊川右岸に渡る。蓬莱橋脇には[導水管]。橋の南詰には[下山分水工]があった。下山はこのあたりの地名。
あやめ橋導水管 / 行成の導水管
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あやめ橋の[導水管] |
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[行成の導水管] |
湊川右岸を進むと、湊川に南から注ぐ正守川に架かるあやめ橋脇に[導水管]が見える。更に再び東進し湊川に南から注ぐ支流に架かる橋脇に[導水管]が見えた。地区名が行成とあるので仮に[行成の導水管]としておく。
ふくえ橋の導水菅/ 宮奥池/ 宮奥局
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[ふくえ橋の導水菅] |
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[宮奥池] |
東進し湊川に南から注ぐ支流に架かるふくえ橋脇に[導水管]が見える。ふくえ橋から国道377号を1kmほど進むと道の右手に[宮奥池]がある。やっと香川用水東部幹線東端に着いた。
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[宮奥局] |
堤に上るが用水路施設らしきものは見当たらない。少し東に堤を進むと[宮奥局]の建物があった。が、香川揚水東部幹線を流れてきた水が何処から池に注ぐのか確たる場所はよくわからなかった。ともあれこれで長かった香川用水東部幹線トレースを終える。
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