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神田分水のある丘陵 |
先回東西分水工より調整池・宝山湖の横を進み[神田分水工]・[神田チェック工]まで歩き、そこから高瀬支線へと向かった、今回は[神田分水工]より東部幹線散歩をスタートする。
宝山湖の東、丘陵が神田川の谷筋に落ちる崖面手前まで続いた用水路には防塵装置を前に配した用水量調整施設である[神田(こうだ)チェック工]がある。また、右岸には[神田分水工]、左岸に[神田川分水工]と余水吐もある。
香川用水記念公園の東西分水工から都市用水(上水道用水と工業用水)と農業用水の「共用区間」として進んで来た東部幹線水路は、この分水工で東部幹線水路から高瀬支線が分かれる。
神田川谷筋に用水施設
用水路左岸を神田川の谷筋に下りる。[神田分水工[のある丘陵下を走る財田上高瀬線と用水路線が交差する辺りに用水施設はない。その先、国道377号の手前、用水路ライン近くに[用水路施設[が立つ。名前は記されていなかった。
神田分水工のある丘陵は結構高い。用水路は地中をサイホンで神田川を潜っているのだろう。
神田川サイホン / 岩瀬トンネル入口
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中央[神田川サイホン],左[岩瀬トンネル] |
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谷筋の向こうに[神田分水]の旧領 |
航空写真で確認した国道377号の東の丘陵に見えるコンクリート構造物らしきところに進む。国道より丘陵に少し上るとコンクリート構造物には「[神田川サイホン]、[岩瀬トンネル]とあった。
神田分水工のある丘陵を眺めさる。用水路入口が出口であるこの地より高い位置にあればサイホンの原理で水が通る。
岩瀬トンネル出口 / 岩瀬局 / 丸ヶ谷トンネル入口
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[岩瀬トンネル]出口,[岩瀬局],[チェック工] |
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[丸ヶ谷トンネル]入口 |
岩瀬川に注ぐ沢の支沢に入ると900m弱の岩瀬トンネルを抜けてきた短い開水路がある。[岩瀬トンネル出口]傍に[岩瀬局]と書かれた施設がある。開水路へのアプローチは保守点検の便宜のためか道は整備されている。40mほどの短い開水路は[丸ヶ谷トンネル]に潜る。ネルビックタイプのチェック工もあったが、名前はわからなかった。見逃し?
●チェック工のタイプ
高松の香川用水記念館にあった。チェック工の説明
●局
「局」って用水の分水量やチェック工で測定した水位情報を局内に置いたテレメーター装置からの親局に情報を送る施設。情報を親局が管理し、必要に応じ移動用無線でパトロール車に指示し、直接現地で操作制御を行っているようだ。
農業用水・工業用水の共有区間の管理は水資源機構、農業用水専用区間は香川用水土地改良区が管理しているとのこと。この区域は共有区間なので水資源機構の管理。子局の岩瀬局から琴平にある香川用水管理所(親局)に情報が送られているのだろう。
開水路にはネルピックゲートタイプのチェック工(水位調節堰)もある。チェック工は分水工と一対のものとすれば、岩瀬池分水のための分水工もあったのかもしれない。情報は金毘羅さんのある象頭山」(大麻山)の中継局を経由して送受信されているとあった。
40mほどの短い開水路を進むと用水路は[丸ヶ谷トンネル]に入る。
●農業用水の管理
農業用水の管理については、共有区間は水資源機構、農業用水専用区間は香川用水土地改良区が管理が管理しているとある。どうしてふたつの管理体制が必要となったのだろう。チェックすると、「香川用水における農業用水の管理制御機構について」という文書には「公団管理区間 (共用区間)にも農業用水専用の分水工が 65 ヵ所設置されており,この管理は公団が行うこととなっていたため, 農林専用区間の管理を公団に委託し, 農業用水としての一元管理が行えないかどうか検討してきたが,現行の土地改良法においては実現が不可能であるため農林, 公団の二者による管理体制をとらざるを得なくなり 農林専用区間においては香川用水土地改良区が管理を行うことになった (実質上の一元管理は上記理由により不可能となったが, 公団琴平管理事務所内に子局を設置し共用区間内の必要な情報を高松の香川用水記念館内にある香川用水土地改良区の高松管理事務所に送り、名目上の一元管理を行う方針である」とあった。
丸ヶ谷トンネル出口 / 岩瀬開水路 / 南山トンネル入口
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[丸ヶ谷トンネル]出口 |
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[南山トンネル]入口 |
岩瀬池南端に注ぐ小さな沢にはいると350mほどの[丸ヶ谷トンネル]を抜けてきた開水路がある。案内に[岩瀬開水路]とある。幅3.3m,深さ3mのフルームタイプ(箱型)の開水路。
[丸ヶ谷トンネル]出口傍に水門、60mほどの開水路を進むと[南山トンネル]に入るが、その手前左手・岩瀬池側に四角い呑み口がある。
南山トンネル出口 / 高ノ峯トンネル入口
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[南山トンネル]出口と傍の施設建物 |
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[高ノ峯トンネル]入口 |
[南山トンネル]に入った用水は県道219号を越え750mほど先で]南山トンネル]を出る。途中県道とクロスするあたりに水路施設はないかと念のため確認に出かけだが、特段の施設は見当たらなかった。
[南山トンネル]から出た用水路は少しカーブを描き130mほどの開水路となるが名称は見当たらなかった。また[南山トンネル]出口傍に水門、施設が建つがここにも名称は記されていなかった。
開水路の先は[高ノ峯トンネル]となって丘陵下に入る。
●大師堂(行基大師岩)
県道219号に水路チェックに立ち寄った時、地図に大師堂(行基大師岩)のマークがあった。何か有難そうであり、立ち寄ることにしたのだが、藪を結構探し回るも見つからなかった。本当に今もあるのだろうか?
高ノ峯トンネル出口 / 池の谷第一開水路 / 麻局 / 麻分水工 / 高瀬サイホン入口
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[高ノ峯トンネル]出口・[池の谷第一開水路] |
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[麻局]・[麻分水工]・[高瀬サイホン] |
[高ノ峯トンネル]に入った用水路は710mほど丘陵下を進み、県道23号詫間琴平線が走る高瀬川支流の谷筋で地表に現れる。出口には[高ノ峯トンネル]の銘。開水路は[池の谷第一開水路]とある。幅3.8m,深さ3.15mのフルームタイプ(箱型)の開水路。
開水路は県道23号に沿って290mほど進み[高瀬サイホン]で地中に潜る。[高瀬サイホン]手前には[麻局]の施設と[麻分水工]がある。
高瀬サイホン出口 / 池の谷第二開水路 / 金毘羅トンネル入口?
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[高瀬サイホン]出口・[池の谷第二開水路] |
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開水路東端。[金毘羅トンネル]入口? |
県道をサイホンで抜けた用水路は[高瀬サイホン]出口で開水路となる。[池の谷第二開水路[とある。距離は50mほど。 幅3.8m,深さ3.15mのフルームタイプ(箱型)の開水路。
開水路の端は名称も無く、琴平山に吸い込まれてゆく。名称はないが、出口は[金毘羅トンネル[であるから、少々つつましやかだっけれど金毘羅トンネル入口ということだろうか。
金毘羅トンネル出口
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[金毘羅トンネル]に上る石段 |
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[金毘羅トンネル]出口 |
象頭山(琴平山)を穿ったトンネル、その距離3345mを抜けると山裾より10mほど高いところに[金毘羅トンネル[出口がある。ステップを上りトンネル出口に。[金毘羅トンネル]の銘板と共に案内板があり、「香川用水 金毘羅トンネル 今、音を立てて流れている水は、吉野川上流の早明浦ダム (高知県土佐郡土佐町)でえられた水です。この水は、 徳島県池田街から取水し、阿讃山脈を貫き、この金毘羅トンネルを通り、香川県東部の引田町まで流れて行きます。 この金毘羅トンネルは、 金刀比羅宮の御神体である象頭山の山腹を両側から1日約6mの速さで約1年をかけて掘り進め、 昭和47年5月に完成したもので、 池田取水工から約13kmの所にあります」とあり、トンネル入口の標高73.953m、この出口72.468m,斜度1/2400の誠に緩やかな勾配で流れている。導水管の径は幅・深さ共に3.3mとあった。
●行政区域
行政区域は神田分水工のあったあった香川県三豊市より象頭山の稜線を越えると仲多度郡琴平町となる。
琴平サイホン / 金倉川局
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県道東側の施設に[琴平サイホン]標識
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[金倉川局]にも[琴平サイホン]の標識
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神田川分水工より山地を抜けてきた香川用水はここから先3.4kmほどは金倉川、土器川が形成した扇状地、所謂丸亀低地(平野)の南部を進むことになる。
金毘羅トンネルから県道208に出た県道東側に[琴平サイホン]の標識がある施設。径2.85mの導水管が地中を走っている。施設の東に金倉川が流れる。
橋を渡り[琴平サイホン]施設の対岸に「香川用水 琴平サイホン」の案内と[金倉川局]と書かれた施設があった。開水路はない。サイホン先に続いているのだろう。
●金倉川
Wikipediaには「金倉川(かなくらがわ)は、香川県の丸亀平野を流れる河川で、二級水系の本流である。延長20.5km。
財田川水源の北東、まんのう町塩入付近に端を発し、満濃池の東南端に注ぎ込む。池の北側にある堰より流出し、琴平町市街地を貫き、丸亀平野を北北東に流れて中津万象園付近で瀬戸内海に注ぐ。
満濃池は8世紀初頭に、金倉川をせき止めて作られたと言われる。このように、金倉川は古くから丸亀平野の灌漑用水として用いられてきた。また金刀比羅宮の麓を流れていることから、江戸時代には参拝客が禊を行い「禊川」の別名もあったとされる」とある。
香川用水管設重量制限標識 / 用水施設建物
如何にも象の頭といった象頭山を見返しながら道を進むと高徳線が道を阻む。右に迂回し高架を潜るとその道は金毘羅街道。金毘羅さんの境内外鳥居が建つ。
その辺りから成り行きで右に折れ高徳線で阻まれた香川用水ルートに戻る。国道319号を越えた先、道の左手に「香川用水管理設重量制限標識」の案内。サイホンはこの道の下を走っていることを確認。
その先道の左手に[用水施設]建物。名前は書かれていなかった。
丸亀幹線分水工 / 苗田揚水機場 |
[丸亀幹線分水工] |
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[苗田揚水機場] |
道を進むと左手にコンクリート構造物。建物はないが用水路施設のよう。その先道の左手に [丸亀幹線分水工]の建物。その北側に[苗田揚水機場]もあった。ポンプアップし一帯に農業用水を流すのだろう。また、道の右手にも四角のコンクリート構造物もあった。
●行政区域
このあたり行政区は中多度郡まんのう町となる。琴平町をあっというまに通り抜けた。地図でみると琴平町って結構狭い。東西3.3km,南北5.3km,総面積8.47平方キロとのこと。
琴平サイホン出口 / 高篠開水路 / 土器川局 / 宝憧寺分水工 / 土器川放水ゲート
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[琴平サイホン]出口と[高篠開水路] |
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[土器川局]・[宝憧寺分水工]・[土器川放水ゲート] |
県道200号を越えると開水路が現れる。開水路西端には[琴平サイホン]の銘がある。金毘羅トンネルからここまでおおよそ2.4キロ潜ってきたことになる。
開水路には [高篠開水路]とある。 幅3.8m,深さ3.15mのフルームタイプ(箱型)の開水路。開水路の長さはおおよそ240m。県道199炭所西善通寺線を越え土器川の堤手前まで続く。
土器川堤防手前、開水路東端には[土器川局]・[宝憧寺分水工]、また[土器川放水ゲート]があった。
土器川サイホン / 羽間開水路 / 羽間サイホン
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[土器川サイホン]出口・[羽間開水路] |
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[羽間サイホン]入口 |
土器川に架かる乙井大橋を渡り土器川を潜るサイホン出口に向かう。川を越して直ぐ開水路が現れる。西端サイホン出口には[土器川サイホン]の銘がある。幅3.8m,深さ3.15mのフルームタイプ(箱型)の開水路 の長さは390m。 [羽間(はざま)開水路]とある。開水路東端は [羽間サイホン]となって地中に潜る。
●土器川
Wikipediaには。、「土器川(どきがわ)は、香川県を流れる河川。香川県唯一の一級河川。中流部では祓川(はらいかわ)とも呼ばれる。
名称の由来は、かつて河口付近の川原と三角州から取れた粘土から土師器などの土器を専門に製造する人々が住んでおり、河口には土器村(現丸亀市土器町など)という地名ができた事にちなんで名づけられたと言われている」とある。
羽間分水工 / 水路らしきコンクリート道
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丘陵裾にコンクリート構造物が見える |
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近づくと[羽間分水工]だった
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羽間サイホンの東、里より少し高いところにコンクリート法面と建物が見える。用水路施設ではと確認のためステップを上ると、建物には[羽間分水工 ]とあった。何故にこのような大きな構造物を必要としたのだろう?門外漢にはわからない。
3,4kmほど低地を進んできた用水路は[羽間分水工]の辺りより一旦西山(標高203m)の南麓を抜けることになる。
[羽間サイホン]を潜った用水路は1キロほど地中を進む。西山の南裾を抜け国道32号と少し並行に進み右に折れて国道をクロスする辺り、国道左手に沿ってコンクリート道がある。なんとなく用水路暗渠のようにも思うのだが確証はない。
●行政区域
行政区域もこの辺りは仲多度郡まんのう町を離れ丸亀市綾歌町となる。
羽間トンネル出口 / 岡田第一開水路 / 打越池揚水場 / 満濃東部揚水機場 /岡田チェック工 /西池分水工 / 飯野幹線分水工/ 岡田第一サイホン
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[羽間トンネル]出口・[岡田第一開水路] |
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[打越揚水機場] |
国道32号を右に少し入ると開水路。200mほどの開水路は[岡田第一開水路]とある。開水路西端には[羽間トンネル]の銘(だったと思う)。開水路には途中に [打越池揚水場]、[満濃東部揚水機場]があった。打越池は南にある。
東端は [岡田第一サイホン]入口。その手前に[岡田チェック工]・[西池分水工]・[飯野幹線分水工]があった。
西山の山麓を抜けたこのあたりから用水路は3.2キロほど台地面を進む。岡田台地と言うようだ。
●満濃池
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[満濃東部揚水機場] |
金倉川や土器川が開いた丸亀低地(平野)は、弥生時代前期より稲作農耕文化が発展してきたが、新たな農地の開発のためその用水源として大宝年間(701~704年)に、讃岐の国守・道守朝臣(みちもりあそん)により金倉川の上流部を堰きとめて、満濃池が築造された。
その後、洪水のため堤防決壊。弘仁12年(821)空海が築池別当として派遣され改修するも、決壊・復旧を繰り返した。
元暦元年(1184年)以降は堤防は決壊されたままとなっており、池跡には村もあったと言うが、藩政期に入り、寛永5年(1629)讃岐国領主生駒高俊の命により西嶋八兵衛により3年の歳月をかけたて改修した。
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[岡田チェック工] |
明治期に入ると更なる農業用水の確保のため堤防の嵩上げ工事が幾度か行われ、昭和に入っても嵩上げ工事は続き昭和16年(1941)の第三次嵩上げ工事により堤防を6メートル高く築造され、貯水量は2倍に増加することになった。
このため金倉川流域だけでは満水とならないため土器川からも取水を行うことになり、天川導水路を開き、現在では日本一とも称される溜池となっている。
〇西嶋八兵衛(にしじまはちべえ)
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[西池分水工] ・ [飯野幹線分水工] |
讃岐の築池の功労者として知られる。西嶋八兵衛が築造した代表的なものは日本最古の人工池とも言われる満濃池であるが、その他高松近辺では、小田池、龍満池などの築造、更には香東川の一本化や春日川新田開発などその業績は枚挙に暇ない。讃岐には、元和7年(1621年)にはじめて来訪して以来、4度訪れている。
西嶋八兵衛は、慶長元年(1596年)静岡県の生まれ。伊勢の藤堂なかぐろ[藩に仕えていた父の縁もあり、藩主藤堂高虎の近習役として、高虎の指導のもと土木技術などの専門的な技術も身に付ける。
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[岡田第一サイホン] |
26歳の元和7年(1621年)に讃岐生駒藩に出向することになる。この讃岐生駒藩4代高俊世襲の後片付けのために派遣されたことがもとで、その才能を見込まれた八兵衛は生駒藩に寛永2年(1625年)に客臣として招かれ手腕を発揮。満濃池をはじめとし数年で90余のため池の築造、増築を行うとともに、香東川などの治水事業、また新田開発を行った。
寛永16年(1639年)、八兵衛は讃岐から伊勢に帰るが、その翌年の寛永17年、生駒家はお家騒動で領地が没収され、高俊は出羽(秋田県)に左遷された。その時八兵衛は、慶安元年(1648年)山城(京都府)、大和(奈良県)の幕府の領地5万石を支配する城和奉行、のち伊賀奉行に展じ、大いに治績をあげた、とのことである。。
岡田第一サイホン出口 / 岡田第二開水路 / 大窪池分水工 / 天神池分水工 / 岡田第二サイホン入口
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「岡田第一サイホン「出口 |
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舗装開水路タイプの開水路 |
直ぐ先で開水路が現れる。開水路は [岡田第二開水路]。[岡田第二開水路]は今まで見てきたフルームタイプ(箱型)の開水路とは異なり、上辺8.1m,下辺1.8m ,深さ2.1mの舗装開水路タイプであった。
開水路西端には[岡田第一サイホン]の銘がある。
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[大窪池分水工] |
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[天神池分水工] |
開水路の長さはおおよそ410m。途中開水路北側に[大窪池分水工]、[天神池分水工]がある。
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[岡田第二サイホン]入口 |
開水路の東端は[岡田第二サイホン]となって小川を抜ける。
岡田第二サイホン出口 / 岡田第三開水路 / 皿池分水工 /岡田局 / 仁池チェック
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[岡田第二サイホン]出口 |
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[岡田第二開水路]・[皿池分水工] |
このあたり小川が多く、その度にサイホンで抜ける。[岡田第二サイホン]入口から直ぐ、]岡田第二サイホン]出口があり開水路となる。この[岡田第三開水路]も舗装開水路タイプの広い開水路。特に案内はなかったが、小川第二開水路と同程度の規格のように見える。
開水路の長さは410mほど。
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[仁池チェック工] |
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[岡田局] |
東端には[仁池チェック]と [岡田局]の施設がある。
岡田第四開水路 / 小津森池分水工
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[岡田第四開水路] |
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金毘羅街道の常夜灯 |
[仁池チェック]の先は舗装開水路タイプの広い開水路から変わり幅3.4m,深さ2.85mのフルームタイプ(箱型)の開水路に戻り、名称も]岡田第四開水路]となる。
長さ430mの開水路の途中、用水路の左手に石灯篭。地図をチェックすると用水路に沿って金毘羅街道が抜けていた。金毘羅常夜灯なのだろう。
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[小津森池分水工] |
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先開水路は小津森池にあたる |
その先開水路は小津森池にあたる。堤手前には[小津森池分水工]がある。開水路の西端・東端共に名前は書かれていなかった。
小津森池
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池の東岸に用水路構造物らしきもの |
国土地理院の地図には香川用水が小津森池を横切っている。何となく一旦小津森池に水を落とすのだろうかとも思ったのだが、[小津森池分水工]もあるし、池に落とすといった施設も見当たらない。
池の下を進むのだろうと思い込み、地図に描かれる香川用水が小津森池を抜けた地点になんらかの手がかりがないものかと、池の東岸に進む。
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一段高いところにもコンクリート構造物 |
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民家の庭先がコンクリートで敷き詰められる |
国土地理院の地図に描かれた香川用水ルートが東岸にあたるところに用水路構造物らしきものがあり、その一段高いところにも「不自然に大きなコンクリート構造物がある。その敷地はフェンスで囲まれているが、建物は水路施設といったものではない。が、地図に描かれた用水ルート図はこの敷地を抜けている。
その先もルートを辿ると民家の庭を抜けるが、その庭がコンクリートで覆われている。何となく水路を覆っているように妄想する。
水路はこのあたりから綾川が開く低地まで高鉢山山地北裾の丘陵を8.3kmほど進むことになる。
定蓮開水路 / 定蓮分水工 / 猫谷川サイホン
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[定連開水路] |
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[定連分水工] |
猫谷川が開いた谷筋に入ると、両側を丘陵で挟まれた短い開水路がある。小津森分水工から1.5キロ地下を進んできた出口には名前はなかった。開水路は[定蓮開水路]。長さ120mほど。 幅3.44m,深さ2.55mのフルームタイプ(箱型)の開水路。
開水路途中に[池谷池補給水ポンプ盤]がある。池谷池は開水路の南にあった。開水路東端手前に[定蓮分水工]。定蓮池は南にある。
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[猫谷川サイホン] |
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猫谷川右岸にコンクリート構造物 |
東端で開水路が地中に潜る箇所の銘板がよく読めない。川名をチェックすると猫谷川とあった。[猫谷川サイホン]なのだろう。
ささやかな流れの猫谷川に架かる橋を渡るとフェンスに囲まれたコンクリート構造物。建物も名前もないが、猫谷川の出口であり、そこから更に東へとふたつの丘陵谷筋を抜けて地中を進むのだろう。
大谷第一トンネル出口 / 大谷第二トンネル入口
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[大谷第一トンネル]出口 |
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[大谷第二トンネル]入口 |
ふたつの丘陵谷筋を抜け670mほど地下を東進した用水路は、三つ目の丘陵との間の狭い谷間で短い開水路となって現れる。西端の開口部には[大谷第一トンネル]の銘がある。80m弱といった開水路は[大谷第二トンネル]で地中に潜る。開水路に名前はみつけられなかった。
コンクリート構造物・葛神池分水工
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コンクリート構造物 |
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コンクリート構造物の西に構造物が見える |
航空写真には丘陵を越えた先の用水路ルート上にコンクリート構造物が見える。用水路施設か否か不明ではあるが、一応確認に向かう。
幅の狭い丘陵ではあるが抜ける道は見当たらない。丘陵北端を迂回しコンクリート構造物のあるところに向かうと、フェンスに囲まれ如何にも香川用水の施設のよう。名前はない。
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[葛池分水工] |
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[葛池分水工]からコンクリート構造物を見る |
そこから西を見ると、用水路ルート上にコンクリート構造物が見える。航空写真では木立に包まれ確認できなかった。取り敢えず確認に向かうと、そこに[葛池分水工]の銘があった。
大谷第三トンネル / 木山第一開水路 / 水門暗渠
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[大谷第三トンネル]出口・[木山第一開水路] |
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開水路東端の[水門暗渠]入口 |
コンクリート構造物から東、距離はそれほどないのだが丘陵を抜ける道もなく、コンクリート構造物のある場所は丘陵北端部近くでもあるので田圃を迂回し航空写真で確認した開水路部へと向かう。
開水路西端には[大谷第三トンネル]の銘がある。[大谷第二トンネル]の出口も、[大谷第三トンネル]入口も特に見当たらなかったのだが、先に見た[葛神池分水工]とコンクリート構造物の間が如何にもサイホンといった風情でもあるので、[葛神池分水工]のところが[大谷第二トンネル]の出口、コンクリート構造物が[大谷第三トンネル]入口と妄想しておく。
[大谷第三トンネル]から続く25mほどの開水路は][木山第一開水路]とある。開水路東端には[水門暗渠]の銘があり用水路は地中に潜る。
木山第二開水路 / 木山分水工 / 大山トンネル入口
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[木山第二開水路]西端 |
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[木山第二開水路] |
[木山第一開水路]の直ぐ東に開水路がある。トンネル出口には名前は記されいないが、[水門暗渠]の出口だろう。開水路は[木山第二開水路]とある。
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[木山分水工] |
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[施設建物]と[大山トンネル]入口 |
長さ90mほどの開水路の東端には[大山トンネル]の銘があり用水は地中に潜る。[大山トンネル]手前には[木山分水工]と[施設建物]があった。建物には名前は記されていなかった。木山とはこのあたりの地名。
大山トンネル出口 / 孫四郎開水路 / 平芝トンネル入口
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[大山トンネル]出口 |
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[孫四郎開水路] |
大山トンネルに入った用水路は丘陵を北東に抜け、東大束川を抜けた辺りで流路を東に変え,その先で開水路となって現れる。トンネの長さは730mほどだろう。
開水路西端には[大山トンネル]の銘がある。開水路は[孫四郎開水路]。長さは70mほど。
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開水路東端手前の[施設建物]と[分水工] |
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[平芝トンネル]入口 |
開水路東端には[平芝トンネル]があり用水は地中に潜る。[平芝トンネル]手前には[施設建物]と[分水工]といったものもあるが共に名前は記されていなかった。
平芝トンネル出口 / 大林第一開水路 / チェック工 / 大林トンネル入口
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[平芝トンネル]出口 |
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[大林第一開水路] |
[平芝トンネル]に入った用水路は丘陵を抜け230mほど東進し開水路に出る。丘陵を抜ける道はないため[大林第一開水路]直ぐ南の溜池の堤を歩き、小さな丘陵を迂回し開水路に出る。溜池北東端には石仏が祀られていた。
開水路西端には[平芝トンネル]の銘。360mほどの開水路は[大林第一開水路]とある。 幅3.4m,深さ2.55mのフルームタイプ(箱型)の開水路。
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[チェック工] |
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[大林トンネル]入口 |
開水路の中ほどにネルピックタイプの[チェック工]もある。名称は見逃したのかわからなかった。チェック工があればその上流に通常分水工があるのだが、[平芝トンネル]出口傍にあった分水工らしきものがそれだろうか。開水路東端、[大林トンネル]で用水路は地中に潜る。
大林トンネル出口 /とんね 奥谷開水路 / 奥谷上トンネル
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[大林トンネル]出口・[奥谷開水路] |
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[奥谷開水路]東端に[奥谷上トンネル] |
[大林トンネル]で地中に潜った用水路は東にある宮池を避け、北東に向かい、宮池南端をクリアした辺りで北東に向きを変え開水路として現れる。トンネルの長さは350mほど。
開水路東西端には[大林トンネル]の銘。開水路は[奥谷開水路]とある。長さ100m弱の開水路は東端にある[奥谷上トンネル]で地中に潜る。
●神事場・宮池分水工
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神事場 |
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[宮池分水工] |
宮池の南に神事場という名前が地図に載る。どんなところかちょっと寄り道。特段の社はない。祭礼の際に神事を行う場所なのだろか。
それはともあれ、神事場に向かう途中、用水路施設っぽい建物があった。用水路ルート上にあるため確認すると[宮池分水工]とあった。
奥谷トンネル出口 / 梅樹トンネル入口
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[奥谷トンネル]出口 |
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開水路東端に[梅樹トンネル] |
[大林トンネル]より地中に入ったトンネルは東進し、綾川支流の谷を抜けた先で南東へと向きを変え開水路となって現れる。開水路西端には[奥谷トンネル]の銘。90m弱の開水路を進んだ用水は東端、文字は読みにくいのだが、[梅樹トンネル](だろうと思う)で地中に潜る。開水路に特に名前は見当たらなかった。
●奥谷の用水路施設
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綾川支流の谷筋の用水路施設 |
当日は猛暑で暑いというより熱いといった陽射しの中、疑問には思ったのだが熱さに負け確認を怠ったことがある。[奥谷上トンネル]から入った用水が[奥谷トンネル]で出るのは少々腑に落ちない。
メモの段階でGoogle Earthでチェックすると、[奥谷上トンネル]と[奥谷トンネル]の間にある綾川支流の谷、香川用水ルート上にフェンスに囲まれた用水構造物といったものが見える。ここまで歩いた経験からなんらかの構造物を堺に名称が切り替わることが多い。この施設を堺に[奥谷上トンネル]から[奥谷トンネル]に切り替わったのだろうか。単なる妄想。根拠なし。
梅樹第二開水路 / 道西トンネル
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道脇の水路施設東の丘陵に水路ライン |
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這い上がると[梅樹第二開水路]とあった |
国土地理院地図には[梅樹トンネル]に入った用水路は東進し綾川支流の今滝川を越えた先で開水路となっている。航空写真でチェックすると開水路は見えないが、なんとなくコンクリートの筋が見える。
丘陵部を迂回し今滝川筋に入り、用水路ルートが交差する地点に向かうと、道の左手に用水路施設らしきものがあるが、通常香川用水の施設はフェンスで囲まれており、香川用水の施設かどうかはっきりしない。
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[梅樹第二開水路]は丘陵を120mほど進み |
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東端に[道西トンネル] |
で、国土地理院地図にある開水路は今滝川右岸には見えない。そのかわり、今滝川東の丘陵に水路筋らしきラインが見える。とりあえず農家の敷地を抜ける先にある橋を渡り、今滝川の右岸に出る。その先は田圃のあぜ道を辿り水路筋ラインらしきところまで這い上がる。
と、そこにはコンクリートで蓋をされた水路があった。西端まで辿ると[梅樹第二開水路]とあった。[梅樹第二開水路]は120mほど続き東端には[道西トンネル]の銘があった。
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今滝川左岸のコンクリート壁面 |
今滝川の谷筋まで結構な比高差がある。サイフホンで抜けているのだろう。今滝川左岸にはそれらしき施設はとチェックするとコンクリート壁面がある。用水路施設かと壁面上まで上ってみたが、作業場のようで用水路施設はなかった。実際地図上では用水路ルートはこの壁面の南を進んでいる。とすればトンネルを進んできた用水路は地表にでることなく地ののサイホン施設より今滝川の谷筋に落ち込んでいるのだろうか。よくわからない。
また[梅樹第二開水路]とあるが、それでは[梅樹第一開水路]は?先ほど辿った[奥谷トンネル]と[梅樹トンネル]の間の名前の見当たらなかった開水路が[梅樹第一開水路]であれば辻褄が合うのだが。また記載はなかったけれど[梅樹第二開水路]の西端が[梅樹トンネル]の出口ということであれば、これも辻褄が合う。が、いずれにしても何ら根拠はない。
矢谷トンネル出口 / 牛川トンネル入口
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[矢谷ンネル]出口 |
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開水路東に[牛川トンネル]
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航空写真でチェックすると[道西トンネル]でコンクリートに覆われた開水路から地中に入った用水路は南東に進み、県道185号を越えた丘陵部で姿を表す。長さは750mほど。
[道西トンネル]の銘の傍にあるステップを上ると舗装された道がある。この道を歩きステップを下れば田圃の中をあるかなくても[梅樹第二開水路]に行ける。
それはともあれ、ステップからでた道を南に向かい、丘陵を横切る道を進み県道185号に出る。そこから県道を少し北に上り航空写真で確認した開水路部へ向かう。
開水路西端は[矢谷ンネル]の銘。120mほどの開水路には名前が見当たらなかった。開水路は東端の[牛川トンネル]で地中に潜る。
[道西トンネル]を抜けると[矢谷トンネル]?途中それらしき施設もなかったようだが、どういうことだろう。因みに、このあたりは矢谷の集落ではある。
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用水路ルートの水路施設 |
途中用水路ルート上にコンクリート構造物があった。が、フェンスに囲まれてもいない。香川用水の施設ではないだろうが一応記録。
牛川トンネル出口 / 牛川第一開水路 / 伊弥分水工 / 梶羽川サイホン
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[牛川トンネル]出口と[施設建物] |
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[牛川第一開水路] |
牛川トンネルに入った用水路は、丘陵にある池を避け南東に向かい、池の南端を越えると北東へと流路を変え梶羽川の谷筋で開水路となって現れる。トンネルの長さは830mほど。
開水路の西端に[牛川トンネル]の銘。直ぐそば水路北に分水口、南には施設建物が2棟。名前は記載されていない。
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[伊弥分水工] |
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[梶羽川サイホン]入口 |
開水路は 幅3.4m,深さ2.55mのフルームタイプ(箱型)の開水路。[牛川第一開水路]とある。100mほどの開水路の中ほどに[伊弥分水工] 。東端は[梶羽川サイホン]となって梶羽川を潜る。
●塞の神
梶羽川を渡る手前に塞の神。「塞の神」って村の境界にあり、外敵から村を護る神様。石や木を神としておまつりすることが多い、よう。信州の塩の道を辿った折、大網峠を越えた先には塞の一本杉と呼ばれる塞の神もあった。
この神さま、古事記や日本書紀に登場する。イサザギが黄泉の国から逃れるとき、追いかけてくるゾンビから難を避けるため、石を置いたり、杖を置き、道を塞ごうとした。石や木を災いから護ってくれる「神」とみたてたのは、こういうところから。
「塞の神」は道祖神とも呼ばれる。道祖神って、日本固有の神様であった「塞の神」を中国の道教の視点から解釈したもの、かとも。道祖神=お地蔵様、ってことにもなっているが、これって、「塞の神」というか「道祖神(道教)」を仏教的視点から解釈したもの。「塞の神」というか「道祖神」の役割って、仏教の地蔵菩薩と同じでしょ、ってこと。神仏習合のなせる業。
お地蔵様と言えば、「賽の河原」で苦しむこどもを護ってくれるのがお地蔵さま。昔、なくなったこどもは村はずれ、「塞の神」が佇むあたりにまつられた。大人と一緒にまつられては、生まれ変わりが遅くなる、という言い伝えのため(『道の文化』)。「塞の神」として佇むお地蔵様の姿を見て、村はずれにまつられたわが子を護ってほしいとの願いから、こういった民間信仰ができたの、かも。
ついでのことながら、道祖神として庚申塔がまつられることもある。これは、「塞の神」>幸の神(さいのかみ)>音読みで「こうしん」>「庚申」という流れ。音に物識り・文字知りが漢字をあてた結果、「塞の神」=「庚申さま」、と同一視されていったのだろう。
梶羽川サイホン出口 / 牛川第二開水路 / 東蓮寺分水工 / 牛川サイホン入口 |
[梶羽川サイホン]出口 |
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[牛川第一開水路] |
梶羽川を越えると直ぐ開水路。西端に[梶羽川サイホン]の銘がある。開水路は [牛川第一開水路]と同じく幅3.4m,深さ2.55mのフルームタイプ(箱型)の開水路。[牛川第二開水路]とある。
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[東蓮寺分水工] |
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[牛川サイフォン]入口 |
ゆるやかなカーブを描いて進む開水路は350mほど進むと [東蓮寺分水工]があり、その先に[牛川サイフォン]となって地中に潜る。
牛川サイホン出口/ 山田下開水路 / 天尾トンネル入口
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[牛川サイホン]を出ると[山田下開水路] |
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開水路東端に[天尾トンネル]入口 |
[牛川サイホン]の直ぐ先に開水路。開水路は[山田下開水路 ]。150mほどの開水路西端の[天尾トンネル]で用水路は地下に潜る。
綾川左岸に大きな用水路施設
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綾川左岸の用水施設 |
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綾川への放水路 |
天尾トンネルで地中に潜った用水路は丘陵を抜け、綾川支流に沿って走る県道17号府中造田線の谷筋を通り更に丘陵を抜けると綾川左岸で開水路となって現れる。トンネルの長さは630mほどだろうか。
短い開水路部には大きな用水路施設があるのだが、フェンスで厳重に囲まれ施設名はわからない。場所から考えれば[綾川分水]に関係する施設ではないだろうか。施設から綾川に余水吐を放水する水路もあった。
●途中の用水路施設
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コンクリート構造物 |
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[コンクリート構造物] |
航空写真には県道17号府中造田線の西側の丘陵裾、用水路ルート上にコンクリート構造物が見える。確認に行くとフェンスで囲まれた用水施設といった風情の構造物であった。
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航空写真で見た水槽は企業の排水槽だった |
もうひとつ、航空写真でチェックすると、県道17号東の丘陵、用水路ルート上に大きな水槽が見えた。確認に行くと、残念ながら企業の排水槽であった。ガックり。
綾川サイホン出口 / 山田開水路 / 山田チェック工/ 山田サイホン入口
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[綾川サイホン]出口 |
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[山田開水路 ] |
綾川で高鉢山地の丘陵北裾を抜けた用水路路は、ここから1kmほど綾川が開いた羽床低地(琴平電鉄に羽床駅がある)を進むことになる。
綾川を渡り国道377号に接するところに開水路がある。西端には[綾川サイホン]の銘がある。上辺7.45m,下辺1.6m ,深さ1.95mの舗装開水路タイプ開水路は[山田開水路 ]とある。
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[山田チェック工] |
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[山田サイフォン]入口 |
長さ723mの開水路東端には[山田サイフォン]。その手前にネルピックゲートタイプの[山田チェック工(水位調節堰)]があった。
このあたりで綾川の開いた羽床低地から千疋丘陵に入る。
●用水路施設
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綾川 |
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綾川と県道の間に用水路施設 |
国道377号東側に用水路施設らしき建物があった。名前は書かれていないが、位置は用水路ルート上にある。香川用水の施設?。
●綾川
Wikipediaには「綾川(あやがわ)は、香川県中部を流れる綾川水系の本流で、二級河川。香川県下では最長の河川である。流域の多くは花崗岩から成る。
讃岐山脈最高峰の竜王山北麓付近(香川県高松市塩江町安原下)に発し西流のち北流。長柄池を経て田万川を併せ、おおむね北西に流れを転じる。綾歌郡綾川町北部から坂出市にかけて府中湖が広がり、坂出市街東部をかすめ、坂出市林田町と同市江尻町の境界から瀬戸内海に注ぐ。
長柄池には長柄ダムが、府中湖には府中ダムがあり、治水と前者は灌漑・生活用水を、後者は工業用水を担っている。
滝宮付近では大束川の上流部をうばった河川争奪の跡が見られる。
2006年(平成18年)3月21日、上中流域の綾歌郡綾上町・綾南町は対等合併し、この川の名にちなんで綾歌郡綾川町となった」とある。
山田サイホン出口 / 平見トンネル入口
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[山田サイホン]出口 |
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開水路東端の[平見トンネル]で丘陵に潜る |
[山田開水路]の直ぐ先に短い開水路。開水路西端には[山田サイホン]の銘。26mほど先の東端で水は丘陵下に潜る。銘板は文字がはっきりしない。「平*トンネル」のよう。このあたり平見地区であり、[平見トンネル]かもしれない。
平見トンネル出口 / 遠田開水路 / 遠田トンネル
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[平見トンネル]出口 |
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[遠田開水路] |
平見トンネルに入った用水路は小高い丘陵を北東に800mほど進み開水路となって現れる。東端は[平見トンネル]。400mほどの開水路は[遠田開水路]。
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開水路左岸に用水路施設建物 |
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開水路東端に[遠田トンネル] |
開水路の左岸に用水路施設建物がある。名前は書かれていなかった。西端の[遠田トンネル]で地中に潜る。
富川チェック/ 丸山岡揚水機場[富[富川チェック]川チェック]
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[富川チェック] |
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[丸岡山揚水機場] |
[遠田トンネル]に入った用水路は向きを東に変え、綾川水系富川支流(?)の谷筋を抜けた先で北東に向かい、その東の小高い丘陵を抜けて富川(本流?)とクロスする。ここまでのトンネルの長さはおおよそ1㎞。そのクロスする手前に航空写真に如何にも用水路施設といった建物が見える。
確認に向かと[富川チェック]、[丸岡山揚水機場]とあった。国土地理院のルートと航空写真の合わせ技で見つかった用水路施設のひとつ。
昭和開水路/ 本津川サイホン
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[昭和開水路] |
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[本津川サイホン]出口 |
[富川チェック]・[丸山岡揚水機場]の先も用水路は地表に現れることなく北東に1.4キロほど進み県道39号国分寺中通線の先で開水路となって現れる。開水路西端(南端)のトンネル出口には名前はない。幅3.4m,深さ2.55mのフルームタイプ(箱型)の開水路は[昭和開水路]とある。長さ160mほど先に[本津川サイホン]があり、地中に潜る。
●行政区域
この辺りは高松市香南町。県道39号の少し東が綾歌郡綾川町と高松市の境となっている。
●神武天皇社
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阿波霊神・竜王社 |
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神武天皇社 |
用水路ルートが県道39号とクロスする手前に生子山(ううこやま)があり、地図上に神武天皇社が記載されていた。なんとなく気になりちょっと立ち寄り。標高120mほどの山頂部に社があったが、特段の由緒はなかった。
山は公園のように整備され、鐘楼、親鸞像、阿波霊神・竜王社、戦没者慰霊・軍人墓地、山姥の足跡岩などがある。生子山(ううこま)の由来は山姥が子を産んだ山の意であるゆえの足跡だろう。
鵜生池トンネル出口 / 鵜生池 第一開水路 / 出宮原分水工 / 鵜生池水路橋入口
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[鵜生池トンネル]出口 |
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[鵜生池 第一開水路] |
[本津川サイホン]で地中に潜った用水路は本津川低地を北東に進み、本津川を抜け台地に入り鵜生(うの)池南端で開水路となって姿を表す。長さは560mほど。
開水路の西端(南端)には[鵜生池トンネル]の銘がある。上辺7.25m,下辺1.55m ,深さ1.9mの舗装開水路タイプ開水路は[鵜生池 第一開水路]とある。
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[出宮原分水工] |
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[鵜生池水路橋]入口 |
500mほどの開水路を進むと直ぐ北側に[出宮原分水工]がある。用水路東に出宮原という地名がある。その辺りの灌漑用水となるのだろう。
開水路東端(北端)は[鵜生池水路橋]と書かれる。
●鵜生池水路橋
香川用水は[鵜生池水路橋]となって鵜生池を渡る。鵜生池は高松市と綾歌郡綾川町の市町境に位置するため池。寛永 3 年(1626 年)の大干ばつを機に、地域の農民により当時、谷間で葦が一面に繁茂し鵜が生息していた湿地に築造された。「鵜生池」の所以である。
その後、幾多の改修を経て、昭和 48 年からは県営大規模老朽ため池等整備事業で全面改修
が行われ、昭和 51 年に完成した。
●
行政区域
鵜生池は綾歌郡綾川町と高松市の境となっているがその境界線は池の辺りで入り込んでいる。[出宮原分水工 ]は高松市香南町だが、 [鵜生池水路橋]は綾歌郡綾川町となっている。
鵜生池水路橋出口/ 鵜生池第二開水路/ 鵜生池チェック / 岡本トンネル入口 |
[鵜生池水路橋]出口 |
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[鵜生池 第一開水路] |
40mほどの鵜生池水路橋を渡るとすぐ開水路。西端に[鵜生池水路橋]と書かれる。開水路は[鵜生池 第一開水路]と同じく舗装開水路タイプ。
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[鵜生池チェック] |
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[岡本トンネル]入口 |
150mの開水路西端には[岡本トンネル]の銘。その手前には[鵜生池チェック]。チェック工の上流には分水工があるはずだがわからなかった。香川用水は鵜生池を養水しているといった記事もある。どこかで分水はしているのだろう。
●行政区域
[鵜生池水路橋出口]辺りは綾歌郡綾川町。 [鵜生池第二開水路]も前半はまで高松市岡本町。その先[岡本トンネル]の少し東までは再び綾歌郡綾川町となっている。
古川局 / 奈良須分水工 / 諏訪山分水工 / 東部上工水分水工
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[古川局] |
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[諏訪山分水工] |
[岡本トンネル]より地下に潜った用水路ルート上を少し東に進むといくつもの用水路施設がある。建物には[古川局] 、[諏訪山分水工 ]と記される。また、[奈良須分水工 ]、[東部上工水分水工]と記された用水施設もあった。
東部幹線の共用区間(上水道用水・工業用水と農業用水の共有区間)は[奈良須分水]までとある。ここが東部幹線の共用区間の終点だろう。北には東部浄水場もある。
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[奈良須分水工] |
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[東部上工水分水工] |
共用区間には[上工水分水工]が4か所あるとのことだが、今回辿った共用区間で上[工水分水工[に出合ったのはこの[東部上工水分水工]だけであった。上工水とは上水・工業用水のことだろう。この4か所の上工水分水工は水資源公団の本来的管理箇所であり、琴平管理事務所において遠方監視による自動制御を行っているようだ。
また共用区間には水資源公団が管理する農業用分水工が65箇所あるとのこと。今回結構多くの分水工に出合ったが65箇所にはほど遠いもの。特段の情報もなく成り行きで辿ったわけであるから当然といえば当然の結果。
なお、上述の如く65か所の農業用分水工は分水施設のテレメーター装置からの情報を琴平管理事務所で監視し、必要に応じ移動用無線でパトロール車に指示し、直接現地で操作制御を行っているとのこ。但し、農業用水は土地改良区の管轄であるため、琴平管理事務所から高松の土地改良区管理事務所に情報が送られ、管理主体を「明確」にしているようである。また情報は大麻山(金毘羅さんのある象頭山)中継局を経由して送受信しているとあった(「香川用水における農業用水の管理制御機構について」より)。
次回は東部幹線の農業用専用区間38キロをメモする。
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