釜伏峠を越えた。過日、秩父往還を実感しようと川越道・粥新田峠を歩いたのだが、釜伏峠も秩父往還・熊谷道。そのうち歩いてみようと思っていた。
で、先日、寄居散歩のとき、県道294号線脇に「釜伏峠」そして「名水日本水源流点」の案内を見つけた。秩父往還への強き思いもさることながら、川とか源流点とか清水、というだけで嬉しくなる我が身としては、はやる気持ちを抑えがたし、といった按配であった。
本日のルート;東武東上線・寄居駅>関所跡>釜山神社>奥の院から日本水源流地点>日本水源流点>日本(やまと)の里>秩父鉄道・波久礼(はぐれ)の駅>少林寺
東武東上線・寄居駅
土曜日。9時起床。ちょっと遅いかとも思いながら釜伏峠行きを決める。池袋より東部東上線小川町行き急行に乗る。急行とはいいながら、川越から各駅停車。小川町で寄居行きに乗り換え。到着したのがお昼過ぎ、であった。 秋山・釜伏峠への分岐点 駅前の観光案内所でパンフレットを手に入れる。が、釜伏峠方面の地図はしっかりしたものがない。仕方なし。駅前から県道294号線・登山口への分岐までタクシーを利用。3キロ以上もあるし、先回歩いた道筋でもあるので、カットしようと思った次第。タクシーで鉢形城公園脇を走り、秋山の釜伏峠への分岐点に。ここから峠に向かって上ることになる。登山道、とはいいながら、この道は車道。峠に上る車も結構走っている。
中間平
曲がりくねった道を上っていく。およそ2.5キロ程度進むと「中間平」。別方向から中間平に登ってくる道がある。これって、本来の熊谷道かもしれない。あれこれ調べてみると、熊谷道って、現在の八高線が荒川を渡るあたりに「渡し」があり、そのあたりからこの中間平に向かっていたようだ。
中間平には緑地公園もある。公園には行かず、展望台で小休止。車やバイクで登ってきた人達も幾人かいた。寄居の町が眼下に。車山、荒川にかかる正喜橋などが見える。素晴らしい展望である。 少し休み、釜伏峠へと進む。およそ2.7キロ、と。「中間平」とはよく言ったものである。勾配も心持ちきつくなった、よう。峠から降りてくる車も結構多い。途中、「ポピーの花、咲いてました?」などとドライバーに聞かれたりする。まったくもって、花を愛でる情感が少々乏しい我が身には、何のことやらさっぱりわからず。
関所跡
少々汗をかきかき峠へと進む。途中「関所跡」。説明によれば、この関所は他の関所とは役割が違ったようだ。通常関所って、「入り鉄砲 出女」の監視といったものである。が、ここは険路であるこの釜伏峠を上る旅人・巡礼者を助けるためのものであった、よう。関所を越えてしばらく進むと釜伏峠に。
釜伏峠
峠道には車が多い。粥新田峠近くから、「ふれあい牧場・秩父高原牧場」、二本木峠を経て尾根道を進む県道361号線が釜伏峠に続いている。また、国道140号線のバイバス・皆野長瀞ICあたりから三沢川を上り、芳ノ入からこの峠に登る車道、それと、秩父鉄道・波久礼方面から風布地区を通りこの峠に上る道、この三つの車道がこの釜伏峠で合流している。
道路が交差するところにある道案内をチェック。大雑把な道案内であり、はてさて、日本水(やまとみず)へのルートがよくわからない。釜山神社が近くにあるようで、その近くに日本水源流点があるようで、といった、心もとない案内図。EZナビで「日本水 寄居」で検索。ヒット。ナビをたよりに歩を進める。
釜山神社
歩き始めると、すぐそばにいかにも神社らしき雰囲気の空間。釜山神社って、もっと道からはなれた山に入らなければ、と思っていたので、予想外の展開。ナビを切り、神社参道に。
釜山神社の起こりは不明。伝説によると、紀元504年、第九代開花天皇の皇子が武蔵を巡幸したとき、この地で国家安康を祈った、とか、紀元770年頃、日本武尊がこの地に立ち寄り、神に供する粥を釜でたき、その釜を伏せて祈った。ために、釜伏山であり、釜山神社である、と。別の説もある。この山の形が釜を伏せたように見えるから、とも。
神社の狛犬はここでは山犬というか狼。これって、秩父の三峰神社の流れ、か。火災除け・盗難除けに効能あり、とするのも三峰神社に同じ。
それにしても秩父には日本武尊の話が多い。先般の粥新田もしかり。また粥新田峠からこの釜伏峠の途中にある二本木峠は、日本武尊が地面に突き刺した箸が木になったから、と。秩父と日本武尊の関係をそのうちに調べてみよう、と思う。
奥の院から日本水源流地点
お参りを済ませ本殿脇を見ると「奥の院から日本水源流地点」への案内図。車道を通る道ではなく、山道コースのよう。本殿のペンキ塗りをしていた地元の方に道を尋ねる。「先に進みT字路を右に行けばいい」、と。途中に、「ハイキングスタイル必須」といった案内。軽く考えたのが大間違い。
山頂に向かってどんどん登る。結構な岩場。予想外の展開。グングン、上に上にと引っ張られる。痛めた膝にこれでもか、といった負荷がかかる。結局奥の院って、山頂に鎮座していた。石の祠、であった。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)
急峻な下り道
奥の院・山頂から先はまさしく急降下、といった急峻な下り道。岩場に鎖やロープがある。とんでもないところに来たものだ、と少々弱気に。釜山神社に寄り道せず、車道を下っておれば、などと考えながら、とりあえず直滑降で下る。しばらく悪戦苦闘の後、「日本水源流点へ40m」の案内。ほっと一安心。
日本水源流点へ40m
案内板をチェック。岩盤崩落の危険あり、と、立ち入り禁止のお知らせ。釜山神社の日本水への案内板に、それらしきことが書いてあった。が、それは、日本水へ向かうルートに通行禁止のところがある、といった程度にしか読めなかった。ここに来て「不可」とは殺生。それも40m先に目的地がある、という。
日本水源流点
少し悩んだ。が、結局どういう状態かちょっと入ってみよう、ということにした。危険であれば即引き返す、といことで進む。日本水の源流点はすぐ着いた。百畳敷岩とよばれる垂直に切り立った巨大な岸壁。その間から流れ出している水をペットボトルに入れ、即撤収。
尾根道ルートを下ることに
元に戻る。案内板をチェック。道は2ルート。日本水源流点を経て下に下る。これが、逆に言えば車道から入ってくるルートなのだろう。それと、尾根道を下るルート。どちらにしようか、と少々悩む。結局尾根道ルートにしたわけだが、これがなんともはや、といったルートであった。
道に迷う
尾根道ルートには途中、風布だったか、どこだったか、ともあれ里まで750mといった案内があった。それを目安に道を下る。次第に道がわかりにくくなる。が、なんとか先に道は続く。しばらく進むと道筋が全くわからなくなった。ここで引き返すか、もっとよく道筋を調べればよかったのだが、なんとかなるだろう、と力まかせで下に進む。
杉の木立に赤いリボンが結ばれている。どう見ても、道などないのだが、リボンを目安に下ればなんとかなるかと思い、とりあえず進む。次第に状況は悪くなる。リボンも見当たらなくなった。勾配もきつくなる。斜度45度以上と思えるほどの急峻な山肌をころびつつ、まろびつつ「落ちる」。少々パニック。
状況はますます悪くなる。先に進もうにも木立、ブッシュが前を遮る。木立を折り、ブッシュを掻き分け進む。どうなることやら。気持ちは焦る。ひょっとしたら、にっちもさっちも、いかなくなる、との怖れ。が、先に進むしか術はなし。 直滑降で真下に進む。先は谷地。行き止まり。谷があれば川があろうと、谷筋に沿って川下に向かう。木立を掻き分け、ブッシュをなぎ倒し、とりあえず先に進む。気持ちが焦る。何度転んだかわからない。秩父で遭難って洒落にならん、と思えども、携帯も繋がらないし、こんなところで人が迷っているなど、誰も思わないだろうし、家族にはどこに行くとも言っていないし、どうしたもんだ、と、頭の中はパニック状態。
里が見えた
と、下のほう、木立の間に、すこし屋根のようなものが見えた。実際は屋根でもなんでもなかったのだが、力任せにそこに向かう。突然、里が見えた。木立を折り、なんとか里に出る。汗びっしょり。言葉が出ないほど消耗。畑のむこうに車道が見える。あとからわかったのだが、国道140号線バイパス寄居・風布IC入口付近。寄居で一度トンネルに入ったバイパスは、この地で一度開け、再びトンネルに入る。バイパスのトンネルの上で悪戦苦闘をしていたのであろう、か。
里に下りる
それにしても、ほんとうにこの尾根道って、登山ルートであったのだろう、か。案内にはそのように書いてはあったと思うのだが、この道は絶対道に迷う。実際、HPなどでルートをチェックしてみると、「地図をもっていなければ迷う」といったコメントもあった。そんなところを案内するのは如何なものであろうか。ともあれ、自然に手を合わせる。神仏にマジ感謝。
ほとんど呆けた状態でフラフラ歩く。しばらく歩くと少し大きな車道。この道は、釜伏峠から下る道。本来であればこの道を下ってきたのだろう。釜山神社に寄り道しなければ、この道を楽しく下ってきた、はず。が、今となってはあとの祭り。
日本(やまと)の里
このあたりは「日本(やまと)の里」、と。日本武尊との由来があるのだろう。が、当面、何を見る気力もなし。しばらく進むと休憩所。食事ができる。実も世もないといった状態でお店に。うどんを注文。人心地ついた。うどんがおいしかった。腰がある。秩父うどん、って、あなどれない。
また、ここに田舎饅頭があった。ゆっくり、じっくり休み、気持ちを鎮め、お土産に饅頭を買い求め店を出る。お店で茶飲み話をしていた地元のおばあさんに、遭難するところでしたよ、などと笑いながらも少々の同感を求め訴えるも、一笑に付される、のみ。なにが嬉しくて、また、なにが悲しくて、薮の中を歩き廻るのか、私達にはわからない、といった顔つきでありました。
釜伏川を下り、秩父鉄道・波久礼(はぐれ)の駅
休憩を終え、川に沿って下る。風布川かと思っていたのだが、釜伏川であった、よう。2キロ弱歩き荒川にかかる寄居橋に。川の流れはない。玉淀ダムの貯水池となっている。秩父鉄道・波久礼(はぐれ)の駅は近い。よっぽどこのまま電車に飛び乗り家に帰ろうか、とも思ったのだが、最後の締めは、五百羅漢の少林寺としようと、もうひと頑張り。橋の袂から2キロ弱、といったところ。
少林寺
本日のルート;東武東上線・寄居駅>関所跡>釜山神社>奥の院から日本水源流地点>日本水源流点>日本(やまと)の里>秩父鉄道・波久礼(はぐれ)の駅>少林寺
東武東上線・寄居駅
土曜日。9時起床。ちょっと遅いかとも思いながら釜伏峠行きを決める。池袋より東部東上線小川町行き急行に乗る。急行とはいいながら、川越から各駅停車。小川町で寄居行きに乗り換え。到着したのがお昼過ぎ、であった。 秋山・釜伏峠への分岐点 駅前の観光案内所でパンフレットを手に入れる。が、釜伏峠方面の地図はしっかりしたものがない。仕方なし。駅前から県道294号線・登山口への分岐までタクシーを利用。3キロ以上もあるし、先回歩いた道筋でもあるので、カットしようと思った次第。タクシーで鉢形城公園脇を走り、秋山の釜伏峠への分岐点に。ここから峠に向かって上ることになる。登山道、とはいいながら、この道は車道。峠に上る車も結構走っている。
中間平
曲がりくねった道を上っていく。およそ2.5キロ程度進むと「中間平」。別方向から中間平に登ってくる道がある。これって、本来の熊谷道かもしれない。あれこれ調べてみると、熊谷道って、現在の八高線が荒川を渡るあたりに「渡し」があり、そのあたりからこの中間平に向かっていたようだ。
中間平には緑地公園もある。公園には行かず、展望台で小休止。車やバイクで登ってきた人達も幾人かいた。寄居の町が眼下に。車山、荒川にかかる正喜橋などが見える。素晴らしい展望である。 少し休み、釜伏峠へと進む。およそ2.7キロ、と。「中間平」とはよく言ったものである。勾配も心持ちきつくなった、よう。峠から降りてくる車も結構多い。途中、「ポピーの花、咲いてました?」などとドライバーに聞かれたりする。まったくもって、花を愛でる情感が少々乏しい我が身には、何のことやらさっぱりわからず。
関所跡
少々汗をかきかき峠へと進む。途中「関所跡」。説明によれば、この関所は他の関所とは役割が違ったようだ。通常関所って、「入り鉄砲 出女」の監視といったものである。が、ここは険路であるこの釜伏峠を上る旅人・巡礼者を助けるためのものであった、よう。関所を越えてしばらく進むと釜伏峠に。
釜伏峠
峠道には車が多い。粥新田峠近くから、「ふれあい牧場・秩父高原牧場」、二本木峠を経て尾根道を進む県道361号線が釜伏峠に続いている。また、国道140号線のバイバス・皆野長瀞ICあたりから三沢川を上り、芳ノ入からこの峠に登る車道、それと、秩父鉄道・波久礼方面から風布地区を通りこの峠に上る道、この三つの車道がこの釜伏峠で合流している。
道路が交差するところにある道案内をチェック。大雑把な道案内であり、はてさて、日本水(やまとみず)へのルートがよくわからない。釜山神社が近くにあるようで、その近くに日本水源流点があるようで、といった、心もとない案内図。EZナビで「日本水 寄居」で検索。ヒット。ナビをたよりに歩を進める。
釜山神社
歩き始めると、すぐそばにいかにも神社らしき雰囲気の空間。釜山神社って、もっと道からはなれた山に入らなければ、と思っていたので、予想外の展開。ナビを切り、神社参道に。
釜山神社の起こりは不明。伝説によると、紀元504年、第九代開花天皇の皇子が武蔵を巡幸したとき、この地で国家安康を祈った、とか、紀元770年頃、日本武尊がこの地に立ち寄り、神に供する粥を釜でたき、その釜を伏せて祈った。ために、釜伏山であり、釜山神社である、と。別の説もある。この山の形が釜を伏せたように見えるから、とも。
神社の狛犬はここでは山犬というか狼。これって、秩父の三峰神社の流れ、か。火災除け・盗難除けに効能あり、とするのも三峰神社に同じ。
それにしても秩父には日本武尊の話が多い。先般の粥新田もしかり。また粥新田峠からこの釜伏峠の途中にある二本木峠は、日本武尊が地面に突き刺した箸が木になったから、と。秩父と日本武尊の関係をそのうちに調べてみよう、と思う。
奥の院から日本水源流地点
お参りを済ませ本殿脇を見ると「奥の院から日本水源流地点」への案内図。車道を通る道ではなく、山道コースのよう。本殿のペンキ塗りをしていた地元の方に道を尋ねる。「先に進みT字路を右に行けばいい」、と。途中に、「ハイキングスタイル必須」といった案内。軽く考えたのが大間違い。
山頂に向かってどんどん登る。結構な岩場。予想外の展開。グングン、上に上にと引っ張られる。痛めた膝にこれでもか、といった負荷がかかる。結局奥の院って、山頂に鎮座していた。石の祠、であった。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)
急峻な下り道
奥の院・山頂から先はまさしく急降下、といった急峻な下り道。岩場に鎖やロープがある。とんでもないところに来たものだ、と少々弱気に。釜山神社に寄り道せず、車道を下っておれば、などと考えながら、とりあえず直滑降で下る。しばらく悪戦苦闘の後、「日本水源流点へ40m」の案内。ほっと一安心。
日本水源流点へ40m
案内板をチェック。岩盤崩落の危険あり、と、立ち入り禁止のお知らせ。釜山神社の日本水への案内板に、それらしきことが書いてあった。が、それは、日本水へ向かうルートに通行禁止のところがある、といった程度にしか読めなかった。ここに来て「不可」とは殺生。それも40m先に目的地がある、という。
日本水源流点
少し悩んだ。が、結局どういう状態かちょっと入ってみよう、ということにした。危険であれば即引き返す、といことで進む。日本水の源流点はすぐ着いた。百畳敷岩とよばれる垂直に切り立った巨大な岸壁。その間から流れ出している水をペットボトルに入れ、即撤収。
尾根道ルートを下ることに
元に戻る。案内板をチェック。道は2ルート。日本水源流点を経て下に下る。これが、逆に言えば車道から入ってくるルートなのだろう。それと、尾根道を下るルート。どちらにしようか、と少々悩む。結局尾根道ルートにしたわけだが、これがなんともはや、といったルートであった。
道に迷う
尾根道ルートには途中、風布だったか、どこだったか、ともあれ里まで750mといった案内があった。それを目安に道を下る。次第に道がわかりにくくなる。が、なんとか先に道は続く。しばらく進むと道筋が全くわからなくなった。ここで引き返すか、もっとよく道筋を調べればよかったのだが、なんとかなるだろう、と力まかせで下に進む。
杉の木立に赤いリボンが結ばれている。どう見ても、道などないのだが、リボンを目安に下ればなんとかなるかと思い、とりあえず進む。次第に状況は悪くなる。リボンも見当たらなくなった。勾配もきつくなる。斜度45度以上と思えるほどの急峻な山肌をころびつつ、まろびつつ「落ちる」。少々パニック。
状況はますます悪くなる。先に進もうにも木立、ブッシュが前を遮る。木立を折り、ブッシュを掻き分け進む。どうなることやら。気持ちは焦る。ひょっとしたら、にっちもさっちも、いかなくなる、との怖れ。が、先に進むしか術はなし。 直滑降で真下に進む。先は谷地。行き止まり。谷があれば川があろうと、谷筋に沿って川下に向かう。木立を掻き分け、ブッシュをなぎ倒し、とりあえず先に進む。気持ちが焦る。何度転んだかわからない。秩父で遭難って洒落にならん、と思えども、携帯も繋がらないし、こんなところで人が迷っているなど、誰も思わないだろうし、家族にはどこに行くとも言っていないし、どうしたもんだ、と、頭の中はパニック状態。
里が見えた
と、下のほう、木立の間に、すこし屋根のようなものが見えた。実際は屋根でもなんでもなかったのだが、力任せにそこに向かう。突然、里が見えた。木立を折り、なんとか里に出る。汗びっしょり。言葉が出ないほど消耗。畑のむこうに車道が見える。あとからわかったのだが、国道140号線バイパス寄居・風布IC入口付近。寄居で一度トンネルに入ったバイパスは、この地で一度開け、再びトンネルに入る。バイパスのトンネルの上で悪戦苦闘をしていたのであろう、か。
里に下りる
それにしても、ほんとうにこの尾根道って、登山ルートであったのだろう、か。案内にはそのように書いてはあったと思うのだが、この道は絶対道に迷う。実際、HPなどでルートをチェックしてみると、「地図をもっていなければ迷う」といったコメントもあった。そんなところを案内するのは如何なものであろうか。ともあれ、自然に手を合わせる。神仏にマジ感謝。
ほとんど呆けた状態でフラフラ歩く。しばらく歩くと少し大きな車道。この道は、釜伏峠から下る道。本来であればこの道を下ってきたのだろう。釜山神社に寄り道しなければ、この道を楽しく下ってきた、はず。が、今となってはあとの祭り。
日本(やまと)の里
このあたりは「日本(やまと)の里」、と。日本武尊との由来があるのだろう。が、当面、何を見る気力もなし。しばらく進むと休憩所。食事ができる。実も世もないといった状態でお店に。うどんを注文。人心地ついた。うどんがおいしかった。腰がある。秩父うどん、って、あなどれない。
また、ここに田舎饅頭があった。ゆっくり、じっくり休み、気持ちを鎮め、お土産に饅頭を買い求め店を出る。お店で茶飲み話をしていた地元のおばあさんに、遭難するところでしたよ、などと笑いながらも少々の同感を求め訴えるも、一笑に付される、のみ。なにが嬉しくて、また、なにが悲しくて、薮の中を歩き廻るのか、私達にはわからない、といった顔つきでありました。
釜伏川を下り、秩父鉄道・波久礼(はぐれ)の駅
休憩を終え、川に沿って下る。風布川かと思っていたのだが、釜伏川であった、よう。2キロ弱歩き荒川にかかる寄居橋に。川の流れはない。玉淀ダムの貯水池となっている。秩父鉄道・波久礼(はぐれ)の駅は近い。よっぽどこのまま電車に飛び乗り家に帰ろうか、とも思ったのだが、最後の締めは、五百羅漢の少林寺としようと、もうひと頑張り。橋の袂から2キロ弱、といったところ。
少林寺
山間に進むと少林寺。本堂自体はそれほど大きくはない。このお寺に来たのは、五百羅漢さまに会いたいため。境内のどこに、と探す。本堂脇から裏手も山にのぼる道が。
山道を進むと道脇に石つくりの仏様。荒削りの小さな羅漢、道にそって絶えることなく続く。九十九折れの山道を羅漢様のお顔を見ながら進む。夕暮れとなり、日蔭の道は薄暗く、どうとも、思わず手を合わせてしまう。本日の遭難寸前といった状況に対し、思わず知らずご加護を感謝する、といった思い。それほど信心深いわけではないのだけれども、まかり間違えば、といった状況から運良く、ほんとうに運がよかったということであるのだが、その幸運に対して大いに感謝する。
五百羅漢さま
道端の羅漢像は山頂まで続く。円良田湖とか、鐘撞堂山へのルートもあるが、時間もないので本日はこのあたりで散歩を終える。それでも、先回の寄居散歩のとき少林寺の羅漢様を見ようと途中まで歩いたのだが、日没のため中止。少々心残りでもあったが、これで十分満足。本日の予定はこれで終了。
寄居の駅に向かって歩き、一路家路へと急ぐ。ともあれ、本日は結構危なかった。気をつけなければ、と。そして、せめては、どちら方面に行く、といったことは家族に伝えて出なければ、と反省しきり。
山道を進むと道脇に石つくりの仏様。荒削りの小さな羅漢、道にそって絶えることなく続く。九十九折れの山道を羅漢様のお顔を見ながら進む。夕暮れとなり、日蔭の道は薄暗く、どうとも、思わず手を合わせてしまう。本日の遭難寸前といった状況に対し、思わず知らずご加護を感謝する、といった思い。それほど信心深いわけではないのだけれども、まかり間違えば、といった状況から運良く、ほんとうに運がよかったということであるのだが、その幸運に対して大いに感謝する。
五百羅漢さま
道端の羅漢像は山頂まで続く。円良田湖とか、鐘撞堂山へのルートもあるが、時間もないので本日はこのあたりで散歩を終える。それでも、先回の寄居散歩のとき少林寺の羅漢様を見ようと途中まで歩いたのだが、日没のため中止。少々心残りでもあったが、これで十分満足。本日の予定はこれで終了。
寄居の駅に向かって歩き、一路家路へと急ぐ。ともあれ、本日は結構危なかった。気をつけなければ、と。そして、せめては、どちら方面に行く、といったことは家族に伝えて出なければ、と反省しきり。
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