金曜日, 12月 09, 2005

陣場山散歩;秋の紅葉_5

陣場山散歩;秋の紅葉_5

秋の紅葉を求める散歩も5回目。前々から気になっていた陣場山に行くことにした。高尾に行くたびに、陣場への尾根ルートへ進もうとは思うのだが、如何せん時間切れ。単に朝起きるのが遅く、散歩開始が遅く、日暮れが怖く、これまではパスしていた。早起きがすべての始まり。

で、陣場山へのアプローチ。コースはいくつかある。どのコースにするか、あれこれ迷った。陣場へのルートは大きく分けてふたつ。陣場山に連なる尾根を境に、南側からと北側からのルート。

北側ルートはJR八王子駅からバスでおおよそ1時間、陣場高原下バス停で降り和田峠経由山頂に至る道筋。
南側ルートは高尾方面から尾根筋を縦走して陣場に行くコースと、藤野駅からバスで陣場登山口まで進み、そこからひたすら陣場の山頂を目指すコースがある。
今回は、高尾方面からの縦走ルート。それも、小仏峠経由でのアプローチを選んだ。理由は、高尾散歩の「襷」をつなぐこと。それと、小仏という、旧甲州街道・裏高尾ルートの雰囲気を感じたかったから。

JR高尾
9時頃には家を出た。画期的な早起き。小仏峠方面へのバスはJR高尾から。京王高尾線で高尾下車。午前10時過ぎ。バス停のあるJR北口への連絡はよろしくない。京王高尾・南口からは結構大回りで、踏み切りを渡り北口に(後日、京王線の改札からJRに通り抜けることができることがわかった)。

バスは平日は1時間1便。が、休日の午前のこの時間は3便あった。10時32分に高尾出発。途中車窓から小仏関跡が目に入る。この関所もとは小仏峠にあり富士見関と呼ばれていた。16世紀末か17世紀の初頭、現在の地、甲州街道・駒木野宿に移る。関所では通行人や荷物を厳重に調べた。特に「入り鉄砲と出女」は警戒された、とか。

旧甲州街道
小仏峠に至るこのバス路線は旧甲州街道。車1台幅+αの狭い道。すれ違いの対向車待ちが必要。現在の甲州街道は八王子から南浅川上流の案内川に沿う大垂水峠を越えて甲斐国(山梨県)に通じている。そのルートになったのは明治21年(1888)のこと。
それ以前の旧甲州街道は、小仏川沿いに小仏峠を越え、中央高速・JR中央線に沿って相模湖町に続いていた。小仏峠越えの道も、通行が盛んになったのは江戸時代に入ってから。戦国時代の武田信玄の家臣、大月岩殿城主・小山田信茂が、八王子の滝山城を攻めた時に、この山路(北の景信山と南の高尾山からの尾根と鞍部)を越えて廿里の砦を急襲した。その頃から峠路として利用するようになった、よう。
室町時代末期には、北条氏照の八王子城の前進防衛基地として小仏峠の頂上に砦を設けた。その後北条が破れ、秀吉の命により関東を家康が治めるようになり、小仏峠には家康の命で関所が設けられた。
関所を守ったのは、武田や北条の残党をもとにつくられた屯田兵のような半農の人々である千人同心。で小仏峠。1寸8分の小さな仏像が峠に安置されていたのが峠の命名の由来。

小仏バス停
15分程度バスに乗り、終点小仏バス停で下車。小仏川に沿って歩く。すぐに大珠寺。境内に紅葉が見える。寄ってみる。こじんまりしたお寺。入口の階段の横に由来書;小仏のカゴノキ;幹が鹿の子模様になるところから、 漢字で「鹿子の木」と書くクスノキ科の常緑高木。 目通り(目の高さでの幹の太さ)約4m、樹高約15mで 枝が樹幹を中心に南北22m、東西17mに広がっている。

大珠寺を出て道を進む。舗装路。今でも車1台といった幅の道。昔の甲州街道はどの程度の道幅だったのだろうか。そういえば新選組、というか、勝海舟に甲州守備を命じられ甲陽鎮撫隊を組織した近藤勇・土方歳三も、この道を上りこの小仏峠を越えて進んだわけだ。重い大砲2門を引き、峠道を歩いた200余名の若者達のことを少々想像。

景信山への道標
で、曲がりくねった道を15分程度歩くと「景信山」への道標。山道に入る。後から分かったのだが、これは当初予定していた小仏峠経由ルートではなく、「直接」景信山に登るコース。小仏峠は、まだ30分程度先だった。

尾根道に
ともあれ、山道を進む。結構きつい。尾根道に。30分以上も登っただろうか、尾根道に「左:景信山,右:小下沢」の三叉路。景信山方面に。ゆるやかな尾根道。小下沢方面からの登山者も多い。走っている人も多い。マラソンの「高地トレーニングもどき」をしているのだろうか。

景信山頂
景信山頂までほぼ平坦な道。景信山頂直前は勾配がきつい。途中から木の階段が山頂まで続いている。登り始めてから1時間弱で到着。頂上には休憩所。結構多くの人が着ている。時間が気になり、休憩はパスし陣場山に向うことに。
景信山の由来は、八王子城を守った北条家の家臣、横地将監景信の砦がこの山にあった、とか、横地将監景信がこの地で討ち取られたとか、例によっていろいろ。


景信山から直ぐのところは結構きつい下り道。何度か滑った。それ以外は、それなりの尾根道。ところどころにアップダウンはあるが、「想定範囲内」。明王峠まで2キロ程度。時間が気になり、走るが如く進む。明王峠で一休み。閉鎖された休憩所の裏手に不動明王尊があったようだ。それがこの峠の名前の由来。
陣場山頂
景色が広がる。残念ながら雲が多く、見晴らしはよくない。一服し、再び歩く。陣場山までは名王峠から2キロ強といったところか。比叡山の大阿闍梨の如く進む。陣場山頂に。午後1時過ぎ。高尾駅を10時32分に出発。バスは20分寂。11時頃から上りを開始、ということは、小仏の登山口から陣場山まで2時間半程度。結構急いだ。

陣場山頂からの眺めは360度の大パノラマ。うす曇で視界はよくないのが残念。休憩所のオバーチャンに晴れた日の写真を見せてもらう。富士山、相模湖、東京都心などなどが一望のもと。機会を改めて来てみたい。

陣馬山とも陣場山とも書かれるが、もともとは、陣場山とか陣張山とか。武田軍がここに陣を張ったからとか。馬になったのは、京王電鉄が観光地として売り出すときに「馬」を当てたとか。真偽のほど定かならず。曇りで見えなかった富士山をカシミール3Dでつくり、イメージ楽しむ。

栃谷尾根からJR藤野に
しばし休憩の後、栃谷尾根からJR藤野に向って降りる。時間は1時半過ぎ。道標に従い山を下る。始まりは結構厳しい下り。木の階段にはなっているが、勾配きつい。少々膝にくる。
どんどん下る。ほとんどが杉木立の中。視界よくない。1時間弱で里に。茶畑が最初に迎えてくれる。農家の脇道を下る。庭先の紅葉美しい。くねくね道を下る。とことどころに陣谷温泉への案内看板。ちょっと前、会社の仲間と三頭山に登ったとき日帰り入浴を楽しんだ。

車道まで下る。左は陣谷温泉。ちょっと気持ちが揺らぐが、今日は我慢。川にそって下る。結構長い。途中、紅葉の美しいところが。腰を下ろし休憩。ところどころに茶畑。このあたりお茶が有名なのだろうか。
ちょっと調べた;昔このあたりは養蚕で有名。でその桑畑が今、茶畑に、ということだった。
結構大きな車道に。和田峠につながる県道だろう。ちなみに和田峠の駐車場を利用すれば、陣場まで往復1時間弱で行けるとか。ともあれ、左折するとすぐ、陣場登山口バス停に。ここから陣場に上るには2時間以上かかりそう。いままで下りてきた道を逆に進む、といったことは想像するだけでご勘弁願いたい。このルートを通っての陣場山へのアプローチはお勧めできない。事実山道の途中で出会ったのも1組だけ。それも結構プロっぽい、山男風学生集団だけであった。

JR藤野駅
先に進む。車道で、そこそこ車の往来も。藤野への最終地点はトンネル。1台通れるだけのスペース。歩く我々は少々怖い。おっかなびっくりでトンネルを抜けるとすぐJR藤野駅。到着は午後3時過ぎ。下り2時間弱かかった。山頂から里まで1時間弱。そこから駅まで1時間といったところ。尾根歩きと同じ程度の時間がかかった。全工程14キロ程度。4時間強の陣場山尾根縦走でありました。紅葉は栃谷地区の民家軒先のもの、それと栃谷地区を少し下った澤井地区・栃谷川脇の紅葉が本日の収獲。

本日のルート;小仏バス停>宝珠寺>景信山登山口(360m)>景信山(727m)>堂所山(710m)>明王峠(710m)>陣場山(854m)>栃谷>陣場登山5口バス停>JR藤野駅

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