木曜日, 12月 01, 2005

高尾散歩:秋の紅葉_2;



高尾散歩:秋の紅葉_2;紅葉を求める散歩の初回、秦野・弘法山丘陵の紅葉は少々早かった。それでは標高を上げれば紅葉も進むのではとお気楽に考え、高尾山に登ることにした。
高尾山から尾根道を進み、相模湖に降りる結構ポピュラーなルート。こどもが小学校の頃、家族で歩いたことがある。ともあれ、京王線に乗り、終点高尾山口に。高尾山口駅からケーブルカー乗り場・清滝駅にかけ、人の波。大混雑。ケーブルの待ち時間は40分とかのアナウンス。登山道は、はてさてどのルートにしようか。1号路、6号路は上ったことがある。1号路は表参道。金毘羅台、霞台、薬王院を巡る4キロ弱のコース。6号路は沢沿いの3キロ強のコース。琵琶滝コースと呼ばれる。今回は稲荷山コースを登ることにした。登山道も結構人が多い。このコース、高尾山の主尾根ではなく別尾根から高尾山の頂上を目指すもの。元は林道らしい。結構厳しい。それに思ったより時間がかかる。3キロ程度だが、かれこれ1時間半くらい歩いたろうか。高尾山頂上に。

高尾山薬王院;天平16年(744年)、行基が聖武天皇の勅命を得て開山、と伝えられている。中興の祖は京都の高僧沙門俊源。永和元年(1375年)の頃。荒れ果てていた寺院を復興、高尾山復活の道を開いたとされている。主祭神は不動明王の化身とされる飯綱権現。飯縄権現は、平安時代、長野県飯縄山上(現在の飯綱山)に奉られた飯縄権現がはじまり。ちなみに、この地の飯縄神社には飯縄山に住む狐をおまつりしている。で、「飯縄使い」は「狐つかい」の意。狐を自在に操り妖術を行う人のこと。高尾山中興の祖が狐の妖術使いだった、かも。で、高尾山は山岳信仰の霊場として栄えたる。戦国時代になると城の用材供給地としても機能。江戸時代には紀伊徳川家の祈祷所に。大名からも厚い信仰を得た、寺格の高い寺であった。
高尾山頂上は大混雑。紅葉見物の人で足の踏み場も無し、って感じ。薬王院におまいりを、などとの思いが、一瞬頭をよぎる。が、今回は紅葉見物。昔歩いた記憶で、高尾山頂から相模湖に至る道筋の一丁平とか小仏城山のあたりに、紅葉ポイントがあったよう。で、早々に山頂を退散。一丁平に急ぐ。山頂からは結構急な下り。木の階段。歩きやすいのか、歩きにくいのか、結構微妙。もみじ台から千本桜の桜並木の中、尾根道を歩く。もみじ台も紅葉には少々早い。が、一丁平を越え、小仏城山に上る手前、シラカバが点在するあたりの紅葉が美しかった。まさしく、紅葉、であった。
小仏城山からは相模湖に下るルート。うっすらとした記憶では結構開けた雰囲気、周囲の山々を眺めながら、といった印象であったのだが、実際は森というか林の中をひたすら下る道であった。小仏城山から4キロ程度だろうか。里に下りる。
甲州街道まで進み、道を横断。弁天橋との案内に従い、先に進む。下り道。結構な崖道を相模川に下りていく感じ。下りれば、上る、ことになるのだが、高尾山からここまで3時間以上山道を歩いているわけで、もうこれ以上歩きたくないわけで、なんとかしれくれ、とは思いながらも結局相模川まで下りる。途中のキャンプ場だか何だか知らないけど、マス塩焼きの看板を掲げる小屋で何人かの男が酒盛りをしていた。怪しい、というかなんと申しましょうか、といった雰囲気。で、弁天橋を渡る。結構立派なつり橋。橋の袂に休憩所。休憩。お店のおばーさんと一時のお話し。一休みし、結構厳しい階段を上る。里山の風景が広がる。畑の脇道を進む。一旦車道に。相模湖の堰堤を渡り、ふたたび甲州街道をこえ、相模湖の駅に到着。本日の予定終了。
高尾山口駅>稲荷山コース>高尾山・高尾ビジターセンター>もみじ台>一丁平>小仏城山>弁天橋>相模湖駅

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