
そこから先は急坂を下り、豪快な魔戸の滝を眺め、折り返した「犬返し」では少々腰が引けたが、なんとかクリア。龍河神社に下る最後の詰めは、途中竹林を見た瞬間に、もう里に下りたと安心し、最後の詰めが甘く、コースを大きく逸れグズグズの道を下ることにはなったが、無事龍河神社に到着。
別子銅山の遺構や四国山地の美しい滝、いつも実家から見てはいたのだが、初めて歩いた「犬返し」など、四国の山を歩き倒している弟ならではのコース取りの妙に感謝し、散歩を終える。
本日のルート:

Ⅰ仲持ち道パート;遠登志(おとし)=落トシ ~東平・第三広場 約2時間10分
○車デポ>遠登志橋>遠登志からの登山道と合流>坑水路会所跡>坑水路会所跡>索道施設跡>坑水路会所跡>軽い土砂崩れ箇所>支尾根に索道鉄塔基部跡>>鉄管>切り通しにお地蔵さん>中の橋(ペルトン橋)>東平遠望>滝が見える>;辷坂地区(すべり坂)社宅跡地>第三広場
Ⅱ上部鉄道パート;第三広場>一本松停車場跡>上部鉄道>石ヶ山丈(いしがさんじょう) 約1時間30分
○第三広場>一本松社宅跡>一本松停車場跡>橋台に木橋>第二岩井谷>第一岩井谷>紫石>東平が見える>切り通し>地獄谷>索道施設>石ヶ山丈停車場跡
Ⅲ 魔戸の滝パートへの繋ぎ道探索 石ヶ山丈分岐~魔戸の滝・造林小屋分岐~魔戸の滝~滝登山口 約1時間
○石ヶ山丈分岐>沢に橋台>道が切れる>下段に林道が見える>下段林道を石ヶ山丈方面へと戻る>石ヶ山丈分岐直下に戻る>魔戸の滝登山道合流点へ向かう>魔戸の滝登山道合流点>魔戸の滝上部分岐標識
Ⅳ 魔戸の滝パート;魔戸の滝上部分岐~西種子川・魔戸の滝登山口 約 40分
○魔戸の滝上部分岐標識>大岩展望所>魔戸の滝に急坂を下る>魔戸の滝に到着>魔戸の滝登山口
Ⅴ 犬返しパート;魔戸の滝登山口~鉄塔尾根~犬返し~龍河神社分岐~龍河神社 約2時間30分
○魔戸の滝登山口>種子川林道を下る>林道石ヶ山丈線分岐>四国電力鉄塔保線路への分岐>種子川林道崩壊地の上部>犬返し>「種子川林道」の分岐標識>龍河神社分岐>保線路分岐>林道へ着く>龍河神社のデポ地点に
□Ⅱ 上部鉄道パート;第三広場>一本松停車場跡>上部鉄道>石ヶ山丈(いしがさんじょう) 約1時間30分
この上部鉄道跡パートは、以前端出場発電所導水路を辿った折り(Ⅰ、Ⅱ)、その復路を石ヶ山丈から一本松停車場跡まで歩いたことがある。今回は、そのコースを逆に進むことになる。
一本松社宅跡:9時48分(標高871m)
そこから更に10分強登り標高870m辺りに、「一本松社宅」の案内がある。かつてこの地 には別子銅山の「一本松社宅」があった。戸数185。飯場と人事詰所、クラブ、派出所が各1、その他3つの職員貸屋と2箇所の浴場があった、とのことである(「えひめの記憶」)。
一本松停車場跡;10時1分(標高960m)
●上部鉄道
「えひめの記憶」に拠れば、明治22年(1889)に欧米を視察した広瀬宰平は、製鉄と鉱山鉄道の必要性を痛感し、石ヶ山丈-角石原問5532mに山岳鉱山鉄道建設を構想し、明治25年(1892)年5月に着工、翌26年(1893)年12月に竣工した。標高1100mの角石原から835mの石ヶ山丈を繋ぐ、日本最初の山岳軽便鉄道は急崖な山腹での工事に困難を極めたと、言う。
この上部鉄道であるが、明治44年(1911)に東延斜坑より嶺南の日浦谷に通した「日浦通洞」が繋がると、嶺北の東平と嶺南の日浦の間、3880mが直結し、嶺南の幾多の坑口からの鉱石が東平に坑内電車で運ばれるに到り、その役目を終える。上部鉄道が活躍したのは18年間ということである。
橋台に木橋;10時6分(標高952m)
第二岩井谷;10時12分(標高945m)
第一岩井谷;10時14分(標高944m)
紫石;10時28分(標高907m)
橋跡:10時31分(標高898m)
東平が見える;10時36分(標高889m)
切り通し;10時50分(標高856m)
上部鉄道の機関車2両、客車1両、貨車15両はドイツのクラウス製。開通当時は運転手もドイツ人であった、とのこと。蒸気機関車2両が交替で貨車4,5両繋ぎ1日6往復。片道42分、平均時速およそ8キロで走った、と。
切り通し部の写真ではフラットな路線のように見えるが、最大斜度が18分の一、133回ものカーブのある断崖絶壁を走ったわけで、結構スリルのある山岳鉄道ではあったようだ。
当時は岩場だけの緑のひとつもない、禿山の切り通しではあったが、現在は線路跡にも木々が立ち並び、緑豊かな一帯となっている。
●禿山の植林
明治27年(1894)、初代総理事廣瀬宰平が引退した後、別子銅山の煙害問題に取り組んだのが、のちの第二代総理事である伊庭貞剛。煙害問題解決のため、製錬所を新居浜沖約20kmにある四阪島(宮窪町)へ移すなど対策を講じる(後年、この四阪島も周桑郡に大きな煙害を齎すのだが)とともに、荒廃した山を再生させる植林事業を開始。それまで年間6万本程度であった植林本数を100万本までへと拡大し、現在の美しい緑の山の礎を築いた。
地獄谷;10時56分(標高836m)
索道施設;11時 1分(標高839m)
ところで、石ヶ山丈の索道基地は明治24年(1891)に完成している。上部鉄道の建設が開始されたのは翌明治25年(1892)と言うから、上部鉄道開通までは明治13年(1880)に開通した第一通洞の銅山峰北嶺の角石原から石ヶ山丈までは牛車道で粗銅が運ばれ、ここから延長1,585メートルの索道で端出場まで下ろされたのであろう。
なお、明治24年(1891)に完成した索道は「複式高架索道」とのこと。明治30年(1897)には単式高架索道となっている。単式(高架)索道は、端出場火力発電所の電力を使った「電力」で動く索道とのこと。ということは、「複式」とは「上りと下り」の索道の動力モーメントで動かしたものかと思う。
石ヶ山丈停車場跡;11 時4分(標高946m)
○「中持ちさん」・「牛車道」と石ヶ山丈
既にメモしたように元禄3年(1690)四国山地、銅山峰の南嶺の天領、別子山村で発見された別子銅山は、初期は銅山峰南嶺より直線で新居浜に出ず、土居の天満浦に大きく迂回した(第一次泉屋道)。その理由は、銅山峰を越えた北嶺には西条藩の立川銅山があり、西条藩より通行の許可がおりなかったためである。
その後、元禄15年(1702))、住友の幕閣への交渉が功奏したのか、西条藩が別子村>銅山峯>角石原>「石ヶ山丈」>立川 >角野>泉川>新居浜に出る銅の運搬道を許可した(第二次泉屋道)。仲持ちさんの背に担がれての運搬である。
明治に入り、明治13年(1880) には延長22kmの牛車道が完成。銅山嶺南嶺の別子山村>銅山越>銅山峰北嶺の角石原>「石ヶ山丈」>立川中宿>新居浜市内が結ばれた。
この牛車道も明治19年(1882)に銅山峰の南嶺の旧別子より北嶺の角石原まで貫通した長さ1010mの「第一通洞」の完成により、銅山峰を越えることなく角石原から結ばれる。通洞内は牛引鉱車で運搬されたとのことである。
牛車道も一度歩いて見たいのだが、傾斜を緩くするため曲がりくねった道となっており、立川からの登りには5時間ほどかかる、と言う。端出場にある銅山観光施設「マイントピア別子」から東平にシャトルバスが出ているということであるので、東平から逆に下ってみようかとも思っている。
Ⅲ 魔戸の滝パート;繋ぎ道探索 石ヶ山丈分岐~魔戸の滝・造林小屋分岐~魔戸の滝~滝登山口 約1時間
今回の弟のメーンテーマ。石ヶ山丈から魔戸の滝上部登山道への繋ぎを藪漕ぎで進んだようだが、先般ゲストを案内するに際し、山行で疲れたパーティを藪漕ぎで不確かなルートを魔戸の滝へと案内することを断念した、と言う。それが誠に、申し訳なかったようで、再びパーティを安心してガイドできるように、ルートを確定しておきたいとの思いであろう。
石ヶ山丈分岐;11時15分((標高827m))
●石ヶ山丈分岐
弟のメモに拠れば、「登山道の交差点としてキーポイントとなる石ヶ山丈(いしがさんじょう)分岐はこの辺りのバリエーションルート十字路として重要な場所である。
1)西側へは今歩いて来た上部鉄道が一本松停車場跡~兜岩登山道分岐~角石原(銅山峰ヒュッテ)を経て銅山峰へと続く。
2)東側には今から歩く魔戸の滝・西種子川造林小屋ルートの分岐へ至る。 3)南へ石ヶ山丈尾根道を経由して兜岩~西赤石山へ至る。
4)北へ下りると旧端出場発電所貯水池(沈砂池)を経由して立川山尾根の犬返し~生子(しょうじ)山・煙突山へ至る」とある。
沢に橋台;11時19分(標高826m)
道が切れる;11時30分(標高809m)
下段に林道が見える;11時26分(標高806m
ちょっとした藪を少しすすむと、弟が下に林道らしき道が見える、と言う。取り敢えず斜面を下ると結構広い林道が東西に整備されている。道がどこから進んでくるのかと、確認に石ヶ山丈方向へ引き返す。
下段林道を石ヶ山丈方面へと戻る;11時36分(標高810m)
石ヶ山丈分岐直下に戻る;11時37分(標高810m)

更に先に進むと、石ヶ山丈分岐から旧端出場発電所沈砂池へ少し下った岩のある所に突き当たる。石ヶ山丈分岐の下側,大岩を巻いて「沈砂池」に至る箇所から東に進む林道があったわけだ。林道の切れるあたりが少し荒れているので、幾度となくこの箇所を歩いている弟も、ここから林道が続くとは思っていなかったようである。
魔戸の滝登山道合流点へ向かう;11時40分
石ヶ山丈直下の林道が切れるところから、今来た道を戻る。上段の道が切れる箇所から先も、東に向かって下段林道が続く。
下段の林道は上段から来る林道と合わさり更に先に進む。道は作業林道として現役で使われているようであり、植林されて間もない幼木杉や作業の痕跡が目立つ。
魔戸の滝登山道合流点;11時50分(標高789m)
魔戸の滝上部分岐標識;11時54分(標高780m)
Ⅳ 魔戸の滝パート;魔戸の滝上部分岐~西種子川・魔戸の滝登山口 約 40分
大岩展望所;12時00分(標高749m)
魔戸の滝に急坂を下る;
魔戸の滝尾根道ルート確認ポイントでもある「根上がり樹」前を通過し、最後はなだらかな笹の斜面を右に廻り込むと魔戸の滝が見えてくる。
魔戸の滝に到着;12時22分(標高599m)
●魔戸の滝
魔戸の滝、とは少々怖ろしそうではあるが、元は「窓の滝」と称されていたようだ。「窓」のようにくり抜かれた峠から、この淵が遠望でき、故にその地を「窓」、そこから見えるこの滝を「窓の滝」と呼ばれていたが、いつしか「窓」が「魔戸」に変わった、と。
この文字の転化に関わりあるのかどうか不詳だが、この滝には龍王伝説が伝わる。如何なる時にも水が涸れることなく、地元の民の水源であった龍王の棲むこの滝壺(淵)であるが、大干魃に際し雨乞いを願い、若い娘を人身御供として龍王に献上することになった。と、空は一転かき曇り大雨が降り、民はその娘に感謝の気持ちを表すべく龍王様を祀るすぐ傍に、「百合姫大明神」という祠を建て、その霊を慰めた、と。よくある話ではあるが、龍王さまには「窓」より「魔戸」がよく似合う。
魔戸の滝登山口;12時32分(標高557m)
とはいうものの、天城河津七滝(ななたる)を挙げるまでもなく、滝のことを「たる」と呼ぶのはよくあることで、一斗樽と関連つけなくてもいいようにも思うのだが。
Ⅴ 犬返しパート;魔戸の滝登山口~鉄塔尾根~犬返し~龍河神社分岐~龍河神社 約2時間30分
種子川林道を下る;12時33分
林道石ヶ山丈線分岐;12時41分(標高518m)
四国電力鉄塔保線路への分岐;(標高595m)
鉄塔尾根へは右の道を進むことになる。この尾根道も平行して牛車道が通っているようだ。この尾根に近づくとチェーンが張られていた。危険通行禁止、ということではあろう。
種子川林道崩壊地の上部;13時05分(標高559m)
鉄塔からちょっと荒れ気味の尾根に進むがすぐに快適な道となる。弟は三等三角点「種子川山」を確認に寄り道(13時12分)。すヤマツツジが数本鮮やかに咲いていた。
犬返し;13時21分(標高523m)
コルを巻き犬返しのピークに出る。犬が怖じけて引き返したのか、愛犬をこの難所で引き帰えさせたのか、どちらかは定かではないが、ともあれ、犬の気持ちはよく分かる。
この犬返しピークは実家のある新居浜市角野地区からも、その切り落とされたような特徴のある地形故に、名前と山容は見知っていたのだが、実際に歩いたのはこれがはじめて。言い得て妙なる地名である。ピークから新浜側の展望は無いが、逆の石ヶ山丈~串ヶ峰の南側が開けて良く見える。
「種子川林道」の分岐標識;13時35分(標高521m)
龍河神社分岐;13時40分(標高498m)
車をデポした龍河神社へは分岐を左に折れる。植林地帯を20分ほどジグザグに下ると竹藪の中に出る。竹藪=里、との刷り込みがあり、里は間近との思いから、どうしたところで直ぐに里に出るだろうと高を括っていたのだが、これがミステイク。メモの段階でチェックすると、竹藪から立川集落の林道まで標高差で200mもあった。
予想に反して竹藪からすんなりと里には下りることができなかった。踏み跡がほとんどわからない。枯れた笹の葉は滑りやすい。
保線路分岐;14時3分(標高316m)
林道へ着く;14時21分
龍河神社のデポ地点に;14時35分(標高124m)
●龍河神社
「リュウカワ」神社と読むようだ。
新居浜市誌に拠れば、 「龍河神社 角野立川 龍古別命、高おかみの神、外数柱の神を祀る。御諸別君武国凝別命の子孫に当たる龍古別命がこの地立川に入り、既に大和時代において鉱山の開発に努力されたと伝えられている。
当社は文化年間及び天保年間に火災に罹り、現在の社殿は天保9年に再建されたものである」とある。
龍古別命は、太古の時代、この地を治めていた武国凝別命(たけくにこりわけのみこと)の子孫で、国領川上流地域、今日の新居浜市角野近辺を治めていた。別子の地名の由来も、「別の子が治める地={別子}との説もあるようだ、 「高おかみ(神)」は、龍神さまで国領川の水源を司る神とも伝えられる。「山の尾根筋の神」との説もあるが、尾根筋=川の水源、と考えれば同じかも。 集落の立川は、もとは龍古別命からだろうか「龍古」と呼ばれていたが、川に竜が住んでいるとの伝説から「竜河」更に立川となった、と言われる。
龍河神社したにでデポした車に乗り、上り口の落登志渓谷入り口に向かい、もう一台の車をピックアップし一路実家へと。それにしてもバリエーション豊かな山行であった。四国の山を歩き倒している弟のルーティングに感謝。