地形が気になってから、地理というか地形というか、この領域に関する本をいくつか読んだ。『東京の自然史』(貝塚爽平著、紀伊国屋書店\1,650)もそのひとつ。その中でちょっと気になる箇所があった。「東急東横線の渋谷から多摩川まで乗ってみれば、高い台地・低い台地、そしてそれを刻む谷底低地からなる山の手台の地形がわかりやすい」とのこと。東急東横線を渋谷から自由が丘まで歩いてみることにした。(日曜日, 7月 31, 2005のブログを修正)
渋谷駅
渋谷駅をスタート。246号を越え、セルリアンタワーの脇を南平台の住宅街に入り、お屋敷街の丘を登っていく。セルリアンの意味が気になり調べる。cerulean{紺碧;こんぺき}(の)、ということ。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)
西郷山公園
丘を登りきり、旧山手通りを渡ると、西郷山公園。江戸時代には豊後の岡(竹田)城主中川候の抱え屋敷。明治になり、西郷隆盛の弟・従道(明治時代の軍人(元帥)・政治家)別邸であったとのこと。
崖上のこの公園からの眺めはいい。このあたりは淀橋台(目黒川と神田川で刻まれる山の手台地の「高い」台地)の西の端。丘の下の目黒川・山手通りのある低地(目黒川沖積地)との高低差は20メートルくらいだろうか。低地の向こうには目黒台の丘(山の手台地の「低い」台地)が見通せる。
祐天寺
公園脇の青葉台1丁目の坂道を下り、目黒川・山手通りを渡り、上目黒2丁目あたりからゆるやかな坂を中目黒方面に。東急東横線の高架にあたる。このまま線路脇を祐天寺駅に、とも思ったのだが、なんとなくよく聞く祐天寺というお寺見ておこうと思い、目黒区役所の横を通り、駒沢通りを渡り祐天寺に。徳川家にゆかりの深いお寺であるようだ。
天祖神社
東急東横線に戻る。途中こんもりとした森が目についたので、行ってみる。天祖神社。祭神は天照皇太神。創建の年月ははっきいしていないようだが、境内の老木が多く、かなり古い時代の創建とのこと。神社の横には伊勢脇公園。伊勢脇の森と呼ばれたこの高台から、ゆっくりとした下り坂を東急東横線に。
祐天寺駅
線路に沿って、こんどはゆったりと坂をのぼり、一路祐天寺駅まで。祐天寺駅近くの古本屋で休憩。『幻の江戸百年(鈴木理生:ちくまライブラリー)』『全国名水の旅(南正時;山と渓谷社)』『東京の空間人類学(陣内秀信;筑摩書房)』『千人同心(もりたなるお;講談社)』の4冊購入。たまたま見つけた古本屋をのぞくのも散歩の楽しみのひとつ。
学芸大駅
古本屋を出て、線路沿いに平坦な道を学芸大駅に。学芸大も今は小金井にあるわけだし、何故「学芸大」、って疑問。調べてみると、お隣の都立大も含めて、駅の名前を変えるかどうか、住民アンケートをとっているとのことだった。
立会川緑道
駅近くに「立会川緑道」のサイン。立会川って、京急の駅で降りたこともある。地図で見ても駅近くに流路も見えないし、暗渠が延々とつづくのだろうか。今度調べてみようと思う。
碑文谷池
駅の近くには碑文谷池。立会川の水源のひとつとされる。昔は地名をとって「三谷の池」と呼ばれ徳川将軍の鷹狩り場であったとのこと。
都立大学駅
碑文谷池を超え、線路に沿って環七との交差に近づくにつれ、ゆったりとした登り坂。東急の電車がに眼下に見える。目黒台よりちょっと高い台地、荏原台に近づいたのだろう。山手通りを越えると、ゆっくりと都立大学駅まで下り坂。「呑川によって刻まれた」低地ということのようだ。
呑川
駅前に「呑川柿の木坂支流緑道」「呑川本流緑道」といったサイン。地図によれば、呑川は大井町線「緑ヶ丘」駅あたりまでは、暗渠のよう。上にも書いたが、地形の説明などに「呑川によって刻まれた」低地といった説明を目にする。「呑(のむ)」川、の名前そのままに、昔はこの台地を刻み、「呑み込む」暴れ川だったのだろうか。なんとなく地形学上に大事そうであるので、ちょっと源流だけをチェック。
源流はいくつかあるよう。世田谷・桜新町、清水窪・洗足池の湧水、九品仏・浄真寺池、そして現在最大のものは新宿・落合処理場からの下水高度処理水。東京都「清流復活事業」というのだが。。。
自由が丘
都立大を越え、線路沿いにゆっくりと登り坂。東急線も坂道とともにゆっくり登る。で、あとは自由が丘の低地にゆっくりと下りていく。
九品仏川緑道
今日は自由が丘で終わる予定だったのだが、自由が丘駅前のボードに緑道のサイン。駅前から「九品仏川緑道」が大井町線「緑ヶ丘」に続く。そして「緑ヶ丘」から都立大学までは「呑川本流緑道」が続いている。どうせのことなら緑緑の襷がけを、ということで先に進む。
緑ヶ丘駅
左手に大岡山の小高い丘を意識しながら、「九品仏川緑道」を緑ヶ丘駅まで。ここで、暗渠から顔を出す、呑川の流れを確認。清流復活事業とは言え、落合から導管(?)でここまでもってきているとは、となんとも複雑な思いも残しながら、大岡山の東工大の横を都立大学の駅まで戻り、本日は終了。
地形のメモ
下にルートマップを載せてある。『東京の自然史』37ページ、山の手南部の地形に説明している文章を引用しながらコメントする。「渋谷から多摩川までの東横線は、まず、淀橋台をきざむ渋谷川の谷の中ほどにある渋谷駅にはじまり、淀橋台(注;西郷山公園のあたり)―目黒川沖積地(注;目黒川・山手通のあたり)―目黒台(注;祐天寺から学芸大)―荏原台(この中に呑川のいくつかの支谷がある[注;柿木坂・環七のあたりから自由が丘あたりまで。])を横切り。。。(中略)。いくつかの台地と谷を横切る上に、そのレールは、武蔵野段丘の高さに近い海抜20-30メートルを通るので、地形の高低を車窓から観察するのに都合がいい。(中略)目黒台上の祐天寺―学芸大学間では平坦地の上を走るが、それより高い淀橋台と荏原台では代官山のトンネルと柿の木坂の切通し(学芸大―都立大学間)をとおり、それより低い、渋谷川・目黒川・呑川などの浸食谷では、谷底の沖積低地を見下ろして走る。。。(略)」。まさしくそのとおり。
0 件のコメント:
コメントを投稿