火曜日, 8月 02, 2005

玉川上水を歩く 1


玉川上水散歩_1 自宅の近くの下高井戸駅近く。甲州街道にそって遊歩道、というか緑道がある。玉川上水遊歩道。また、幡ヶ谷あたりにも、玉川上水遊歩道がある。
昔、講談社文庫だったか文春文庫だったか、ともあれ文庫か新書で杉本苑子著「玉川兄弟」という本を読んだことを思い出した。多摩川から江戸まで水を引いたとのこと。えらいことだと思う。しかし、玉川上水って、どこからどこを流れているのか、気になった。
地図を広げた。福生の隣町、羽村から三鷹を越え、牟礼2丁目あたりまでは、結構大きな流路が見て取れる。その先は細い流路マークが続き、久我山2丁目・北烏山2丁目、中央高速が環状八号線を越え南に大きく湾曲するあたりで途切れてしまう。その後はどうなっているのだろう?
そんなある日、高円寺高架下の古本屋で、偶然玉川上水に関する本を見つけた。「玉川上水物語;平井英次著;教育報道社」、「約束の奔流;小説・玉川上水秘話;松浦節;新人物往来社」の2冊。工事を請け負った加藤(後に玉川)庄右衛門、清右衛門兄弟、多摩川から水を引くことを発議した、知恵伊豆こと松平伊豆守信綱もさることながら、総監督ともいうべき関東郡代伊那半十郎忠治、設計者ともいうべき、安松金右衛門(松平伊豆守信綱家臣)などに興味をもった。いつかこの人物について調べてみよう。
で、消えてる箇所・暗渠を捜し歩くのもいいけれど、どうせなら羽村から四谷まで歩いてみようか、と思った。羽村の取水口から四谷大木戸(現在の新宿区四谷)まで全長約43km、標高差約92mの工程である。結局第一回は羽村から鷹の台まで。2回目は鷹の台から三鷹。3回目は三鷹から烏山。最後に烏山から新宿まで、計4回のpetit projectとなった。

第一回;羽村から三鷹台
青梅線羽村駅
青梅線、羽村駅で下車。多摩川の羽村の堰に向かう。その1週間前に御岳山に登山というか、ハイキングに行ったばかり。しかし遠い。羽村の堰・取水口の公園に玉川兄弟の銅像。
玉川上水に沿った、桜並木の遊歩道を歩き始める。左手の奥多摩街道との段差を意識しながら、福生に入り、奥多摩街道との遊歩道の合流地点のそぐそばに、清岩院。この由緒ある禅寺は境内の湧水が有名とのこと。
水喰土公園
清岩院からしばらくは、上水の遊歩道がなくなる。車通りの多い道を右に、左に意識しながら先に進む。青梅線と八高線の交差するV字形のあたりに、水喰土公園があった。「水喰土公園;水くらいど」、とはすごい名前。水をどんどん飲み込んだ地形、ってことだろうか。玉川上水の工事ははじめ難航したとのこと。当初、日野橋下から取水し、府中まで掘り進み、府中八幡下の御滝あたりのでこぼこの地形、通称悲しみ坂で水が遮られ失敗。次いで、福生の熊川から開削を再開したが、この水喰土公園あたりで、水が地中に吸い込まれる「逃げ水」に会って再び失敗。羽村からの取水は再々度、前述の安松金右衛門の助けにより、ようやく成功したと言われる。玉川兄弟は二度の失敗で幕府からの工事費六千両をすべて使い尽くし、足らないところは私財を投じて完成させたとも言われる。当時の旧堀跡や土手がそのまま残されているこの公園を歩き、16号線との交差、武蔵野橋を越え、拝島駅に到着。
拝島
拝島から先は、右手にゴルフ場を眺めながら歩く。西武拝島線立川駅に近づくと、玉川上水が急に暗渠に。なんでだろう?調べてみた。
戦前、このあたりの上水、南側に滑走路がつくられ、先々上水の北まで延長されるか、ということで鉄筋コンクリート造りの頑丈な蓋を施した。が、終戦により滑走路の延長計画は立ち消えとなった、とのこと。西武立川の駅南にひろがる空き地は滑走路予定地だったのだろうか。
残堀川
ここから先、良い感じの遊歩道を進み、五日市街道と交差点にある天王橋をこえて武蔵砂川駅手前のあたりで玉川上水が他の川(残堀川)と立体交差。下をくぐる。上水の水をいったん地下に落とし、ポンプ(?)で再度汲み上げて残堀川と混じらないようにしている、とのこと。明治になって、残堀川の汚れが激しく、上水の下を交差。昭和になって、残堀川が生活用水のため水かさが増し、氾濫したため、今度は上を交差するようにした、ということらしい。ちなみにこの川は、昔は「暴れ川」。洪水の度に大量の土砂を流域に流していた。そのため、「砂の川=砂川」と呼ばれ、砂川の地名の由来となった、とか。
玉川上水駅
西武拝島線武蔵砂川を越え、国立音大を左に眺めながら玉川上水駅に着く。雑木林のいい遊歩道になってくる。昔の武蔵野ってこんな雰囲気だったのだろうか。
玉川上水駅近くに水道局小平監視所。玉川上水は昭和40年新宿の淀橋浄水場が廃止されたため、小平監視所から下流は現在用水路として使命を終えている。羽村から12キロほど流れてきた水は、この監視所からは導水管を通って東村山浄水場に送られ、都民の水道水となっている。現在、小平監視所から下流の玉川上水の水は都の清流復活事業の一環として復活。昭島の多摩川上流処理場の二次処理水を流し、久我山までは続いているようだ。
新しく復活させた上水の流れは、昔の掘り跡そのまま、といった感じ。いい感じの遊歩道を、朝鮮大学校、創価高校を左にながめながら、鷹の台。第一回の予定はここで終了。

0 件のコメント:

コメントを投稿