土曜日, 8月 06, 2005

神田川を歩く 1


神田川上水散歩メモ_1自宅近くに神田川が流れている。桜並木のいい遊歩道。杉並区和泉から浜田山まで、ちょっと元気なときは環八との合流・高井戸まで。もっと気合をいれるときは、環八を越え、富士見が丘、久我山から井の頭公園のある吉祥寺まで散歩する。久我山駅前で一部区間、遊歩道が切れることはあるが、快適な散歩が楽しめる。
自宅から大宮神社もそれほど遠くない。神社の北は和田堀公園。神社と公園の間を流れる善福寺川沿いの遊歩道もよく散歩する。桜の季節のある日、思い立って源流、善福寺公園まで行ったこともある。善福寺川緑地など環八まではすばらしい遊歩道だ。相生橋あたりから尾崎橋にかけすばらしい桜見物ができた。しかし、環八を超えた途端、これはいけません。散歩道としてはお勧めできるようなものではありません。遊歩道として整備はされておらず、人ひとり通れる、といった狭い通路、通路もない川沿いの道路といった按配。善福寺といった音の響きからして、神田川遊歩道のような快適な歩きを想像していたのだが、少々期待はずれ。とはいえ、中央線を超え、西荻窪をとおり善福寺公園の池まで歩いた。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

自宅から神田川に沿って中野方面まで歩くことも多い。神田川沿いを歩き、環七を交差。地下鉄のヤードに沿って歩き、中野弥生町あたりで合流する川がある。そのときは気にもならなかったのだが、今回メモをまとめるにあたり地図を眺め、その流れが善福寺川であることがわかった。善福寺川も神田川水系の一支流。そのほか、未だ散歩したことはないにだが、妙正寺川という支流もあることもわかった。

神田川
しかしながら、そもそも、あの有名な神田川と、今「ここ」、杉並を流れている、自宅間近い、遊歩道下の神田川とが同じモノであるという実感はわかなかった。自宅前の、「この神田川」と、飯田橋あたりの「あの神田川」、御茶ノ水駅から見える、「あの神田川」が同じものである、といった実感がわかなかった。
地図を眺めた。環七から先は、一体全体、どうながれているのだろう。いやはや驚いた。環七手前で大きく北に振れた流れは、青梅街道越え、JR中央線東中野駅東側を通り、一路高田馬場手前、西武新宿線下落合駅付近まで北進。このあたりで、妙正寺川を合わせ流れを東へ転じる。そこから目白台地(関口台地)にそって文京区関口までは西から東に流れ、関口から飯田橋に。飯田橋では、これは絶対不自然な、ほぼ直角といった曲がり方で西にふれ、御茶ノ水の谷を横切り、墨田の川に流れ込む。
これもまたそもそも、なのだけど、川が大きく北に向かうって事など想像もしていなかった。勝手な思い込みであるのだけど、北は高い、南は低いとの刷り込みがある。だから、南から北に流れるってことは想像もできなかった。なぜだ?

地形図が威力を発揮した。等高線で色分けした地図をつくった。川は色分けされた地形図の上を、小高い丘地を避けながら、武蔵野台地の端の低地を流れていた。色分け地図と同時につくったルートマップを見ても、位置が南であろうと、北であろうと、どこであろうと、ルートは標高の高いところから低いところに降りていた。当たり前のことながら、水は高い所から低い所へ、いや、低い所を捜し求めて流れていることを思い知った。自然に逆らうことなく、井の頭から流れ出た水が日比谷入り江(東京湾)、というか、「江戸=入り江の戸(泊・船着場)」に流れ込む自然な路が、この水路だったのだろう。もちろん、人工的に、力技で折り曲げた流れは別である。飯田橋での不自然な「曲がり方」はどうみても自然ではない。あの尋常でない直角の曲がり方は御茶ノ水の丘を切り開き隅田川に迂回させた河川工事の結果であろう。切り通しができる以前の川は、飯田橋から南へ流れていたのだろうとも思う。ともあれ、井の頭の池から流れだした水は、善福寺川、妙法寺川の流れを集め、武蔵野台地の端の低地を縫うように、時には飯田橋や水道橋のあたりに白鳥池とか小石川大沼といった湿地、芦が一面に生える沼地を形成しながら海へとながれていたのであろう。そうだ、神田川を歩こう。
そうだ、神田川を歩こう。杉並の和泉から井の頭公園まで、それと善福寺川は既に歩いていたので、今回はそれより下流。中野弥生町から始めて水道橋・御茶ノ水まで「下ってみよう」。

0 件のコメント:

コメントを投稿