金曜日, 8月 12, 2005

神田から新宿散歩:


神田から新宿散歩:神田で友人と夜会食することも多い。勿論歩く。新宿まで。ルートはいくつか。神田神保町あたりから九段下、九段坂を田安門に向かって登る。ここまではほぼ定番。田安門がランドマーク。ここからはふたつのルートに分かれる。ひとつはそのまま坂を登り靖国神社から四谷へと。もうひとつは日本武道館方面に折れ、千鳥ケ淵から四谷に向かうルート。どちらのルートも四谷が次のランドマーク。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

九段坂の由来は坂の段差が石垣九層にもなったから
九段坂の由来は坂の段差が石垣九層にもなったから。田安門は徳川御三家の田安家があったから、と思っていた。が、調べてみると、このあたりは田安台と呼ばれていて、そこにあった門であるので田安門。田安門の近くに一家を構えたので田安家、と後先逆でありました。

直進するルートは、九段坂上を越え靖国神社の交差点を右折。靖国神社を通り抜け、白百合学園に沿って歩く。靖国神社境内に沿って左折、富士見坂をゆっくりと下り、法政大学のある新見付交差点に。外堀公園、というか濠端の土手の遊歩道を市谷駅前に。駅前で左折。新坂を五番町に向かって少し登り、すぐ右折。JRに沿って続く土手上の遊歩道を四谷双葉学園前から四ッ谷駅へ。後は新宿通りを四谷三丁目、四谷四丁目と。ここが大木戸門のあったところ。外苑西通りを少し南に下りれば玉川上水のゴール・四谷大木戸がある。四谷四丁目からは新宿通りを直進し駅に行くか、新宿御苑に沿って歩き新宿駅に。

市谷の地名の由来は山の手台地の一番目の谷
市ヶ谷駅からは四谷に向かわず外濠を越え、靖国通りを新宿まで歩くこともたまにある。市ヶ谷駅前を右折。外濠の坂を市谷見付に下りる。後は靖国通りを市谷八幡、防衛庁前,合羽坂下、曙橋、富久町、新宿五丁目と進み新宿駅に。
市谷の地名の由来は山の手台地の一番目の谷、「一の谷」ということがら。合羽坂は、坂の近くの池に獺(かわうそ)がよく現れた。かわうそ=かっぱ、となったとか。
もっとも地名の由来って、いくつもあり、どれがほんとかわかりはしない。自分が納得したものを好みで選ぶ。

日本武道館方面に折れるルートは、田安門を左折。日本武道館の脇を北の丸公園へと。科学技術館から北の丸出口と進み東京国立近代美術館工芸館へ。元近衛師団の司令部跡だ。近衛師団とは平たく言えば、天皇の親衛隊って存在。確か、西郷隆盛も近衛都督、というから近衛師団長であったかと思う。

千鳥ヶ淵。「淵」とは、上流からの川の流れをせき止めたもの
で、千鳥ヶ淵に沿って、歩道というか踏み分け道を進み、内堀通りとの交差、千鳥ケ淵交差点に。ちなみに、「淵」とは、上流からの川の流れをせき止めたもの。逆に、「池」は海からの塩水の遡上をせき止めたもの。同じ「水溜り」でも昔は厳密に使い分けていたようだ。で、千鳥ヶ淵、現在の皇居坂下門あたりからの小さな流れをせき止めた、江戸幕府最初の飲料水用のダム。家康家臣団の江戸入府に際し、水の確保が至上命題。なにせ、江戸城の前に広がるには日比谷の入り江。そして一面の湿地帯。塩辛い水など飲めるわけもなく、神田上水、玉川上水なども影も形もないわけで、自然の流れをせき止めた次第。北の丸公園の逆側の牛ケ淵も同じくもともとは飲料水のためのダム。それにしても、この北の丸を囲む千鳥ヶ淵、牛ケ淵一帯の地形。いかにも自然のまま。自然の流れをうまく利用し、最初は飲料用、そのあと、お濠として組み上げていったのだろう。

千鳥ケ淵の交差点を越え、英国大使館脇を直進。半蔵門通りと交差を越え、日本テレビ通りに。左折し善国寺坂をのぼり新宿通り。麹町四丁目から麹町六丁目、四谷駅から新宿へ。

四谷の由来は文字通り、四つの谷があったところから、とか梅屋・木屋・茶屋・布屋と呼ばれる四つの茶屋があったから、とかいろいろ。四つの谷があったから、で納得。それより麹町。麹を商う店が多くあったとからとも言われる。が、この地、往古より、府中にある国府(こくふ)に続く国府街道の出入口、すなわち国府路(こうじ)、と言うほうがなんとなくすっきり。この地の戦略的ポジションが明確になる。実際、この麹町、番町あたりには戦闘集団、大番組(番町の由来)を配置し、西からの脅威に備えていた。江戸城の前は日比谷の入り江で敵の脅威も少ないが、この地帯は台地の尾根道。お城を攻撃できる唯一のルートであるから、最強の部隊を配置した、ってことだろう。

休みに神田の古本街を歩く。こんなときの散歩ルートは時間をきにしなくてもいい別ルート。竹橋に回り、平川橋を渡り、平川門から皇居東御苑に入り江戸城跡を楽しむ。天守閣跡、松の廊下跡、富士見櫓などを辿り大手門から内堀通りに出る。後は、祝田橋から霞ヶ関の官庁街を歩き、虎ノ門から渋谷へ、というのがオーソドックスな散歩ルート。

地形図を見るにつけ、江戸城って、岬の突端といったところにつくったような感有り。等高線ごとに色分けした地図を見ながら、江戸のお城の前に広がっていた一面の海を想像した。

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