火曜日, 8月 09, 2005


渋谷_永福散歩;本日渋谷で夜に会食。会食はひどいときには週5日、といったときもある。そんなとき、渋谷であれば自宅の杉並の和泉まで、銀座・日本橋での会食であれば渋谷まで、御茶ノ水あたりの場合は新宿まで歩く。恒例のごとく、本日は杉並和泉までのナイトクルーズ。

渋谷から自宅までのルートはいくつかある。昔は、渋谷駅から岸記念体育館脇の坂をのぼり、代々木公園の中を歩き、富ヶ谷の交差点で山手通りをこえ、後は一路、井の頭通りを永福町まで、といったルートを歩いた。しかし、如何せん、夜の代々木公園の道、といっても表参道から続く幹線道路脇を歩くのだが、無用心、というか、私が不審者と思われる怖れなきにしもあらず、ということで最近はご無沙汰している。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

本日は、最近のお気に入り、というか世が世であれば踏み分け道、といった按配で、ブラブラ歩き自分で見つけたマイルートを歩く。通常は渋谷駅前から、東急本店方面へ進む。東急本店を右手に眺め、松涛美術館を右手にゆったりとした坂を登り、旧山手通りと山手通りが合流するあたりの交差点に出る。が、本日は少々違った。会食がマークシティであったため、マークシティの道玄坂側出口に。道玄坂の飲み屋街、ホテル街にブラブラ入り込み、谷地のような井の頭線神泉駅辺りを登ったり下ったり、道に迷いながら、結果的には山手通りに。それからいつもの新・旧山手通りの合流点の交差点に戻った。

交差点を渡り、直進し、井の頭線に沿った坂道を下る。後は小さな商店街を道なりに駒場東大前駅に。駒場東大前では以前、駅前から井の頭線に沿って登る道を歩いたのだが、結局一週して元の場所につれてこられたことがある。そんな路ってあるのか?このメモのためにチェックすると、国家公務員駒場住宅の周りを一週させられた、ってことがわかった。

井の頭線の高架をくぐり、ゆっくりと坂をのぼり駒場留学生会館手前の井の頭線踏み切り。たまにはこの踏切を渡らず東大駒場リサーチセンター、駒場公園、小田急線東北沢、大山、笹塚、甲州街道、永福・和泉といったルートもとるが、最近は踏み切りを渡り、植物園、駒場国際高校の前の坂道を登るルートが本命、登りきったあたりで右折し住宅街に入り、井の頭線脇に。このあたりが、自分なりの踏み分け道。線路脇きの結構な坂道を下り、そして登り、井の頭線池ノ上駅に。駅からは井の頭線に沿ってゆったりとした坂道を下り、折りきったところが茶沢通りの交差点。
交差点を越え、下北沢の繁華街を駅前まで。駅前のほんの目立たないところにある階段を登り、小田急線を越え、井の頭線のホームにそって歩き、井の頭線の踏み切りに。普段は、ここから踏み切りを渡り、北に歩き、北沢中学校近くの交差点で井の頭通り。それから、道なりにすすみ環七の交差点を渡る。少し北に登り、代田橋近くで玉川上水の遊歩道を斜めに駅まで。後は甲州街道を渡り少々歩いて和泉の自宅へ、という段取り。が、今日はルートを変えた。永福町に行く用事があったから。

今日は井の頭線の踏切を渡らず、そのまま線路沿いを新代田方面に。住宅街を結構な坂道を降り、そして登り新代田駅に。駅前の交差点を渡り、適当なところで左折。住宅街を環七に沿って北に。和田堀給水所にあたり、左周りに迂回。京王線を越え、松原交差点で甲州街道を渡り、井の頭通りを。和田給水所のあたりから左に折れ、玉川上水遊歩道を進み、井の頭線を渡る橋まで。ここで、玉川上水のときに説明した大きな水道管が見える。が橋を渡らず、線路沿いに急な坂道を降り、あとは線路沿いを進み、神田川を渡り、ゆったりとした坂道を登り、永福町に。渋谷から1時間ちょっとの散歩であった。

「渋谷」って、「行き止まりになる谷、奥の谷、深山幽谷の谷」
地形図でわかるように、渋谷一帯って凸凹して結構面白い地形。地下鉄(銀座線)の渋谷が駅ビルの3階。井の頭線で神泉駅のトンネルを抜け駅につくと駅ビルマークシティの2階。東急東横線も然り。代官町の地下トンネルをくぐると、町並みを見下ろしながら高架を走り駅に着く。渋谷の駅前一帯は3方面を丘で囲まれた低地、というか谷地でありましょう。そういえば、渋「谷」、って地名そのものが「谷」であるし、「渋谷」って、結局、「行き止まりになる谷、奥の谷、深山幽谷の谷」であったのだ。
宮益坂でおおきく下る淀橋台地、道玄坂をくだる目黒台地、そして代々木の森、ぐるり3方面を台地で囲まれた渋谷の地は往古一面の海。何時の頃か海の水が引いた後は、新宿御苑あたりを源流とし原宿方面から流れ込む渋谷川、渋谷区西原や代々木上原を源流点とし松濤、神泉と下る宇田川の流れがつくりだす一面の湿地帯であったそうな。
いまや暗渠となったこのふたつの川、深山幽谷の往古を想像しながら、その川筋を訪ねてみよう。河骨(こうほね)と 呼ばれるスイレン科の多年草が咲き「春の小川」の舞台にもなった宇田川の支流、河骨川の往時を想像しながら。。。


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