月曜日, 8月 08, 2005

妙正寺川散歩:


妙正寺川散歩:神田川水系をまとめている。これを機会に妙正寺川を歩いてみようと思った。自宅を出て井之頭線・中央線と乗り継ぎ、荻窪駅。バスに乗り、妙正寺下車。公園は緑が目印。すぐにわかると思った。が、この辺り、緑深い邸宅多い。少々途惑った。道すがら天祖神社。先日祐天寺でも出会ったな、などと思っているうちに、公園に。湧水地。当然池がある。とはいうものの、最近湧水芳しくなく、地中深くから地下水を、とも。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)


妙正寺
妙正寺、という以上お寺さんも参っておこう。品格のある日蓮宗のお寺。将軍家光が鷹狩りの際にお参りし、朱印地を寄進したことから、御朱印寺と呼ばれた由緒あるお寺だった。これも将軍の鷹狩云々、よく聞く話ではある。

妙正寺川
遊歩道スタート。スタート地点に、「妙正寺川は、千川上水からの水もあつめ、神田川に合流する9キロなにがしの1級河川である」との掲示。「千川上水」の分水=「井草川」、ということだろうが、井草川=暗渠となっているので。。。
ともあれ、本天沼、鷺宮、野方と蛇行する川筋を進み、環七と交差。途中時に遊歩道は切れたり、繋がったり。それにしても、地名が気になる。なんとなく「湿地帯」といったイメージ。そうそう、環七を越えた先には沼袋もあるし。池、というか沼、といった水はけの悪い窪地が多く、沼地には多くの白鷺が集う村落(野方)、といった一帯だったのだろうか。

平和の森公園
環七を越え、切れた遊歩道から川筋に戻り歩く。右手にこんもりとした丘。平和の森公園とあった。中野刑務所の跡地につくられた公園。弥生時代の古墳跡も。刑務所と平和。どういうこと?
この刑務所は思想犯が数多く収容されていたとのこと。大杉栄、荒畑寒村、亀井勝一郎、小林多喜二、中野重治、埴谷雄高、河上肇、三木清、。。。言論・思想弾圧、その収容先、その反省=平和、といったプロセスで平和公園となったのだろうか。
それはともかく、この公園のある丘、新井薬師方面へのゆったりとした下がり等々、当たり一帯なかなか微妙な地形のうねりを感じる。このあたりで水量が増える。中野刑務所跡にある中野水再生センターからの「高度処理水」だろう。

江古田の古戦場碑
西武池袋線沼袋を越え、北に大きく振れた流れは、新青梅街道に接するあたり、江古田公園で哲学堂公園の丘の下に向かって南に向かう。この公園に江古田の古戦場碑。大田道潅と豊島氏の戦いの跡。大田道潅、豊島氏、江戸氏といった家康入府以前の武将についてもそのうち、整理しておこう。ここで江古田川も合流。

哲学堂公園
哲学堂公園、残念ながら4時半過ぎで閉門、次回のお楽しみ。哲学堂公園の川沿い、哲学堂サイドも逆サイドも雨水調整池。すぐ先にも上高田調整池。10万t以上もの水を蓄えることができる巨大なもの。いくつか調整池を見てきたが、大体上はテニスコートだったように思う。

神田川と合流
哲学堂を越え、中井駅近く、目白大学下になると、少々圧倒される崖線。西武新宿線との交差。近くの踏切りのある道まで迂回し、後は、神田川の合流地点まで。最終地点では暗渠となるため、正確には西武新宿線下落合駅近く、新目白通り脇。合流点手前まで歩き予定終了。
ちなみに、先日歩いた国分寺崖線。「ハケ」の道を歩いた。ここ、目白崖線では、「バッケ」と呼ばれる、とのこと。

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