銀座から渋谷散歩:銀座とか日本橋で夕刻、会食の機会も多い。最近、日本橋にほとんど日参したこともある。当然のことではあるが、会食後は歩く。渋谷まで。
ルートはいろいろ。ただ、昨日メモの三田から渋谷と同じく、いくつか分岐点、ランドマークもあるようだ。で、最初のランドマークは帝国ホテル。日本橋から丸の内のオフィス街経由であろうが、銀座から数寄屋橋経由であろうが、ともあれ帝国ホテルを目指す。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)
次のランドマーク、分岐点は虎ノ門の交差点。日比谷公園に沿って歩いたり、西新橋から外堀通りに沿って進んだりと、そのときの気分次第。
虎ノ門からはルートはふたつに分岐する。ひとつは、虎ノ門から赤坂見付に向かうルート。もうひとつは、神谷町方面から六本木に向かうルート。
赤坂見付へのルートは、溜池交差点、山王下交差点を経て赤坂見付へ。外堀通りを歩くこともあるし、通りから一筋、ふた筋入った、みすじ通り、一ツ木通りを進むこともある。赤坂見付からは青山通りを青山1丁目、外苑前、表参道と進み渋谷へと進む。が、最近は山王下から左に折れ、赤坂小前を経て、乃木神社。乃木神社で外苑東通を右折して青山1丁目に。その後は一路渋谷へと向かう。青山一丁目もランドマーク。
溜池は浅野幸長が造成した人造の池
溜池は浅野幸長が造成した人造の池がこの地にあったから。山王は山王さんと呼ばれる日枝神社から。日枝=比叡=天台宗、と天台宗と関係深い。伝教大師最澄が比叡山延暦寺を開山したとき、日枝の神を天台宗の守護神としたと。全国に多くの日枝神社は天台宗の拡大につれて広まったいったとか。神仏習合・密教なればこその業か。山王は唐の天台山の神として祀られていた,山王元弼真君に由来する。乃木神社は明治の軍人乃木希典将軍を祀る神社。
神谷町から六本木に向かうルートは虎ノ門交差点を右折し桜田通りを神谷町へ。神谷町を右折しホテルオオクラへの坂を登る。坂を登りきった後は、アメリカ大使館脇の霊南坂から続く道を左折。道なりに歩き、飯倉片町の手前の交差点を渡り、六本木交差点に。時には、虎ノ門交差点よりす。こし新橋寄り、西新橋一丁目を左折し、愛宕神社前まで。神社前交差点を右折、トンネルを抜け桜田通りにあたり、神谷町に出ることもある。神谷町もランドマークのひとつ。
神谷町って、三州神谷村から
神谷町って、ありがたい名前だけど、と調べてみた。神様に関係なく、この地に多く住んでいた中間(中間:武家の下僕)の生まれ故郷三州神谷村からの名前だと。それにしても、神谷町って言うけど、神谷町って町は無い?中間(ちゅうげん)とは江戸時代、武家に使われた下僕。平たく言えば、「てんてん、てんまり、てんてまり」の歌に出てくる「紀州の殿様...髯奴(ひげやっこ)」のこと。ちなみに、家っ子(奴)=奴=冷奴(ひややっこ)、もともとは家の子、ってある特定の武家の下僕だった。が、参勤交代といった時の臨時要員が必要になった。で、どこの家中でも働けるように、このフリーター達にお揃いの紋をつけることにした。そして、豆腐を切った形がその紋に似ていたので冷奴と。霊南坂はこの地に住んだ、嶺南和尚に由来。嶺南=霊南と。
三田から歩くときは、六本木からは青山一丁目方面と、西麻布方面と二つにわかれるが、日本橋・銀座ルートの場合は青山一丁目に向かうことはまず無い。ほとんど、西麻布から骨董り、表参道、そして渋谷へと歩く。
このコースも面白い地形。ホテルオオクラと首都高速都心環状線との間との段差など結構面白い。また、泉ガーデンタワーなど、丘側から入ると高速側の出口にはエスカレータを相当降りなければならない。それにしてもこの泉ガーデンって、一体!夜、はじめてこのビルを見たときは結構しびれた。異次元の世界に、は少々大袈裟か。
飯倉片町を越え、首都高速環状線と外苑東通り、六本木通り(首都高速渋谷線)に囲まれた地帯の地形のうねりも魅力的。一度明るいときに歩いてみたい。
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