玉川上水散歩_2
第二回;鷹の台から三鷹
鷹の台からスタート。散歩するようになり、鷹の台といった西武国分寺線などが走る地域によく来るようになった。狭山丘陵を3回に分けて歩いたときなど、3連休だったわけだけど、日参したものである。
で、三鷹に向けて。とはいうものの、実際はここから新宿・四谷大木戸までは逆方向、つまりは新宿から歩いてきたわけで、ただでさえうすれゆく記憶に抗い、思い起こした風景を逆回しにしなければならないわけで。。。
府中街道を交差、津田塾大学、一橋大学などを左に眺めながら木々の中を歩く。五日市街道に合流。西武多摩湖線と交差し喜平橋に。小金井市に入ると、緑道は上水桜通りと呼ばれており、桜の並木が遊歩道上に植えられている。桜の名所。八代将軍吉宗の頃、常陸の桜川から植木を取り寄せ、6キロに渡って植栽したとか。ハワイのワイキキの浜の砂はオーストラリアのゴールドコーストから持ってきている、とかいう話と少々かぶる。真偽のほどは定かではないが。
小金井公園を過ぎて武蔵野市に。五日市街道が北に大きく振れるところにあるのが境橋。千川上水が玉川上水から分流される地点である。少し行ったとこりに境浄水場。玉川上水が上水として機能していないとすれば、この浄水場は、どこからの水を?調べてみた。境浄水場では,多摩川から取水された水を狭山丘陵にある村山・山口貯水池にいったん貯め,これを持ってきているようだ。また、境浄水場に配水池はなく,浄水した水は和田堀給水所に送られ配水している、とのこと。で、三鷹駅に。第二回の散歩はここでおしまい。
第三回;三鷹駅から烏山まで
3回目は三鷹駅から烏山まで。玉川上水は三鷹駅で中央線の下をくぐる。駅を越すと左手に緑道が。程なく、「路傍の石」で有名な山本有三記念館が。記念館を少し行くと、井の頭公園。万助橋の辺りから牟礼橋までは上水は鬱蒼とした森、というか雑木林。美しい。
人見街道との交差を越え、烏山用水と北沢用水の取水口のある岩崎橋の辺りを越えると浅間橋跡に着く。都の進めてきた清流復活事業により、よみがえった上水はここで終わる。あとは遊歩道として新宿に。で、ここまで流れてきた水はどうなるの?ここからは暗渠となり、神田川に放流されているとのことだ。3回目はこれで終わりにした。
第四回;烏山から新宿まで
4回目、烏山から新宿まで水路跡、暗渠を巡る散歩は続く。NHKの富士見が丘グラウンド脇を通り、高速の高架沿いにある大きな神社に。第六天神社。かつてこの近くに北沢用水の分水口があったとのこと。
環八との交差。中の橋交差点に。玉川上水はここから1.5キロほどの区間、中央高速道(首都高速4号新宿線)の下を通っているようだ。遊歩道もなにもない。で、突然、高速道路と甲州街道が合流する下高井戸5丁目の交差点あたりに、上水の遊歩道が現れる。玉川上水第二公園、玉川上水第二公園、甲州街道に沿って、周囲よりもやや高くなった築堤状の公園であったり、周囲より低くなった公園であったり。上水の高低差を保ち流れを確保するために、いろいろ苦労したのであろうか。
しばし甲州街道に沿って歩く。永福町から降りてくる道との交差を過ぎると、玉川上水永泉寺緑地という公園に。日本庭園風ではあるが、水もないし、ほとんど首都高速の高架の下、永福町ランプといったものであり、情緒に欠ける。
ここでまた遊歩道は消える。次に、甲州街道沿い、京王線代田橋のところで、唐突に、しかも、すこぶる短い区間開渠となって上水が現れる。その間は、本願寺和田堀廟所、明治大学の前あたりを通り、京王井の頭線を大きな水道管(井の頭線跨線橋)となって跨ぎ、玉川上水公園となって井の頭通りまで300メートルほど続く。通りを隔てて、和泉給水所がある。上水はここから東放学園専門学校前の細長い一帯、いかにも上水の跡と思われるようなところを通り、甲州街道をくぐり、先ほどの代田橋あたりに続いているのであろう。
ちなみに本願寺和田堀廟所。関東大震災で被害を受けた築地本願寺の境内にあった墓地が、昭和4年にここに移転されたもの。先般の本郷台散歩で登場した小説家樋口一葉、また小説家海音寺潮五郎らの墓があるとのことだ。また、明治大学。このあたりには幕府塩硝蔵跡、兵器庫があったそう。本日のメモはここまで。この辺りは自宅、というか地元。代田橋から新宿までは明日歩き直しメモをしておこうと思う。
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